10 情報屋



 燃える。


 燃える。


 粗末な家は焼け落ち、やせた荒野はさらに渇き、人が、その命を文字通りに燃やしていく。スラム街の住宅密集地で容赦なく火を放ち、住民の心には消えることのない業火を刻み込んだ。


「これは報いだ……。く、はは」


 炎の中で、その笑い声だけが命ある音として響く。ただ、



「アハハハハハハッハハハ……っ!」



 声が自分の耳に届くころには、どうしてか、悲鳴にしか聞こえなくなっていた――。





 燃えカスと、死体と、血だまり。それらを見下ろしていると、一人の青年がやってきた。


「……間に合わなかったか」


 情報屋だ。


「間に合わなかった、だって? お仲間を助けに来たのか? 残念だったな、手遅れだよ」


 スラムの住民をまとめるのに、情報屋の協力は不可欠だ。主犯だと断定してもいいくらいに。だが、青年の口から出た言葉はその想像を裏切るものだった。


「気づいたときには手遅れだった。止めようと……したんだ」


「――っ!」


 ――何を、きれいごとを。口が動く前に、体が動き、青年を地面へと押し倒していた。握りしめていた左手のこぶしで胸倉をつかみ、乱暴に、頭を地面へと打ち据える。



 その時ひらりと、と白い刺繍が手のひらから零れ落ちた。



「これ……は?」


 目ざとくそれを見つける青年に、呪いの意味を込めて告げる。



「妹だ」



「っ!?」


「それが妹だ! メイアだ! 焼け崩れた家で! ようやく見つけた、あいつの生きた証だ! ……何を驚いている、すべてお前がやったことだろうが!」


「違う……違うんだ」


「何が違う! お前が裏で仕組んでいたんだろっ! 動かしやすかっただろうさ、スラムのことを何も知らない俺たち兄妹は! なぁ!?」


 それでも青年は首を振った。まるでいやいやと首を振る子どものように。そのしぐさに怒りを叩きつけようと、俺は無い右手を高く上げ……。



「違うんだ。ジーン」



 その手を、宙で止めた。


「どうして俺の名前を知っている。……お前にも、スラムの誰にも、名乗ったことはないはずだ!」


 俺が貴族だとわかっていたのか? あるいは青年もマクレインの息のかかった人間なのか、いや、この際どうでもいい。どちらにしろ、ここで殺せばいいだけの話。そう考え、再び魔法を発動しようと力を籠める、が――。


「――っ!?」


 魔力が、無くなっている。


 どういうことだ? さっきの戦闘を見ていたのなら、俺の魔法が使えるはずだ。魔法そのものは見えていなくても、俺の目の前で粉微塵に切り刻まれる男の姿を見ているのだから。


「すべて話す。だから、聞いてくれ……」


 俺の殺気を受け止めてなお、青年は絞り出すような声を出す。だがその声からは、俺に対する恐れのようなものは一切感じ取れなかった。


「お前たちにこの場所を教えたのは、少しでも暮らしを楽にさせるため、ここの住民から遠ざけたのは、搾取から守るため。くず鉄の換金率が高いなんて嘘をついたのは、お前の生活を助けるためだった」


「……嘘……だと?」


「それが、結果的にお前たち以外の住民がまとまるきっかけになっちまった。暗殺のおぜん立てを……俺が整えてしまった」


 貴族の世界で生きていると、徐々に磨かれてくるものがある。偽りの笑顔、偽りの涙、偽りの恫喝、あらゆる嘘に囲まれた世界は、俺に嘘を見抜く力を与えてくれた。


 なのに……。


 今、この青年の口から語られたことに、一つの嘘も見つけられなかった。


「なんで、そんなこと……。馴れ合うなと言ったのはあんただろッ!」


「すまない……本当に――すまない」


 何も答えず、ただ謝り通す青年に、


「くそがっ!」


 苛立ちをぶつけるように腕を振り下ろし、その頬を打ち据える。


 いままでスラムで生きられたのは、間違いなく青年のおかげだった。なのに……。



「どうして、……あんたなんだ」



 その小さな幸せを壊したのも、間違いようもなくこの青年だった。


 募る苛立ちと抑えようのない怒りを抱えたまま、力なく青年の胸を叩く。握りしめた左手と、握りしめることもできない右手で。


「……」


 青年が無言で、俺の右腕を掴んだ。


「……?」


 疑問のままに見つめ返すと、青年は信じられない言葉を口にした。


「――集え」


「っな!?」


「我が命を糧とし、かの身が負うあまねく汚れを浄化せよ。神にも届き得る、天上の光よ」


 青年の左手から溢れた魔力が、俺の体を包み込む。その量も質も、先ほど俺が使ったものとは段違いだ。



「――『献身ライフ』」



 体を包む魔力が全て体の中へと入っていく。そして、


「嘘だろ、右手が……」


 ジョエル・マクレインに切り落とされたはずの右手が、きれいに再生されていた。


「俺の知らない詠唱に、魔法名、そしてこの効果……」


 あまりにも強い力ゆえに、王によってその習得を禁じられた魔法。


「まさか――禁呪?」


 習得を許されているのは公爵家などの一部の貴族のみだと、以前アイーダに聞いたことがある。中には、世界そのものの存続を揺るがすほどの魔法すらあると。それほどの魔法を、何故スラムの情報屋が使える?


 どういうことだと青年に詰め寄ろうとする、が、口を開くよりも早く青年が気を失っていることに気が付いた。


「……反動か」


 青年の使った魔法が禁呪であることは、もはや疑う余地はない。だが、なぜ青年に魔法が使えるのかは依然としてわからないまま。


「っクソ、気に入らない」


 吐き捨てるように言い、俺は倒れた青年の腕を肩に回し、立ち上がる。足を進める先は彼の店だ。そこ以外に落ち着ける場所など、今のスラムにはない。俺が全て焼き払った。


 青年のことを知らなければならない。だがそれ以上に、――二度も救われた。この恩を仇で返すことが、俺にはできなかった。


「本当に、……気に入らない」




 それがたとえ、幸せを奪った張本人だとしても。



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