33 罪滅



 ここに戻ってくることは、恥だ。


 ジーンのいる家の扉を前にして、私は立ち止まっていた。


 先ほど、この中であったことを思い出す。何も知らない平和ボケした子供が、どうして戦争はなくならないの? と泣き叫んでいたようなものだ。


 私は、自分が恥ずかしい。だが、ここで背を向けたら、もっと恥ずかしい人間になってしまう。


 それだけはどうしてもいやだった。


 確かめなくてはならなかった。


 兄と話して、ジーンの過去を聞いて。そして、私が生きている理由を考えて。


 私は、彼ともう一度話さなくてはならない。そして確かめるのだ。


 彼が、過去と今と未来、いったいどこにいるのかを。


「いいタイミングだ。ジョシュア。爆界は使えるな? それと合わせて、土属性魔法でド

ームを作ってほしい。最大限に火力を上げた自爆攻撃じゃなければ、奴は倒せない」


 扉を開けると、ジーンが話しかけてきた。もちろん私にではない。兄のジョシュアに向けてだ。ただ、その中には聞き逃せない単語が混ざっていた。


「ジョシュア?」


 私がその言葉について考えていると、少し苛ついたようにジーンがこちらを振り返る。


「――ぇ」


 そして私の姿をその視界に収めた瞬間、今までに聞いたこともないような間の抜けた声を出した。こんな状況でもなければ、きっとお腹を抱えて笑ってしまっただろう。


 けれど、彼も私も、今はそんな状況ではない。


「何をしに戻ってきた」


 間抜けな声とは一転、厳しい口調で彼は私に問う。しかし、私はその問いには答えない。それよりもまず、私が彼に問いただしたいことがあった。


「自爆攻撃って何」


「俺の質問に答えろ。何をしに――」


「自爆って何ッ!?」


 有無を言わさぬ口調で、私は彼に詰め寄った。実際、聞かなくてもその内容は理解できた。きっと魔族を殺すための策なのだろう。ジーンのような秀才でも、その方法でしか奴は殺せないと判断したのだ。


「……お前には関係ないだろう。早くここから去れ」


 低く、苛立ちを隠さない声でジーンが言う。その声音に緊張するが、恐れを抱きはしない。魔族を殺す手がないとは言え、その策を容認するわけにはいかなかった。だって、その作戦では失われるものが多すぎるから。


「……わたしから、たったひとりの家族も奪うの?」


 我ながら意地の悪い言い方だと思う。私と母を道具として扱い、偽物とはいえ長年連れ添った兄を殺した彼に向かって、その言葉を吐くのだから。


 一瞬だけ、彼が目を伏せたのが分かった。


「お前が、今更ジョシュアの家族面をするのか? 偽物にも気づかず、あまつさえ、本物よりも偽物の方を肯定したお前が」


 しかし、彼は私以上に性格の悪い言葉を返してくる。


「……っ」


 けれど、彼がそう言ってくるだろうことはわかっていた。だって、自分でもきっと同じことを言うから。私がさっきここを出ていく前に言ったことは、本当に、言ってはならない言葉だったのだ。私のように、何も知らずに、平和に生きてきた者が言っていい言葉ではなかったのだ。


 だから、答えなくてはならない。


 私が、ここに戻ってきた本当の理由を。


「わ、私は……っ」


 自分の犯した罪を数えに来た。


「あなたにも……死んでほしくない」




 あなたに殺される覚悟を持って、ここに立っているのだと。




 ジーンの表情が固まる。まったくもって予想外。そんな反応だった。


 たしかに、今の私の言っていることは、つい数十分前の自分とは全くの別物だ。どんな心境の変化があればここまで意見を変えられるのかと、我ながらあきれるほどだ。


 けれど、


「二年前のこと、聞いたわ」


 真実を知れば、それは否応なしに変わってしまう。


「――っ!」


「何も知らずに、ごめんなさい」


 私は目を伏せる。


 謝って、許されることではない。そんなことはわかっている。でも、謝らなければならないことだった。ジーンの憎しみも、悲しみも、怒りも。私は何一つとして理解できていなかった。それどころか、想像しようとすらしていなかったのだ。


 何も知らないのだから何もできない。そんな言い訳で済ませてはいけない。


 なぜなら、その感情の片鱗を私も知った。つい昨日いや、体感的にはついさっきと言ってもいい。母を失う悲しみを、兄を失う痛みを、何もできず、ただ守られているだけの悔しさを。だからこそ、それが許されないということもわかってしまう。


「……そんな簡単な言葉で、俺が満足するとでも思っているのか」


 ひどく、悲しい声だった。目の前でその顔を見ていてなお、泣いているのかと錯覚してしまいそうなほど。


「思わない。けれど、言わなくちゃならないと思ったの。あなたが私のことを嫌いでも、それでも、あの楽しかった過去を忘れたくないから」


 あの美しかった過去を否定したくない。もし、ここで私が自分の罪から目を背けたら、それはあの楽しかった時間さえも否定することになる。そんなことは絶対に、したくなかった。


 忘れてはならない。あの日の記憶は、語り合った言葉は、これから先、ジーンが前を向いて生きていくためには絶対に必要なものだから。


「随分と、手前勝手な考え方だ」


 そう思われて当然だ。


 あの日語り合った未来に、私だけがいた。みんなと一緒に過ごしたかった時間を、私一人だけが過ごしていた。光の当たる場所でのうのうと。


 ……だからこそ、もうそんなのはごめんだ。


「ええ。だって私は私だもの。私はいつだって、自分の言いたいことしか言わない。自分のやりたいことしかやらない! ……今だって」


 私は私の意志でここにいる。過去を過去のままにしないために。あの日思い描いた未来には、もう届かないのかもしれない。みんなで日の当たる場所を歩くことは、かなわないのかもしれない。

なら、もうできることは一つしかない。


「ならっ! どうしてお前はここにいる。俺の目の前に立っているっ! 自分から逃げ出したお前が。現実なんて、何も見えていなかったお前が!」


 現実なら、もう教えられた。


 いや、「もう」じゃない。「ようやく」だ。大切なものを失って、初めて知った。大切なものを失っていたことをようやく知ることができた。


 悲しみも、憎しみも、ようやく理解することができた。それでも、この思いを二年間も一人で噛みしめてきたあなたの想いは、私には想像することすらできない。


 想像すらできない、ということを、ようやく私は理解できた。


「あなたに謝るために。死んでほしくないと伝えるために。……あなたの」


 だから、私はあなたと一緒に歩くために、あなたと一緒に歩きたいから……。


「復讐を認めるために」



 あなたの復讐のためになら、殺されてもいいから。



 そう言うと、ジーンは表情を凍らせて黙ってしまった。


「ふ、ざけるな」


 待っていると、命を枯らすような声で、彼はそう言った。


「そんな、簡単にっ! 知った風な口をきくなッ!」


 そのこぶしを血が出るほどに握りしめ、


「昨日今日家族を失ったやつに、俺の憎しみが分かってたまるかっ!」


 痛みをこらえるように歯を食いしばって、


「噛みしめてきた悲しさも、悔しさも! 無力さも! 毎日毎日、夢の中で家族が殺される恐怖も! お前なんかにはわからないッ!」


 雫がこぼれぬようにと、きつくその瞳をつむっていた。


「自分の都合のために他者を犠牲にする覚悟も、自分の命を懸ける覚悟すらも持てないやつが! 簡単に俺をみとめるなァッ‼」


 狂おしいほどの怒りと、悲しみと、悔しさと、苦しさに耐え続け、


 復讐という業火でその身を焼くことで、感情の、心の痛みをごまかし、生きている。


 それほどまでに苦しみながら、それでも、自分のために誰かを殺すことを、簡単に認めることができなかった。


 感情を復讐で塗り固め、業を背負いながら生きてきた。


 彼は気づいているのだろうか……?




 自分の瞳から、大粒の涙が流れていることに。




「やっぱり……殺しておけばよかった」


 ジーンの右腕に魔力が宿っていく。


 そう、これでいい。伝えるべきことはすべて伝えた。復讐が終われば、考えることができるようになるはずだ。私の言葉の意味を。


 憎しみという枷が外れ、復讐という檻が壊れたとき、ようやくジーンは、自分の失ったものを数えることができる。失ったことをきちんと悲しむことができる。


 その時、私の言葉を思い出してくれればいい。あなたの復讐は、未来に向かうための復讐であったと。あなたが生きていくことを望んでいた命があったと。


「俺の前から消えろ、アイーダッ!」




 あなたが未来へと歩くことが、私にできる唯一の罪滅ぼしだ。




 衝撃が、体を貫く。



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