第106話 嘘と忍者

 彼の瞳は迷っているようにも見えたが、行い事態に疑いを持っているようでもなかった。感情と行動を別々に住まわせる彼は、静かに警告する。


「先に言っておくけど、君達の計画には一つの過ちと嘘が混じっている。だから絶対に計画は成功しない。その過ちは――」


 だが、カゲミツのような男が、そんな話を聞くはずがない。


「我らの悲願が、小僧如きに理解できるかッ!」


 カゲミツは鼻を鳴らしながら、フォンの倍近い体躯で突進してきた。


「忍術は齧った程度といえど、この剛力は張りぼてではないぞ! 貴様如きの矮小な体、一撃で圧し潰してくれる!」


 彼の言う通り、巨躯は伊達ではないだろう。狭い洞穴で攻撃を仕掛けられれば明らかにフォンが不利だが、忍者にそんな常識は通用しない。


「止めておいた方がいい。君が忍者なら僕に勝てるかもしれない、けど……」


 フォンが軽く跳び上がると、カゲミツは見事にフォンのいた場所を通り過ぎてしまった。


「な、にぃッ!?」


 まさかカゲミツも、フォンがこんな細道で突進をかわせると思ってはいなかったようだ。しかも、振り向いた巨漢の目に飛び込んできたのは、壁に逆さになって張り付いているフォンだった。指先一つだけでぶら下がるさまは、さながら蝙蝠のようだ。

 彼は壁を形成する岩を指先だけで削り取ると、指先くらいの大きさの石礫を作り上げて軽く掴むと、突撃してくるカゲミツの足の関節目掛けて四発、親指で弾いた。

 フォンの抵抗は、たったのそれだけ。


「ぐおぁッ!?」


 それだけだが、カゲミツの動きを止めるのには十分だった。フォンが放った石礫は、敵の肌と肉を服の上から抉り取ってしまったのだ。

 実は、フォンが削り取った礫は鋭く削られ、まるで針のようになっていたのだ。しかも常人では比べ物にならない彼の剛力でそれが肉を破壊したのだから、カゲミツが膝から崩れ、動けなくなるのも当然だ。


「忍法・土遁『礫撃ち』。この程度の技すら避けられないなら、勝ち目は絶対にない」


 石礫を投げるだけでも、技術と能力が合されば立派な忍術となる。父を忍者に持っておきながら忍術を碌に見たことがないのか、おかっぱ頭はただ驚愕するばかり。


「あれだけの礫を……まさか、本当に、忍者だとでもいう、のか……!」

「君の父が忍者だったんだ、他に忍者もいると考えた方がいいんじゃないかな」


 敵が動けなくなったのを確かめてから、フォンは口を開いた。


「さて、話を続けよう。まず過ちというのは、人を蘇生させる禁術なんて存在しないということだ。僕は禁術の全てを覚えている……といっても、術の詳細までは覚えてないけど、少なくとも人の生死を忍者が操作するなんてできないんだよ」


 フォンの意見――というより見解は変わらなかった。彼の知る限り、禁術とはいえ人間に人の生き死にを操れるほどの力はない。例え最強の忍者でも、できるはずがない。

 しかし、カゲミツが納得するはずがない。彼にとって百人斬りを成し遂げた最強の忍者は自分の父なのだから、彼が言うことに間違いなどあるはずがないのだ。


「それは、貴様が父上ほど偉大な忍者ではないからだ! 禁術は父上が遺した巻物に記されていた! マスター・ニンジャを名乗るほどの父上であればきっと――」


 最強の父。シャドウ・タイガーの名を遺す偉大なる者。


「――そして、それが嘘だ。君の父、カゲトラは偉大な忍者ではない」


 ――果たしてその全てが、フォンにとっては虚実に過ぎなかった。


「……な、に?」


 口を震わせ、何を言えばいいのか困惑すらするカゲミツ。フォンの話が何もかもを否定してしまうのだと本能が理解していたが、耳を塞ごうともしなかった。

 フォンにとっても、カゲミツのアイデンティティの全てを崩壊させるのは忍びなかったが、こうする他ないのも気づいていた。最初からこの事実を告げる機会があれば、こんな恐ろしい事件を発生もさせなかっただろうと悔やみながら、フォンは告げた。


「カゲトラを処刑したのは、僕の師匠である先代フォンだ。彼がカゲトラを処刑したのは、百人斬りを成し遂げたからでも、畏れられるほど邪悪だったからでもない……彼が忍者の力を過信し、己の慢心に身を染めた矮小な人間だったからだ」


 先代フォンから話を聞いた限りで、三代目フォンの知るカゲトラは、忍者と呼ぶにはあまりにも人格面で未熟な者だった。

 人を傷つけ、術をひけらかし、他者に敬意を払わない。それでいて忍術はそれなりに会得していたので、傍から見れば奇怪な術を使って夜を恐怖に陥れる最強の忍者に見えなくもなかったのだろう。といっても、実力でも見てもたいしたものではなかったのだが。


「彼は里を抜けて夜な夜な人を殺したけど、数はたったの五人だ。彼は自分を恐怖で崇め奉らせるように、百人斬りを成し遂げたと吹聴した。自身の功績を誇大して伝説を残そうとしたカゲトラだけど、里から処刑の命令が下った」


 そんな愚か者が暴れていたのなら、忍者は身内であろうと容赦なく始末する。


「忍者の秘密を世に広めかねないと判断されたんだ。僕の師匠がその処刑人で、彼によってカゲトラはあっさりと捕まった。手も足も出ずに叩きのめされ、里に引きずり戻された彼の最期の言葉は、こうだった」


 いや、身内だからこそ始末するのだ。忍者の秘密をどこかに漏洩する前に、確実に処分しなければならないと判断してから、忍者の行動は早かった。先代フォンは即座に王都を暴れ回るカゲトラを探し、容易く捕らえた。

 彼でなくとも、それなりの忍者であれば簡単に捕まえられるほど、カゲトラは忍者として未熟だった。だから、里に戻され、首を刎ねられる前の言葉もこうだった。


「『自分の行いは全て嘘だ、二度と悪事を働かないから許してほしい』」


 絶望的なまでに惨めで、間抜けで、愚かだった。

 名前と偽りの所業だけが広がった伝説の存在。真実はというと、同情の余地もないほど情けない男。淡々と話すフォンに、カゲミツはそれでも反論しようとする。


「……証拠はないだろう……父上がそんな、惨めな、哀れな人間などと……」


 それすらも、フォンはポケットから取り出したアイテムで黙らせた。

 彼の手に握られているのは、緑色の表紙の巻物。


「……カゲトラの処刑に関する巻物だ。父が遺した大嘘の禁術を記した巻物を知っているなら、それが偽物だとは思わないはずだよ。記されているのは……全て、真実だ」


 彼が投げ渡した巻物を、カゲミツは狂ったように開いて凝視した。

 びっしりと書き連ねられた文字の何もかもが、彼らの父がどのような人間だったかを示していた。同時に、フォンの言葉が一言一句間違っていないとも。

 これらが嘘だと一蹴できれば、どれほど楽だったか。どれほど安心できただろうか。フォンの酷く虚しい顔を見れば、彼の発言が紛れもない真相であり、追い求めていた何もかもが偶像に過ぎなかったと知らされた。

 巻物を読み終えたカゲミツは、虚ろになった顔を上げ、誰にでもなく呟いた。


「……我らは、いったい……何の、為に……」


 目はどろりと濁り、死人のようだった。

 何人も殺した。尊敬する父の為に殺した。

 その果てが、これか。

 戦意も、敵意も何もかもを奪い取ったと判断したフォンは、ゆっくりと背を向けた。


「これから君の妹を止めに行くよ。もしも自分の行いを悔いて、自首する気があるなら、僕の仲間のもとに戻ってくれ」


 そして、カゲチヨを追うべく、音もなく走り去ってしまった。

 遠くからカゲミツの絶叫が聞こえたが、フォンは振り返らなかった。

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