13 魔力


「アイーダ・キャバディーニ、召喚に応じ参上いたしました」


 一日に二度も謁見の間に入るなど、想像していなかったな、と。そんなことを考えながら王にひざまずく。


「楽にせよ」


「はっ」


 いつも通りにかけられる声。だがその声に、いつもの王からは感じない感情が乗っていることに気づく。


 ――隠しきれない歓喜。日頃、揺らぐことのない厳格な国王だからこそ、その感情の機微はわずかなものでもよく分かった。


「喜べ、アイーダよ。準備が整った。そなたが待ち望んだ、そなたにしかできぬ役目だ」


「っ、本当ですか!?」


 王の言葉に思わず立ち上がる。そうしてから、自分の子供っぽい反応と非礼に気づき居住まいを正した。


 しかし、抑えきれない胸の高鳴りに、この反応は仕方がないだろう。二年間、私は魔法の訓練に日々明け暮れていて、貴族として国に頼られることが今までなかった。それがようやく、それも王からの勅命で、私にしかできないことだという。これが興奮せずにいられるだろうか。


「よいのですよ、アイーダ。あなたのその感情、私にもよく分かります」


 王妃が先ほどの非礼を笑って流してくださる。いつも穏やかな方ではあるが、いつにもまして機嫌が良いようだ。それだけ私にしかできない役目というのが重要なことなのだろう。その準備が整ったことで、謁見の間にはいつにない穏やかな空気が流れていた。


「それで、その役目というのは……」


 待ちきれず、自ら問う。おそらく今の私の目は期待に満ちているのだろう。そんな私の顔を見て、王がふっと笑う。


 王が玉座から立ち上がり、杖を掲げる。仰々しく、大げさな動作は私の期待感を大きく膨れさせる。これから始まるものは、私の役割は一体どんなもので、この国にどれだけ貢献できるのか。私が今まで生きてきた意味が、ようやく示されようとしている。期待と感動がないまぜになり、私の感情を支配する。


 だから、王の持つ杖から放たれた光を見て、私は表情を硬くした。




 その光が、輝きが、ひどく――禍々しかったから。




 輝きとともに玉座の背後にある壁が開いてゆく。何度もこの場には来ているのに、壁が扉になっているなんて気づきもしなかった。そして開くと同時に、その感覚はやってくる。


 光の禍々しさをはるかに凌駕する、吐き気を催すほどの気配。経験したこともない感覚、そのはずなのに、この気配には覚えがあった。


「ま、さか……。これは――」


 二年前、与えられた力。今日まで磨き続けた力。


「――魔力」


 そのつぶやきを、王は聞き逃さなかった。


「さすが、完全適性者だ。そう、これは貴族たちに授けてきた魔力の根源」


 頭の中でなにかが警鐘を鳴らしている。それが生存本能であると、遅れて理解する。早く逃げろと、このままでは命の保証はないと、私自身が叫んでいるのだ。だがその本能に、魔法使いである自分の理性が歯止めをかけようとする。


 いや、歯止めではない。認めようとしていないのだ。今まで頼ってきたものが、世界のすべてだと思っていた魔法が、魔力が、こんなにおぞましいものだったことを。


「この国を支配して五百年、完全適性者は誰一人として生まれなかった。魔法は停滞し続けた……。だが! それも今日で終わる! アイーダよ、魔力の申し子よ! その身を捧げ、国の礎となれ!!」


 扉の向こうに『何か』が見える。この気配を、膨大な魔力を発し続ける本体だ。溢れ出る魔力が実体を持ったかのように体中に絡みつく。そして、


「――っな、待って! まだ、私は!」


 引き寄せられる。私の中にある魔力が壁の向こうにいる何かに引かれていく。


 逃げ出したい、絡みつく魔力を振り払って走り出したい。そう思っているのに体は動いてくれない。肉食獣を前にした草食動物の感覚、とでも言えばいいのだろうか。恐れの感情が体の自由を奪っている。


 これが、私の役目……? 私の、生きた理由……? 


 走馬灯のように、いや、実際にこれが走馬灯なのか。私の経験が、生きた記憶が、足跡が、次々に脳裏をよぎっていく。


「そんな……、私は、まだ何もしていない。私の意志で、力で、何も為していない……」


 それなのに、ここで終わってしまう。終わってしまうことこそが、私の役目、だった。


 諦めという言葉が脳を刺す。その時、駆け巡る記憶の渦の中で、一人の少年の姿が止まる。


 笑顔ではない。優しくもない。


 その姿は、私に初めて見せた慟哭、初めて、彼が涙を見せた瞬間だった。




「――ごめんね、ジーン」




 諦めとともにそうつぶやいた瞬間、背後からありえないほどの暴風が吹き荒れた。


「アイーダっ!!」


 風とともに、引き寄せられる力が消える。


 どんっと床にしりもちをつくが、痛みを無視して声の方を見た。彼が助けてくれた、そんな幻想を胸に……。


「お、お母さま!?」


 視線の先には、どこかに外出していたはずの母の姿があった。


 なぜここに? 魔力の嵐の中、どうやって魔法を? 叫びたい疑問はあったが、それもこの場に母が現れたことですべて吹っ飛んでしまう。


「っクイナ……! 邪魔をしおって」


 母の妨害に、王が憎々しげな眼を向ける。私を助けだした魔法によって、禍々しい魔力は感じ取れなくなっていた。杖の輝きも失われ、ゆっくりと玉座の背後にある扉が閉まる。


「くっ、今夜はもうだめか……!」


「騎士よ!」


 王が歯噛みする中、王妃はすぐさま判断を下す。謁見の間の扉が開き、外から近衛騎士が次々と入ってくる。


 その中には兄、ジョシュアの姿もあった。


「その二人をとらえよ!」


 王妃の命令で、騎士が私と母をそれぞれ取り囲む。ここで拘束されてしまえば終わりだが、逃げ場もない……。どうすればいい――。


「集え」


 考えていると、母の詠唱が耳に入ってきた。


「我が想いを糧とし、呼び起こせ。踊る爆炎と暴風――」


「お母さま、その魔法はっ――!」


 必死に手を伸ばすが、届くはずがない、止められるはずもない。その詠唱は禁呪に分類される魔法。



「この身を焦がし、すべてを破壊せよ。求めるは神をも穿つ灼熱の炎! ――『爆界ムスペルヘイム』!!」



 その瞬間、母を中心に世界を砕くような爆発が起こった。


 耳をつんざく轟音、騎士たちの悲鳴、王の怒声。崩壊する謁見の間。


 謁見の間は生半可な破壊力ではびくともしないほどに固い。それが今、崩れようとしている。それほどまでの威力を持つ魔法、禁呪『爆界ムスペルヘイム』。自らを犠牲にした、自爆魔法。使用者は、高確率で――。


「お母さま――――っ!!」


 崩壊に飲み込まれる直前、体が誰かに救い上げられる。


「アイーダ!」


 それが兄ジョシュアであることに気づくこともなく、私はただ母の姿を探す。崩れ行く謁見の間の中で、騎士に捕らわれる母の姿が目に入った。母は、乱雑な扱いにうめく。



 ――生きてる。



「お母さま! お母さま!」


 私を抱える腕を振り払おうともがく。けれど力強いその腕をほどけない。


「だめだ、アイーダ! 間に合わない!」


 何を言われているのかわからない。頭の中にあるのは母を助けるという考えだけ。それさえもまともに思考できず。ただただ、私は叫ぶ。



「お母さま――っ!!」



 崩れる瓦礫に、その叫びはこだますることもなく掻き消えた。





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