第10話 ヒーロー・ピンチ

 巨大な牙を携えた二つの頭を持つ、家屋よりも大きい栗毛の猪。紛れもなく、これがツインヘッドブルだ。何やら相当殺気立っているようで、鼻息が煙のように立っている。


「こいつ、ツインヘッドブルか!」


「お、大きい……本当にこんな魔物を倒すんですか!?」


 初戦でとんでもない相手と鉢合わせ、半ばパニックになるパトリス。そんな彼女を差し置いて、一番槍と言わんばかりに、サラとジャスミンが突っ込む。


「ビビってる暇なんてないよ、新入り! ナイトならしっかり仕事してよね!」


「ちょうどいい、来たんならぶっ潰してやる、おらぁ!」


 まずは、跳びかかったサラの右ストレート。多くの敵は、これで脳を潰される。

 だが、今回は違った。猪の頭は鉄のように硬く、殴ったサラの拳が割れそうなくらいに傷んだ。猪の反撃を受けないように、彼女は後退する。


「なっ……どうなってんだ、こいつの体! 滅茶苦茶に硬てえぞ!」


「ババアは下がってたらー? 私の剣なら、こんな豚、ミンチにしちゃうもんね!」


 今度はジャスミンが、背負った一対の剣を抜いて、猪の体を滅茶滅茶に切りつけた。これもまた、いつもなら魔物を肉塊に変えてしまうのだが。


「……あ、あれっ? おかしいな、なんで?」


 ジャスミンの額から、汗が噴き出した。猪の肌に生えた毛、その一本一本が鎧であるかのように、ジャスミンの剣を弾き返したのだ。

 それはクラークも同様で、勇者の剣技を披露しているのに、ちっとも傷がつかない。


「どういうことだよ、俺の剣も通じねえぞ! こいつら、弱点はどこだよ!?」


 弱点。勇者の声で、ふと、誰もが思い出した。


「私達、弱点っていつも、どうやって探してたっけ……?」


「たまに誰かが言ってくれてただろ、おい、誰だよ! いつも弱点はあそこだとか、底を狙えとか言ってくれたのは誰なんだよ!?」


 そういえば、そうだ。弱点を誰かがいつもは教えてくれて、その通りに攻撃すれば魔物は斃れた。この手の魔物に対しても、弱点は必ずあるとか言っていたような気がするが、誰だっただろうか。


「……もしかして」


 マリィだけが、何となく思い出した。いつも皆を気にかけていた、ある声を。

 しかし、彼女が答えを言う前に、クラークがマリィを呼んだ。


「クソッ、もういい! マリィ、俺とお前の魔法で纏めて焼いてやるぞ!」


「う、うん! 火炎ファイヤー……」


 二人が両手に炎を溜め込み、猪にぶつけようとするが。


「ブモオオォォ!」


 明後日の方向から聞こえてきた唸り声と、突進音によって掻き消されてしまった。

 二人は咄嗟に回避したおかげで怪我はなかったが、目の前の現状に呆然とした。なんと、一頭でも苦戦したツインヘッドブルが、もう一頭いるのだ。

 猪は息を合わせ、片方がクラークとマリィ、もう片方がサラとジャスミン、パトリスを狙う。無駄のない動きを前に、勇者達は完全に防戦一方だ。


「お、おいおいおい、どうなってるんだ! なんでもう一頭、来やがったんだ!」


「まさか、番だったの!? 私達が気づかなかっただけで、ここも縄張り!?」


 彼女達では気づけなかっただろう。慎重なフォンであったなら、岩場の陰に隠れた糞や、臭いから通り道であるのに気付けたかもしれない。

 全ては、手遅れなのだ。戦闘役二人が、猪に叩きのめされているのも、仕方ないのだ。


「うがあああ!?」


「ちょ、痛だい、痛だいいい! やめろ、この馬鹿猪いいぃ!」


「サラ、ジャスミン! パトリス、何やってんだ! ナイトなら防御を……」


 クラークは叫んだ。ナイトはどこにいるのかと。


「う、うう、ううう……!」


 果たして、ナイトは戦場の中央にいた。

 恐怖で動けなくなり、縮こまっている。いくら所有する鎧や盾の質が良くても、才能をクラークが認めても、彼があわよくばハーレムの一員に加えようと企てるほどの美人でも、実戦経験のなさが、彼女の恐怖の許容値を小さくしたのだ。


「……ビビって動けねえって、どういう訳だ、パトリスぅ!」


 とうとう激昂したクラークが怒鳴り散らすが、パトリスは震えるばかりで動かない。どんどん追い詰められ、撤退の機会すら失いそうだと判断したマリィが、勇者に進言する。


「クラーク、ここは、ここは退こうよ。パトリスがああなってるし、このまま戦っても、勝てっこないよ!」


「何だとぉ!? こんな猪相手に、勇者が逃げ出すってのかぁ!?」


「じゃないと、サラとジャスミンが死んじゃうよ!」


 プライドか、仲間の命か。依頼の失敗か、仲間の死か。

 クラークは悩んだ。どちらを選ぶべきか一目瞭然だと言うのに、彼の思考能力は鈍りに鈍り切っていた。それでも、蹄で殴られるサラの悲鳴を聞いて、遂に彼は決心した。


「…………クソ、クソクソクソォッ! お前ら、一旦退くぞ!」


 撤退を選んだ。彼らにとって恥であり、失望であるが、それでも選んだ。

 尤も、猪の方は逃がすつもりはないだろう。背を向ける一行を逃さんと言わんばかりに、鼻を鳴らし、追撃を繰り出してくる。

 だが、今はとにかく逃げるばかり。クラークが、サラに怒鳴る。


「サラ、パトリスを引きずって来い!」


「な、何言って……」


「言う通りにしやがれ! さっさとしろぉ!」


 いつもの、クラークに陶酔した目はどこへ行ったのか。


「ちぃ、あんたが一番、怪我してないってのによ……!」


 クラークを呪い殺しかねないくらい睨みつけながら、パトリスを引きずるサラ、半泣きでどたどたと走るジャスミン、フォンの不在とその弊害に気付きつつあるマリィ、気づいてはいるが、絶対に認めないクラーク。

 砂まみれ、傷だらけ、心は棘だらけ。もう、依頼を遂行できる状態ではなかった。

 パトリスの初陣は、敗走と呼ぶのに相応しい、無様な結果となった。

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