09 復讐



 人間というのは、何かに縋らなければ生きていけないのだろう。作りかけのリリーの刺繍を胸に抱きしめながら、そんなことを思った。


 メイアの遺体は見つからなかった。暗殺者に切り刻まれ、その上この爆発だ。この刺繍が燃え尽きていなかっただけでも、……幸運だと思わなければいけないのかもしれない。


 静まり返ったスラム街に、焼けた木の爆ぜる音だけが時折、響く。


 俺は縋っていた。メイアに。守るべき存在に、守らなければならないのだと、そう自分に言い聞かせて。


 結果はどうだ。


 メイアを失った俺に残されたものは、もう一つしかなかった。



「殺す」



 見ていることしかできずに、死んだ母。



「殺す」



 見ることすらかなわずに、殺された妹。



「――殺す」



 握りしめた左手に、さらに力がこもる。


 暗殺者は言った。自分が貴族直属の暗殺者だと。誰の差し金かなんて、わかりきっている。


「ジョエル・マクレイン――!」


 優しさなんていらない。クソの役にも立ちはしない。憎しみ以外の一切の感情を捨て、奴を殺す。


 そのためには知る必要がある。自分でもわからないこの力……、なぜかあの時だけ使えた、魔法の力を。あの暗殺者を殺してから、何度も魔法を試した。だが発動する兆しすら見えなかった。


業火インフェルノ』のような上級魔法だけではない。ただ指先から火を出す、ただ風を吹かせる、そんな魔法とも言えないようなものさえ、やはり俺には発動できなかった。


 あいつを焼き殺した時と何が違う? 復讐への想いか? 怨嗟か? 否。自らを燃やすほどの復讐心なら、変わらずこの身に宿っている。むしろその炎を強くして。今すぐにでも貴族を、王を、この国を! 自分自身すらも焼き尽くしたいくらいに。そう願っていても、想いは形になることはなく、ただただ胸の内を灼くばかり。


「な……なんだこりゃあ!」


 後ろから声が聞こえ、振り向く。そこにはいかにもスラムの住人といった風貌の男が三人、こちらを見て口を開けていた。リーダー格らしき男と、みすぼらしく、ぼろぼろの鎌を持った男、そしていかにも肉体自慢といった頭の悪そうな男だ。


 ――おかしい。ここはスラムの中でも中心からかなり遠い外れの場所。このタイミングでここに足を運ぶ人間。そして焼け落ちたこの場所を見た、その反応。思い出されるのは、メイアを殺した暗殺者の言葉。


『たかが出来損ないの始末に、汚ねぇスラム街のやつらの力まで借りて……』


 どうして奴はこの場所を特定できた? スラムにいる子供は俺たちだけじゃない。その中でどうして、俺とメイアを見つけることができた。


 ――決まっている。スラムの薄汚い連中が、貴族に俺たちの情報を売り渡したんだ。ああ、ここの生活は厳しいものなぁ。いったいいくらで情報を売った? 自分の食い扶持を脅かす子供だものな。いて困ることはあっても、いなくなって困ることはない。


 ああ、分かるとも。自分が生きるために他人を食い物にする。それがスラムの生き方だ。

なら……。




俺の復讐のために、死んでくれるよな?




「あ、あいつっ! 例のガキだ! 生きてやがるぞ!」


 わめく男どもに向け、火をつけた発火草を投げつける。


「うわぁっ!」


 茎が導火線となり、男たちの目前で爆発する発火草の花弁。三人のうち、だれも殺せていない。そのことに舌打ちをする。


「なんだ今の!? まさか、魔法?」


「馬鹿言うな! 魔法は貴族にしか使えねぇ。こんなところにいるガキに使えるわけねぇだろうが!」


 意外にも、頭の悪そうな筋肉ダルマが魔法を警戒する。が、中心にいる男がそれを一蹴。確かに中心の男の言うとおりだ。普通に考えれば、スラムにいる小汚い子供が貴族なわけがない。だが……。


「本当にそう思うか」


「何っ!?」


 せっかく魔法が使えると思い込んでくれる馬鹿がいるんだ。その思考。存分に使わせてもらおう。魔法という圧倒的な力に、人は恐怖する。そして恐怖は思考を停止させる。魔法が使えるかもしれない、そう思わせるだけでも有効だ。


「俺たちの情報を売ったのは貴様らだろう。でなければ今、ここに来る理由はないからな。ならば当然、俺には貴族に、王族に、暗殺されるだけの価値があるということになる」

価値など、俺には存在しない。俺が持っているのはリスクだけ。だが、そんなことは男たちにはわからない。


 中心の男が青ざめる。「ま、まさか」なんて言いながら、横の二人を盾にして後ずさり始めた。


「そんな……! 嘘だ! 貴族に……魔法使いになんて、かなうわけねぇ!」


 我先にと逃げ出す中心の男。そしてその瞬間、俺の中に一つの確信が生まれた。望んでやまなかった力が一時的に、宿る。


「我が呼び声に応え、穿て」


 左手を握ったまま前へと突き出し、式句を唱える。そして放つ。



「『炎弾ファイア』」



飛び立った火の玉は狙いたがわず男の頭に着弾。瞬く間に燃え上がり、男を火だるまに変えた。


「なんだよ! なんなんだよ! 急に丸焦げになって! 意味わかんねぇよ! うまい話じゃなかったのか!? ガキの居場所教えるだけで大金がもらえるって……!」


 残りの二人のうち、鎌を持った一人がみっともなくわめき散らす。


「そうか、貴様にはわからないのか。魔法というものが」


 男を見る。スラム街から一歩も外に出たことがないのだろう、際立ってみすぼらしい姿。理解も、想像すらも及ばない現象への恐怖に、ただうろたえるしかない情けない顔。


 その姿を視界に収めた瞬間、自分の中から何か、力が消え失せていくことが分かる。


「ふん、そういうことか」


 突き出していた左手を下げ、一歩ずつ距離を縮める。


「え?」


 混乱して何の反応もできない男は、持っていた鎌を構えることもしない。そのまま鳩尾に蹴りを入れ、そのまま回し蹴りの要領で鎌を持っている手を蹴り上げる。


 宙に投げ出された鎌を口で掴んでから、ゆっくりと左手に持ち直す。手の中にある大切な刺繍を落とさないように、零さないように。


 見れば見るほどボロボロの鎌だ。錆びも、刃こぼれもひどい。柄は土で汚れ、軽く振ってみると拵えが甘いようで、刃の部分がカタカタと揺れた。


「っこの、クソガキがぁあ!」


 蹴りの痛みから立ち直った男が、唾を飛ばしながらこちらの顔面目掛けて殴りかかってくる。粗暴で短絡的なただの拳。その攻撃とすら言えないような拳を、首を傾けて躱す。男の体臭が鼻につき、苛立ちが増した。


 顔のすぐ横を通り抜ける汚らわしい腕に向けて、左手の鎌を振るう。心も体も、抵抗を感じたのはほんの一瞬。刃が腕に当たる一瞬の感触。人の肉を断ち切る一瞬の躊躇。その中で、左手に握りこまれた一つの思い出が俺にためらいを捨てさせる。


「っぐ!」


 地を垂らす腕を抑えながら、男が低くうめいた。切り落とすつもりで振ったのに、やはり切れ味が悪い。付着した男の血を払い飛ばそうと、強く鎌を振る。すると、


 シュンッ、という風切り音とともに、目の前の男の首から血が噴き出した。鼓動に合わせた血しぶきをあげ、薄汚れた噴水が出来上がる。


「……ははっ」


 あまりにも出来過ぎた偶然に、逆に笑みがこぼれてしまう。拵えが甘いとは思っていたが、まさか刃がすっぽ抜けて、それが男の喉を切り裂くとは。


「う、嘘だ。あんな鎌で人が殺せるかよ……」


 残った最後の一人、筋肉ダルマが震えた声でつぶやく。


 完全に偶然のたまものなのだが、丁度いい。実験に付き合ってもらうとしよう。


「魔法を知ってるお前なら、分かるだろう」


「なんだよ、そりゃあ……。炎だけじゃなく、風刃スラッシュまで……」


 その言葉に、ほくそ笑む。


 やはりこいつ、少しは魔法を知っているらしい。柄だけになった鎌を手離す。からんと音を立てて汚れた木の棒が足元に転がった。自分の片頬がいびつに吊り上がるのを、他人事のように感じる。


「我が呼び声に応え、踊れ」


 男の周囲を風が、刃が、包み込むように回り始める。



「『鎌鼬《サイクロン》』」



「やめろ、やめろ! やめろぉぉおお!」


 男を取り巻く無数の刃は、その叫びに応えるように、体を切り刻む直前で進行を止める。


「……?」


 涙目で周囲をうかがう男に、俺は問う。


「答えろ。俺たちのことを教えたのは一体誰だ?」


 なおも疑問の表情を浮かべ続ける男に、俺は重ねて問う。


「お前たちが情報を売ったことはもうわかっている。だが、どうして俺たちが金になると分かった?」


 そもそも、おかしい話なのだ。俺とこいつらに面識はない。俺たちの住処はおろか、実の父に追われている貴族だ、なんてこと思いつきもしないだろう。新参者の子供、という情報だけで俺たちに目を付けたのだとしても、そんなあやふやな情報じゃ金にはならない。


「……おかしいことはいくらでもあった。情報屋以外、俺たちに声をかけてくる奴が全くいないこと。スラムの新入りなんてカモ同然だ。適当に言いくるめて金になるものだけ奪えばいい。そして家の場所。誰も手を付けていない空き地。なら、誰も手を付けない理由があるはず。たとえば、希少な香辛料の群生地で、独占しないという暗黙のルールがある、とかな。だから人もめったに来ない」


 これらが指し示す答えはただ一つだ。



「情報提供者は情報屋と、スラムの住民、全員だな」



 スラムの人口は多くない。ある程度顔が広ければ、暗殺の対象は消去法で絞られる。そして住民は結託した。俺たちを売り渡し、その報酬を山分けしよう、と。それが誰も俺達に関わらなかった理由、そして、あの場所に住み続けられた理由だ。


 男の額から滝のように流れる汗は果たして、自分たちの行いがばれたためか、それとも今、目前に迫っている死への恐怖か、おそらくは後者だろう。こいつらに、人を利用する知恵はあっても、人を気遣う気持ちは無いのだから。


「安心するがいいさ。俺たちを売ったやつら全員、同じ場所に送ってやるよ」



「ぎぃぃぁああああああっ!」



 品のない悲鳴を上げて、男はひき肉になった。



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