02 さよなら



「っはあっ……! はあっ……!」


 俺は息を切らしながら、それでも走ることを止めずに足を動かし続けた。ちぎれそうなほどの痛みを覚えるが、そんなことはどうでもいい。


 どこか、遠い場所に行きたかった。誰も自分のことを知らない、そんな場所に。いや、違う。行きたいんじゃない。ここからいなくなりたいだけだ。逃げたいだけだ。


 広場に出て、限界を訴える足を休ませる。本当は止まりたくなかったが、どれだけ命令しても足が動こうとしなかった。


 いつの間にか、貴族街の最北端に位置する展望広場に来ていたらしい。王国の、城下の景色が目の前に広がる。商業区、居住区、歓楽街にスラム街。王城と貴族街を背にして国を見下ろし、謁見の間で言われた言葉と、それに対するどうしようもない感情が蘇ってきた。



『出来損ない』


『紛れ込んだ害虫』


『下賤の輩』



 それらの言葉が自分に向けられているのだと気づいた瞬間、俺は何かを探そうと、必死に周りを見渡した。その探し物が何だったのかはわからない。俺を励ましてくれる言葉だったのかもしれないし、受け止めてくれる優しさだったのかもしれない。

けれど、そんなものはどこにもなかった。


最後に視界に入ったのは、同期の制止を振り切って俺の元へ駆け寄ってきたアイーダの姿。俺に向けて伸ばされた手のひら。そして、その手を触れさせまいと間に立ちふさがる、ジョシュアの姿だった。


今までに見たこともないほどに、冷え切った目をしていた。その視線に耐えきれず、俺は逃げ出した。俺が走り出そうとしたとき、ジョシュアは何かを言いかけていたように思う。


 最後に、ジョシュアは何と言っていたのだろうか。耳に届く前に走り出してしまったから、聞き取れはしなかった。けれど、今思い返してみれば、口の動きだけでなんと言おうとしたのかは予想できた。



『王国の恥』



 きっと、そう言っていた。


 眼前に広がるこの光景を、この国を、俺は守っていく存在になる。そう信じて疑わなかった。けれどその夢は、当然のように信じていた未来は、完全になくなったのだ。


 この国は、王が貴族に魔力を授け、それにより民を守ることで成り立っている。歴史上、魔力を持たない貴族など誰一人として存在しない。子供でも知っていることだった。そう、今日までは。


 うずくまり、頭を抱え、



「ぅ――――ぁぁっ!」



 叫びが、音にならずに喉を締め付ける。


「……ジーン」


不意に名を呼ばれる。


一瞬だけ、なんて不甲斐ないところを見られたんだ、と思ってしまうが、今の俺には「不甲斐ない」なんて言葉では不十分だろう。こんな姿、謁見の場での醜態に比べれば取るに足らない。


 名前を呼んだのが誰かなんて、分かりきっていた。



「アイーダ……」



 俺は立ち上がり、その名を呼ぶ。それだけで、消えたくなった。自分で自分の存在を許せなくなった。


「ジーン……、これは間違いよ。間違いに決まってる! あなたに魔力が宿らないなんて、そんなのおかしいじゃない!」


 その言葉を誰よりも信じたいのは、他でもない、自分自身だった。これは悪い夢なんだと、走りながら何度も思った。でも、だからこそわかる。俺に魔力がないのは、どうしようもない現実なんだと。


「お前も見ただろう……、いや、お前が一番よくわかっているはずだ。俺に、何の魔力もないことくらい」

 


 俺を慰めるな、俺を憐れむな。



アイーダ。幼馴染で、ライバルで、完全適正者のアイーダ。他の誰でもないお前が……、




お前が、俺を憐れむな……っ!




「すべての魔法を使えるお前にっ……わからないはずないだろうが!」


 初めて、アイーダに怒鳴った。その眼を見ないよう、うつむいたまま。


 こんな声が出るなんて、自分でも驚きだった。当然アイーダも、俺の声にひるんでいた。


「で、でも……」


 気丈にも、アイーダは言葉を紡ぐ。


「魔力がなくたって、魔法が使えなくたって、ジーンはジーンだよ。……ねぇ、歴代主席なら、魔法がなくたってみんな認めてくれるよ……。ねぇ、魔力がなくても、できることは、たくさん……あるはずだよ?」



――黙れ。



 けなげに、ただ俺のことを思って紡がれる言葉を、けれど俺はこれ以上聞きたくなかった。


「この世界は……魔力が全てなんだ。わかるだろう? ずっと一緒に学んできたんだ。魔力のない人間が、この国を守れるわけがない……。俺の夢は、もう一生、叶わないんだ」


「そんなことない! ジーンの努力はみんな見てる、みんな知ってる! 魔力がないくらいでジーンの価値はなくなったりしない!」



――黙れ!



「生きる意味なんだ、魔力は、魔法はッ! 俺の人生は、学院での生活は、努力は! それが……全て、が……。全部ッ……無駄、なんだ」


 声が枯れ、怒声はむなしくひび割れる。誰に届くこともない俺の悲鳴は、地面にぶつかり、自分に跳ね返ってくるだけ。


「でも……でも! 魔法が全てなんておかしいよ! ジーンの人生は、私と一緒にいた時間はッ……」




「もう黙ってくれッ!」




 魔法が全てじゃない、そんなこと、魔法を使える人間が言っていい言葉じゃない。それを言っていいのは、今、この世界で俺しかいない。


 俺の叫びの先で、アイーダはおびえたように泣いていた。初めて見た涙だった。


 もう、彼女の前にはいられない。いたくない。見たくもない。いまだに震える両足を動かして、涙を流すアイーダの横を通り過ぎる。

 

 さよなら、アイーダ。



「もう俺は……君を守れない」




 レンガの広場に二つの影が落ち、暗い地面に小さな染みが滲んだ。





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