40 死闘



 本気を出した魔族の力は、さながら暴風のごとく、俺たちを蹂躙しようと迫りくる。その無尽蔵とも思える魔力を使い、ほとんどの魔法を無詠唱で行う魔族は、攻撃速度という魔法戦において絶対的な優位を保ち続けることになるからだ。


 それに対抗するため、こちらも当然、無詠唱を強制されることとなる。その結果、本来は知略戦の要素が強い魔法戦ではありえない、高速戦闘の様相を呈することとなった。



 その攻防は、魔族が本気を出してからの約十五秒で行われた。



 魔族の腕に魔力の高まりを感じる。その魔力から属性を読み取ろうとするが、すぐに判断がつかない。基本属性ではない? その可能性を思い浮かべた時、魔族の腕にパチッと何かがはじけるのが見えた。


 ――雷っ!


 同時に気付いたアイーダは、どの属性魔法をぶつけるか一瞬の逡巡を見せる。だが雷に対してその隙は命取りになる。魔法は自然現象に準拠する。なら、雷の恐ろしさはその速度にある。


「水っ!」


 叫び、自分でも水を補助する魔法を構築する。


「――っ『清流波アクアリング』」


 水の防御となればとっさに出てくるのは先ほど使ったその魔法だ。水が周囲にあふれ出すと同時に、魔族の手から目にもとまらぬ速さで電撃が流れ出す。


 俺は詠唱する暇もなく、アイーダが出した水魔法に対して、回復魔法をかけた。回復の種類は治癒ではなく除去。本来であれば消毒に使われる魔法だ。


『――ちっ』


 水の盾に雷がはじかれ、魔族が小さく舌打ちした。回復魔法によって不純物のほとんどが取り除かれた水は、電気を全くと言っていいほど通さない。そのままアイーダは電撃を受け切った。


「『土壁ドーム!』」


 魔法使用後の一瞬のスキを突き、アイーダが土属性魔法で魔族を閉じ込める。「土壁」は初級の防御魔法。自分の周りを壁で囲って攻撃を防ぐ魔法だが、それをあえて相手の足止めに使う。


 魔族を完全に閉じ込めることに成功する。だが所詮は初級魔法。その強度はたかが知れている。そこで俺の魔法だ。


「――『氷炎地獄ニヴルヘイム』!」


「氷炎地獄」、超高温と超低温による同時攻撃。その威力と習得の難しさから、「爆界」と同様、禁呪指定されている魔法だ。高温で熱せられた土壁は、マグマのように赤熱する。そしてそれが収まらないうちに急速に冷凍することで、初級魔法の「土壁」でも相当に強固な牢獄となる。


 当然、中の魔族には一切のダメージは入らない。俺の魔法を信じているのはアイーダだけだ。


「……っく」


 偽りの魔力とは言え、禁呪を無詠唱で発動したことで瞬間的な頭痛とめまいがする。が、ここで立ち止まるわけにはいかない。


「氷炎地獄」が完了すると同時に、アイーダが魔法の詠唱を完了させる。


「『千針絶唱アイアンメイデン』っ‼」


 魔法の発動により、土壁の中から何かを貫く鈍い音がいくつも重なって聞こえる。土属性魔法「千針絶唱」は、土の形状を無数の細い針に変化させ、その針がなくなるまで対象を貫き通すというえげつない魔法。硬質化した「土壁」と地面から延びる針は、通常の「千針絶唱」とは比べ物にならないほどの強度を誇る。


「土壁」の効果が解け、ガラガラと音を立てて崩れ去る。その瞬間、一筋の赤い閃光がアイーダに向かって伸びる。


「くっ」


 魔法では間に合わない。俺はとっさにアイーダの前に身を躍らせ、ローブから二本の短刀を取り出してその閃光を横にそらす。すると、その赤い閃光は急に推進力を失い、次の瞬間にはびしゃっと地面にはじけ落ちた。


 ――なんだ? まるで水のような……。


「っ! 血か!」


 そう叫んだとたん、「土壁」のあった場所から矢継ぎ早に同じような赤い閃光が繰り出される。それを俺は二本の短剣で、アイーダは「炎拳」の魔法を使って叩き落していく。


 なるほど、水属性魔法で自分の血を操っているんだ。水はその特性上、形態変化が最も容易な魔法。その分、操るための水を出現させるという手間が必要だが、奴は自分の血を使うことでその手間を無くしているんだ。


 だがこれだけの血を操っているとなると、奴自身の出血も相当量のはずだ。なりふり構っていられなくなっての攻撃だろう。なら、攻めるは今!


「アイーダ!」


「うんっ!」


 その一言を合図に、俺たちは左右、それぞれ別の方向へと走り出す。血の攻撃が一瞬だけやんだ。狙いがつけられなくなったのだろう。俺とアイーダは魔族をはさむように接近する。――そして高威力の魔法を叩きこもうとした、その時――、


「――っ!?」


「……いない?」


「土壁」の跡、おびただしい量の血で染まっているそこに、魔族の姿はなかった。


 ――なぜ? ついさっきまで、確かにここから血の攻撃が放たれていたのに。――血の攻撃、水属性魔法……。


「まさかっ!」


『遅い』


 ――その声とともに地面からは大量の杭が現れ、思考停止した俺とアイーダは為す術もなく、その鋭い先端に体中を貫かれた。




『どうだ、体中を貫かれる気分は……?』


 そう言いながら、魔族は地面から這い出してきた。その体は無数の傷でおおわれており、全身は真っ赤に染まっていた。


 油断した。血の攻撃が「土壁」から放たれていることで、完全に魔族がそこにいるものと思い込んでいた。魔法は己の肉体から離れた場所で発動すればするほど、その制御が難しくなる。血をあそこまで細く鋭い形状にするには、体に付着する血を使わなければならない。


 逆に言えば、体に付着さえしていれば、その制御は容易だ。魔族は「土壁」が崩れると同時に地面に潜み、その指だけを血だまりに着けてこちらを攻撃していたんだ。


「っかは……」


 吐血する。体中を貫かれ、身動きが取れないだけじゃなく、一部内臓にまで杭が届いているのだろう。


 うまく動かない頭を動かし、アイーダを探す。――いた、魔族を挟んだちょうど反対側で、俺と同じように拘束されている。意識はあるようだが、保っているのがやっとのようだ。


 自分だけでは何もできないが、アイーダに回復魔法をかけることくらいなら――。


『させんよ』


「――っぐッ!」


 そう思った瞬間、鋭い痛みに、悲鳴を上げそうになる。


 何が……? 痛みの原因を探ろうと、自分の体を見下ろした。すると……。


「っ! これはっ」


『気づいたか。そう。この杭は生きている』


 体を貫く杭が、かすかにだが、確かに動いている。そうして動くたびに傷が広がり、体の内側から傷つけられる痛みが全身を襲う。


「――っっぬ、あァっ!」


『ぐっ、さすがに魔力を使い過ぎたか。まさかレオン=レトナーク以外に、この魔法を使わされることになるとは』


 ……く、魔法の発動に必要なのは集中力。特に無詠唱には不可欠だ。この状態ではとても集中なんて……。


「――づっ、アアァアっ!」


 そう考えている間にも、この動く杭が体中を食い散らかす。生きながらにして食われている気分だ。


『……認めよう、貴様たちは強い。なればこそ、今日、この日、この時、この場に立ち会うことを許そう』


 全身の傷のことを忘れたかのように、魔族の目が爛々と輝いている。


『――時間だ』


 そう言って空を見上げる魔族の瞳には、狂気が宿っているように見えた。


 魔族の背後にそびえる扉がゆっくりと開いてゆく。


「――なっ、」


 なんだこの、おぞましい魔力は。


 開いた扉の向こうから、邪悪な性質を持った魔力とともに禍々しい、黒い光が漏れだしてくる。

直感で理解する。そうか、あれが魔族の言っていた神、『ベル=ゼウフ』。


 ならば、魔族がこの後とる行動も自然と予想がつく。その前に、どうしても、この杭から逃げ出してアイーダをッ……!


「があああッ!」


 だが、それを魔族が許すはずがなかった。


 魔族は一歩一歩、踏みしめるようにアイーダへと近づいていく。


 願うしかなかった。逃げてくれアイーダ、目覚めてくれアイーダ、そんなことしかできない自分が情けなくて、痛みよりも先に涙が溢れそうになる。




――また俺は、約束を守れないのか……。




 誰か、助けてくれ。


 俺のことはいい。元より、助けを求める資格など無い。だがせめて、アイーダだけは。



 ――そう願った時だった。



『ぐふっ……』


魔族の腹から、一本の剣が突き出てくる。


「いま、この瞬間なら、油断してくれると思ったよ」


 魔族の背後から剣を突き刺したのは、俺のよく知る男だった。


「ジョ、シュア……?」


 なぜここに、何をしに、どうして、どうやって? 山ほどある疑問は、今この場所にジョシュアがいるという驚きにすべて塗りつぶされていく。


「見ていたよ、その扉の陰から。……魔法の才がないことを今日ほどうれしく思ったことはない。おかげで、俺は誰にも警戒されることなくここにたどり着くことができた」


『……ぐ、き……さま』


「何も言わなくていいよ、魔力で気配を探れるんだろう? でも戦闘に集中しているときなら話は別だ。俺如きの魔力に気を割いている余裕は、あんたにはなかった。あとは勝利に酔いしれているところを狙うだけだ」


 ではまさか、最初から? 俺とアイーダが家を出た時からずっと、地上から後を追っていたのか。誰よりも王を、魔族を恐れていたお前が、たった一人で――。確かに、言えば俺とアイーダは確実に反対する。戦闘センスのない人間がここにきても無駄だからと。だが、ジョシュアの言う通り、油断しきったときならばそんなことは関係ない。だが、何故だ? なぜジョシュアは今、このタイミングで出てきた?


 人が最も油断するのは、勝利を確信した時だ。でも、今までの戦闘を見ていたのなら分かるはずだ。今更、剣で貫いたくらいでその魔族は死なないと。


『ふ……、機を誤ったな。いくら重傷とは言え、その程度で我は死なぬ』


「それはどうかな」


 魔族の言葉に、ジョシュアは不敵に笑う。


「言ったろ? 見てたって。あんたの障壁は確かに優秀だ。でも、万能じゃない。同時に全方位には張れない。発動に一秒未満だがタイムラグがある。不意打ちには対応できない。そして……至近距離では発動できない」


「っ!」


 そうか、もしあの距離で障壁を発動できるのなら、「土壁」の中でも発動して「千針絶唱」を防ぐことができたはずだ。


「――まさか、やめろっジョシュア‼」


 そしてそれが分かれば、ジョシュアのやろうとしていることもおのずとわかってしまう。あの至近距離で使える、ジョシュアが持つ最も攻撃力の高い魔法……それは。


「地獄への道行き、付き合ってもらうぞ」


 そしてジョシュアは、魔族に剣を突き刺したままその魔法を唱えた。




――『爆界ムスペルヘイム』と。




「――ジョシュアアアアアアアッッ‼」


 謁見の間に、三度目の爆音が轟く。


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