第40話 猫と忍者


(襲名したとは言ってるけど、教えを受けたと思えない……なのに、なぜ名前を?)


 十二代目カレンとやらの名前を名乗れた理由をフォンが考えていると、わなわなと体を震わせたカレンが立ち止まり、彼を指差して怒鳴った。


「じゅ、術を見せびらかすなと言っておきながら、何でござるか、その行動は!」


「こんなのは術ですらないよ。ただの技能の一つだ、修行すれば誰だってできる」


「ふぬぬー……!」


 カレンは顔を真っ赤にして、今にも湯気が出そうなほど怒っているが、フォンからすれば何一つおかしな話ではない。センスが求められる忍術と違い、相応に修業を積めば誰だって会得できる技能で、忍者の基礎中の基礎とも言える。

 それができないカレンが、忍者の常識からすればおかしいのだ。

 憤死しかねない様子のカレンを見て、クロエがこっそりフォンに耳打ちした。


「フォン、もしかして、実力差を見せつける為にこんなことを?」


「半分はね。慢心させない為にやったんだけど、逆効果だったかも。もう半分は、彼女が修行を受けていないのを確かめたかったんだ」


「修行を受けてない? そんなので、忍者になれるの?」


「まず無理だね。けど、僕の予想が当たっているなら……」


 眉を寄せたフォンはクロエに自分の意見を告げようとしたが、先にとうとう、カレンの癇癪玉が炸裂した。


「ええーい、こうなれば拙者が先にオークを見つけ、一人で生け捕りにしてやるでござる! お主らの助けなど不要、いつまでもいい気になるなでござるよ!」


 何とカレンは、フォンよりいいところを見せつけてやるのを目的と挿げ替えてしまい、三人を差し置いてずかずかと大股で歩き出して行ってしまったのだ。

 通り過ぎられたフォン、クロエ、サーシャは今度こそ、呆れを隠し切れなかった。


「本来の目的、忘れてない……?」


「こいつ、忍者より戦士に向いてる。熱い血潮、サーシャ、感じる」


 どんどん歩いていくカレンを、誰も止めようとはしない。特にフォンは、やれやれといった調子で、彼女が今最も聞きたくない文言を羅列してゆく。


「……忍者の掟、其の十七。『昂りを表に出すなかれ』。続いて掟、其の十八……」


 口を開けば掟の話ばかり。忍者なら守って当然、知っていて当然と言われ続けるだけでなく、制約を延々と聞かされているようで、カレンからすれば耐えられなかった。


「掟、掟と! そんなに掟が大事なら、それだけを守って生きていれば――」


 早歩きをしながら振り向いて、ぎゃあぎゃあと喚くカレン。

 前も見ず、どかどかと不慣れな泥道を進めばどうなるか、彼女以外は知っている。


「――え、ちょ、ぶぎゃぁっ!?」


 素っ頓狂な声と共に、地面から隆起している太い幹に足が引っ掛かり、カレンは思わずつんのめってしまった。正面を向いた時には、もう体は前のめりになっていた。

 勢い余って泥に突っ込むかと思いきや、それだけでは済まない。木の幹の先にあったのは、平らな道ではなく、陥没した大きな窪みだったのだ。受け身を取ることすらできず、カレンの姿は鈍い音と共に、三人の視界から消えた。

 身体能力は高いが、忍者特有の直感は薄いようである。


「――『昂りに目を奪われることなかれ』。ついでに言っておくと、掟に縛られるのと、掟を心に留めておくのとはまるで違うよ。覚えておいた方が良い」


 小さなため息とつきながらフォンが遅い警告をすると、クロエが笑った。


「ふふ、フォンはその辺り、一番実感してるもんね。ところで、カレンは……」


「地面の窪みに落ちたみたいだね。のびてるみたいだし、引き上げないと」


 カレンの自業自得とはいえ、いつまでも穴の中で気を失わせておくわけにはいかない。三人は泥濘を避けながら、木の葉の影になって薄暗く見える穴に近づき、覗き込んだ。

 きっと、泥だらけで目を回している、情けない女の子がいるのだろうと思った。

 若しくは、憮然とした表情で、悪の忍者が自分より優るのに納得しない表情をしているカレンが大の字で寝転がっているのだろうとも思った。


「…………え?」


 果たして、どちらでもなかった。

 少し深い穴の奥でぐったりとしているのは、人間ではなく、滑らかな藍色の毛並みと二又の長い尻尾を持つ、人ほども大きな猫だった。

 クロエも、流石のサーシャも、息を呑んだ。落ちているのが正義感に溢れた、間の抜けた人間であれば納得できたが、まさか目を閉じて時折呻くだけの猫がいるなど、とても予想などできなかったのだ。

 若い虎ほどの大きさの猫から目を離せず、クロエが思わず呟いた。


「何、これ? でっかい猫の、魔物?」


 一方で、フォンはさして驚いた様子も見せずに、静かに言った。


「……やっぱり」


「やっぱり? フォン、お前、知ってたのか?」


 彼の顔を見ながら問うサーシャに、彼はじっと猫を見つめたまま答えた。


「昨日すれ違った時の匂いと、歯の形、四つ足の挙動。こうして見るまでは信じられなかったけど、間違いない――彼女は人間じゃない、猫型の魔物だ」


 フォンは昨日すれ違う前から、初めて向き合った時から、カレンの正体が人間ではなく、魔物か、その類の生き物ではないかと予測していた。

 四足獣特有の戦闘態勢、人よりは獣に近い体臭(女性に言ったら殴られるだろう)、陽の明るさで変わる黒点の細さ、その他の気になる点を挙げればきりがない。とにかく、フォンが彼女を煽ったのは、カレンの真の姿を探るのも理由だったのだ。

 大まかではあるが正体を掴んでいたフォンとは違い、クロエはぎょっと驚いた。


「この魔物が、人間に化けてたの!? 聞いたことないよ、そんなの!」


「確かに、人に化ける魔物はいても、猫型の魔物でそんな能力を持った種族はいない。けど、手段はある。忍者の使う術の中でも、使用を禁じられた術――」


 フォンは、正確に言えばごく一部の限られた忍者は、知っていた。


「――禁術『獣人変化の術』なら、或いは可能だ」


 忍者ですら使うのを憚られる、禁忌の忍術――『禁術』の存在を。

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