第126話 ニンジャ・チェイス

 屋根に穴の開いた案内所を出たクロエ達は、どこへとなく歩き出した。

 元々フォンを一人にする為だけに外に出たのだ、あてなどあるはずがない。このまま暫くうろついて、ある程度時間が経てばもう一度案内所に戻ってくるだけだ。

 ただ、彼女達の中にも不安と恐れがないわけではなかった。仕方なく外出して買い物をする住民や、いつもよりも少し周囲を警戒しながら店を開く商売人達と同様に、いつどこから地獄の案内人が出てくるか分からないのだから。

 寂れた街のようになってしまったギルディアを歩きながら、カレンが呟いた。


「……今回の敵は、紛れもなく忍者なのでござるな」


 彼女を覗き込むようにクロエとサーシャが見つめるのも構わず、カレンは続ける。


「これまで一度だって、忍者とは戦ってこなかったでござる。忍者のカルト集団だって、やり口が宗教的だっただけで、中身は伴っていなかったでござる。だけど……」


 複雑な畏怖が入り混じった目で、カレンは二人を見つめ返した。


「リヴォルとやらは、師匠も認めた正真正銘の忍者でござる。たった一人で凄まじい数の人間を傷つけ、思いもつかない残虐な手口を平然と使う……勝ち目があるのか、拙者には分からなくなってきたでござるよ……」


 カレンの言い分は、納得できなくはなかった。

 直接戦ってもいないのに心を折られかけているのは、偏にリヴォルの残虐性と常軌を逸した思考を目の当たりにしてしまったからだろう。いくら忍者の卵とはいえ、フォンよりも精神的に弱く、屈してしまうのは致し方ないともいえる。

 しかし、だからといって全てを諦め、フォンを差し出す理由にはならない。


「……カレン、それでもあたし達は、フォンを守るの」


 ぽん、と彼女の肩を叩いたのは、口元を少しだけ吊り上げたクロエだ。


「どれだけ強い敵でも、これまでフォンは一人で倒してきた。けど、今の彼はあたしが見てきた中で一番追い詰められてる。だからこそ、誰かが守ってあげないと!」


 ぐっと拳を握り締めたクロエの隣で、サーシャが頭を何度も縦に振った。


「勝ち目があるないじゃない、絶対にフォンを守り切る! あたし達にとって一番大事なのはそこだよ、フォンを命懸けで守ることだけ考えよう、カレン!」


 強く力を込められた拳を前にして、カレンはようやく悟った。フォンの言う通りに外に出たクロエが、誰よりも彼とは離れたくないのだと。出来るなら、いつでもどこでも傍にいて、勝てるかも分からない敵の脅威を打ち砕く力になりたいのだと。

 彼の気持ちを汲んで一人にしたが、本当ならずっといてやりたい。そんな気持ちを押し殺してフォンの頼みを聞いた彼女が何よりも守りたいといっている姿に比べ、敵に慄く自分の姿が、カレンは急に恥ずかしく思えてきた。

 フォンなどなんとも思っていないと普段から言い続けるサーシャですら、彼のみを案じているようだった。ずっと狂ったように首を上下させているのが、その証拠だ。


「サーシャ、フォン、やらせない。フォン、倒すの、サーシャ!」

「ほらね! 同じ気持ちみたいだし、弱気になってる場合じゃないよ!」


 もう一度拳に力を込めたクロエに対し、カレンは少し間を置いてから、両の頬を軽く叩いた。そうして二人以上に気合を心臓に溜め、ギザギザの歯を見せて強く頷いた。


「……そう、そうでござるな! 必ず師匠を守るのが、拙者の役目でござる!」


 いまさら何を弱気になることがあるのかと、カレンは己を鼓舞した。

 心が揺れる師匠を支えるのは、弟子の役目である。クロエやサーシャが名乗りを上げているのに、自分が弱音を吐いているなど、決してあってはならないのだ。

 自分の狭小さを内心で恥じるカレンに、クロエは言った。


「とりあえず、フォンのところに戻ったら今後について話し合おう。それから、できるならリヴォルのいるところの手がかりを探して――」


 その気になって歩きながらでも会議を始めようとした三人だったが、不意に詳細を話そうとしていたクロエが、ぴたりと足を止めた。

 あまりにも唐突だったので、サーシャとカレンはつんのめるように急停止した。人もさほどいないから誰かにぶつかったわけでもないだろうに、どうして止まってしまったのかと、カレンがクロエの顔を見て問いかけようとした。


「クロエ、どうしたでござるか、急に……」

「しっ。カレン、サーシャ、こっちに来て」


 だが、クロエはカレンの口を軽く塞ぐと、二人を近くの露店の影に連れ込んだ。

 果物を売っている老人が怪訝な顔をするのも構わず、三人は誰かに顔を見られないようにするかのように、自らの姿を隠す。


「どうした、クロエ? サーシャ、隠す、なんでだ?」

「静かに。あれを見て」

「あれ? あれとは……あっ!」


 遠くを差すクロエの指先に追従して視線を向けると、カレン達はようやく納得した。

 視線のずっと先にいたのは、武具屋の前にたむろする勇者パーティ――つまり、勇者クラークと彼の仲間達だった。

 マリィ、サラ、ジャスミン、そしてパトリス。いずれもフォン達とは因縁浅からぬ関係だ。世間や冒険者総合案内所の高評価とは違い、いつでも傲慢で自分勝手、時には権威を笠に犯罪行為にまで手を染める連中だが、今日はどこか様子が違った。

 五人が五人とも、どこかそわそわして落ち着いていない。普段の慢心は欠片も感じられず、寧ろ何かに怯えているようにすら見える。

 これがもしもいつもの人どおりでの態度ならば、誰かが大丈夫かなどと声をかけるくらいには、普段の様子とは正反対だ。逆立って整った銀髪が萎びて見えるほど、今やクラーク達に余裕などないようだった。


「勇者連中……あんなところで、何をしているでござるか?」

「さあね。けど、人がいないからってあんな表通りでひそひそ話をするなんて、聞いてくれって言ってるようなものだよ」

「聞きたいけど、あいつら、遠い。声、聞こえない」

「話を聞くのに必要なのは、声だけじゃないよ……なになに、『まずいことになった』?」


 クラーク達を監視しながらクロエが呟いたのに、残りの二人は驚いた。


「聞こえるのでござるか、クロエ!?」

「ううん、読唇術って言ってね、唇さえ見えれば動きで何を言ってるかが分かるんだ。あたしは弓使いだから、あれくらいの距離なら口の動きくらいは簡単に読めるよ」


 読唇術。唇の動きから単語や文章を読み取り、繋げることで遠距離での会話を聞き取る技術。殆どの忍者が会得しているが、専門能力というわけではなく、訓練すれば誰でも使える能力であり、遠距離で戦うクロエも習得していたのだ。


「お前、忍者か?」


 サーシャも知らなかった特技を披露しながら、クロエはくすりと笑う。


「サーシャも練習すれば、できるようになるよ……『こんなことになるなんて』……『たくさん死んだ』……それって、まさか」


 クラークとマリィの会話を読むクロエの眉間にしわが寄る。


「クロエ、奴らが動いたでござる!」


 同時に、そそくさとクラーク達が建物の裏へと歩いていってしまった。ここの裏はちょうど人目につかない裏道がずっと続いていて、隠れて何かをするにはうってつけだ。

 それだけでも十分に怪しかったのに、クロエが呼んだ唇からは、死と何かへの関与が読み取れた。三人は顔を見合わせ、何をすべきかを決めた。


「……追いかけるよ。もしかすると、あいつらはとんでもない関係者かもしれない」


 何の関係者かなど、言うまでもなかった。

 まばらな人の間を縫うようにして、クロエ達は静かに、且つ足早に後を追った。

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