31 対話



 ああ、甘い。我ながら。


 アイーダ、あれは魔族を倒すうえで必要なピースだったはずだ。敵の弱点をこちらが握っているようなもの。魔族がアイーダを必要としている限り、こちらには一定の優位性が保たれる。


 だというのに……。


 なぜ俺は、追い出すような真似をした……?


 アイーダの母、クイナ・キャバディーニに頼まれたからか? ……まさか。人に頼まれた程度で変えられるような決意ではない。それは自分でもよく分かっている。


 アイーダは殺す。それは確定事項だった。復讐のために仕方なく、ではない。俺が自分の意思で殺すと決めていたのだ。俺は、単純にあいつが憎かった。俺が欲しかったものを全て持っているように思っていた。一番近くにいたからこそ、自分が魔法を使えないと知ったとき、誰よりも遠くに行ったように思えた。


 それに、……いや、これは逆恨みだ。あのきれいごとをメイアに伝えたのは俺なのだから。

仮にアイーダが魔法の象徴ではなかったとしても、俺はあいつが殺したいほどに憎い。そして殺せるタイミングも、いくらでもあった。


「何をやっているんだ、俺は」


 アイーダはもう、戻ってこないだろう。


 魔族と戦ううえで、アイーダの魔法は一応、戦力になる。それ以上に人質としての価値が高い。アイーダさえこちら側にいれば、あの厄介極まりない魔族を相手取れる手段はまだあったのだ。なのに、そんな大事な道具を、俺は手放した。


 自分の選択に疑問を覚える。なぜだ、と。どうして逃がしたのか、と。


 さらに不思議なことに。俺は、アイーダを手放すという自分の行動に、何の後悔も抱いていなかった。


 この二年間、常にささくれ立っていた感情が、今は不思議と落ち着いていた。







 ジーンは変わった。いや、戻ったというべきかもしれない。


 アイーダと話していて、そう思った。今日のジーンは、あまりにもらしくなく、そしてそれ以上に、昔のジーンらしかった。


 この二年間ジーンは……、ジーンだけじゃない。俺たちは、殺すことしか考えていなかった。誰を殺すか、順番は、殺し方は、死体はどうするか。俺は殺す道具を作り、ジーンは殺し方を学んだ。


 無論、時には笑い合うときもあった。それは、俺たちが見ることはないであろう、魔法のない世界を夢見て。全ての復讐が終わり、俺がジーンに殺され、ジーンが自害した後の世界を夢見て。何とも俺達らしい、殺伐とした笑顔だった。


 復讐を決意して以来、そんな風にしか感情を表に出さなくなった。成し遂げるのに、復讐や憎しみ以外の感情は不要だったから。



『――大っ嫌いだったよ』



 ジーンがアイーダに放った言葉を思い出す。


 あれほど直接的な言葉を言うのは、俺たちが手を組んだ時以来じゃないろうか。復讐のため、怒りと憎しみのため、感情をむき出しにしたジーン。


 あいつは気付いていないだろう。気付いていたとしても、否定する。




あいつにとってアイーダという存在は、復讐と同じくらい大きな意味を持っている。




 ジーンはアイーダを遠ざけた。自分から、そして戦いから。自分のそばにいると、殺したくなってしまうから。戦いに巻き込むと、守ることができないから。

もちろん、他にも理由はあっただろう。たとえば、偽物の方がよかったと言われた、俺への気遣い。それと、本音もある。アイーダのことを嫌いなのは嘘ではないだろう。だが、それでもそばにいた。昔から。嫌い以上の感情があるのだ。


 きっとそれは、アイーダも。



「もう、失いたくないんだろうなぁ」



 俺のつぶやきは誰に届くこともなく、乾いた空気にとける。


 俺は共犯者だ。同じ暗闇にいるものだ。傷のなめ合いはできても、癒すことはできない。あいつを救うことができるのは、きっと……。







 答えが出ない問いは精神を摩耗させる。


……アイーダを殺さなかった理由は、ひとまず頭の隅に追いやっていた。どうせもう会うこともない。そんなことに悩むなんて時間の無駄だ。


 問題は、魔族。奴をどう殺すかだ。奴を殺さなければ、俺の復讐も、ジョシュアの革命も果たされない。すべてが無駄に終わり、すべての死が無駄になる。そんな結果は許容できない。


 俺の魔法の種はもうばれている。あの力に頼ることはできない。かといって、そこいらの警備兵や木っ端騎士のように小細工で倒せるとは思っていない。だとすれば、俺の取れる手段は暗殺しかない。


 魔族も生命体だ。殺すことはできる。人の体をしているのだから、急所もおのずと判明する。問題は、急所に届くかどうか。魔法による身体強化、防御、それと治癒もだ。治癒は解明されていない技術だが、アイーダやジョシュアができたのだ。魔族も当然、できると考えていいだろう。


 つまり、不意を突いての一撃で即死、ないし致命傷を与える。それしか手はない。


 そこまで考えて、俺は謁見の間での魔族のありようを思い出した。


「――っ」


 あの濃密な魔力、能力に裏打ちされた不遜な態度、存在自体の格が違うと思わされるプレッシャー。


 不意を突いたところで、あの存在を殺せるのか?


 無理だ、と。考えるまでもなく答えを出す。


 手で顔を覆い、天を仰ぐ。こんなことをしたのはいつぶりだろうか。


 ――詰み、だ。


 どう考えても、あれを殺せる未来が見えない。


 希望的に考えれば可能性はある。だが、その楽観は自分を殺すだけだ。残された選択肢は……。


「爆界を核にした……範囲自爆攻撃」


 俺に魔法は使えない。だから魔法を使うのはジョシュアにやってもらう。あいつは戦闘は苦手だが、自爆なら何も関係はない。たとえ禁呪でも一度使う程度の魔力は持っている。ジョシュアの自爆を魔族は止めない。ただの自爆で殺せないのはクイナ・キャバディーニの命で証明されている。


 発火草を基礎とした爆薬を奴の周囲に仕込み、全方位から同時に高火力の爆発を浴びせる。魔法が完成するまでに俺が仕込みを終えて、あとは全身に爆薬と油を仕込んだ俺自身が爆弾となって魔族に接近する。これで爆界を大きく上回る火力が出るはずだ。クイナの爆界で謁見の間が崩壊する程度の爆発が起きたことを考えると、恐らく王宮を破壊できるだけの火力は出るはずだ。


 だが、……もう一押し欲しい。爆発範囲が広すぎての密度が足りない。となると……。


 考えていると、後ろでギィ、と扉の開く音が聞こえた。アイーダを追いかけたジョシュアが帰ってきたのだろう。


「いいタイミングだ。ジョシュア。爆界は使えるな? それと合わせて、土属性魔法でドームを作ってほしい。最大限に火力を上げた自爆攻撃じゃなければ、奴は倒せない」


 対魔族の作戦をかいつまんで説明する。ジョシュアは一を言えば十を理解する。これだけ言えば俺の策を理解するだろう。


「……?」


 いつもならすぐに返事がある。それどころか作戦の欠点から改良案まで出してくるのがジョシュアという男だ。魔族を実際に見ていないから答えあぐねているのか、それとも自爆作戦はさすがに拒否したいのか……。いや、後者はないだろう。今更自分の命を惜しむような、生ぬるい男ではない。


「ジョシュア?」


 いい加減、沈黙が腹立たしい。言いたいことがあるなら早く言え、でなければ質問に答えろと、俺は扉の方を振り向いた。


「――ぇ」


 そこには、アイーダがひとりで立っていた。


 思考が止まった。


 ……え? なんで?


 少し考え、自分が今恐ろしく間抜けな面をさらしているのではないかと思い、表情を取り繕う。


「何をしに戻ってきた」


「自爆攻撃って何」


「俺の質問に答えろ。何をしに――」


「自爆って何ッ!?」


 アイーダの剣幕に、少々面食らう。こいつがここに現れたことも驚きだが、その言葉の激しさにも驚きを隠せなかった。アイーダは、怒っている。何にかと聞かれれば、さっきから言っている自爆攻撃に、だろう。だが、


「……お前には関係ないだろう。早くここから去れ」


 低い声で、そう告げる。


 正直、少し腹が立っていた。あれだけ言って追い出したのに、ここに戻ってくるふてぶてしさ。少し考えればわかることを、当然のように尋ねてくる無神経さ。


 やはりこいつを使って魔族に復讐をしようか、そんな考えが一瞬だけ浮かぶ、が、それは泡のように一瞬で頭の中から消えていった。理由は……やはりわからなかった。


「……わたしから、たったひとりの家族も奪うの?」


 ジョシュアのことか。

 

 確かに、自爆攻撃はその命を以って行う。当然、俺とジョシュアは死ぬだろう。自分の兄の命が使われようとしているのだ。なるほど、確かに関係ないことはない。けれど。


「お前が、今更ジョシュアの家族面をするのか? 偽物にも気づかず、あまつさえ、本物よりも偽物の方を肯定したお前が」


 ついさっき、お前がこの場所で叫んだ言葉だ。私のお兄様とお母さまを返して、と。あれは、決して言ってはならない言葉だった。


「……っ」


 案の定、アイーダは押し黙る。ここでおためごかしの無駄口をぺらぺらと叩くようなら、俺は今度こそ本気でこいつを追い出していた。


 きっと追いかけたジョシュアと何か話したのだろう。ジョシュアと話してはじめて、自分が何も考えていない、お飾りの象徴だと気づいたのだ。そして、自分にも何かできないかと思ってここに来た。ついさっき、自分が言いたい放題言って、そして否定された場所に。


 よく恥ずかしげもなく戻って来られたものだ。そこに関してだけは評価するよ。


 ……特に考えているわけでもないのに、アイーダへの批判が、憎まれ口が思い浮かぶ。ようやく理解した。「大っ嫌いだと口では言ったが、本心ではどうでもいい存在だと思っている」というのが、自分の中でのアイーダに対する認識だった。けれど、それは少しだけ間違っていた。


 復讐とか、完全適性とか、そんなものを抜きにして、俺は普通にこいつのことが嫌いなんだ。性格とか、考え方とか、なまじ古い付き合いだけに、こいつの考えることが手に取るようにわかってしまう。そしてその甘えた考え方が、反吐が出るほど嫌いなんだ。


 ああ、一つスッキリした。殺せなかったんじゃない。殺す価値もなかったのだ。だから俺は、こいつを遠ざけた。もう顔も見たくないから。口もききたくないから。


 魔族の対策のため殺伐としていた考え方が、アイーダと話しているうちにほどけていくように感じた。


「わ、私は……っ」


 黙っていたアイーダが、決意を固めたように口を開く。




「あなたにも……死んでほしくない」



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