第18話 修行


 セシルとフレデリカは十メートル程離れ、向かい合っている。


 こうなっては言い訳も、逃げる事すらできないと諦めて、真面目に向き合う事にしたセシル。


 大きく深呼吸をして意識を集中させる。


「先に言っておくと、今回の修行は二つの意味がある。一つは私もたまには身体を動かしておかないといざという時に思うように動けない。まぁ本音は二日後に行われる貴族パーティーの準備だがな」


 それにはセシルも納得である。


 伯爵家レオナルド・ユリアスが主催するパーティーで女王陛下や上流貴族が集まる場である。内容はレオナルド家の御氏族レオナルド・イースターの誕生日会でもある。本当の目的はレオナルド家も何かしらの名目を立てて女王陛下との結婚を狙っているとセバスチャンとフレデリカから聞いている。確かにカルロス家と同じく結婚候補に名が上がっている。セシルがカルロス家の名に泥を塗ったのでレオナルド家が本格的に動き出したのだ。


「そこで何があるかわからん以上、私も準備が必要なのだ。だから半分は私の為と思って貰っても構わない」


「なるほど……それで私の修業とそれがどう関係があるのですか?」


「カルロス家当主もこのままでは危険だと考えたのが動き出した。先週カルロス様が王城に来た時後ろにいた執事だが、あれは私やセバスチャンと同じくカルロス家を代々支えてきた一族の者だ。そいつがカルロス家当主ではなくカルロス家次期当主と行動を始めた以上、こちらも万全の準備が必要なのだ。特にセシルは弱い。よって強くなってもらわないと女王陛下だけでなく私達も色々と心配なのと大変なのだよ。もう私もセバスチャンも年だからな」


 確かにセバスチャンとフレデリカも年…………え?


 今も現役バリバリの人間がどの口で言っているのかと言いたくなるぐらいにピンピンしている。


 それはもう信じられないぐらいに。


 最早どれが本当でどれが冗談なのかがわからない。


「まぁ王族になれる機会等そうそうありませんからね」


「そうだな。だったら女王陛下を力、権力、金、……と他にもあるがそれら全てからお護りし女王陛下が望む方とご結婚が出来るように全力を尽くすのも私達――使用人の役目だと思わぬか?」


「それはありますね」


「先代が言われていた。例え相手が貴族じゃなくても女王陛下が心から愛し民達も文句が言えないぐらいに凄い人間だったらそれは叶うのではないかと。この国は独立国だ。他国の干渉は基本的に受けない。だったら自国だけの問題を解決すれば全てが解決する」


 確かにその通りだ。


 先代女王陛下とはあまり話す事がなかったセシル。


 だからどんな人なのかは詳しくは知らない。


 だけどフレデリカの言っている事は確かにその通りだと思った。


 この国は独立国だ。そして女王陛下が結婚候補と結婚をしなければと言う目に見えないプレッシャーはあくまで国内に住む民達の目を気にしてである。そこに他国の干渉は基本的にはない。だったらフレデリカの言う通り、結ばれる相手が自分じゃなくても主の幸せの為に頑張るのもまた使用人の務め。


「かしこまりました。ではフレデリカ本気で行きますよ?」


 覚悟が決まった。


 この修行が女王陛下の幸せに繋がるのであれば全力で行くしかない。


「いい目つきだ。本気で来い、セシル!」

(さぁ、ここにいる使用人達にも見せてやれ。お前の価値を)



 フレデリカが肩の力を抜き、小刻みにステップを入れて戦闘態勢に入る。


 警戒心を限界ギリギリまで持っていき、一歩一歩ゆっくりと近づいて行く。


 セシルの手から大量の汗が出ており、薄く白い手袋を湿らす。


 ヤバイな……この時点でもう身体が緊張している。だけどこの速度ならフレデリカが何をして来ても対応できる。落ち着け、落ち着け、落ち着け……。セシルは自分の心にそう言い聞かせながらゆっくりと近づく。


 そしてフレデリカが瞬きの為に目を閉じた、一瞬をセシルは見逃さなかった。

 突如、セシルが爆ぜるように動く。

 一瞬でセシルとフレデリカの距離が詰まる。

 力強い踏み込みから放たれた軽捷(けいしょう)な蹴りがフレデリカの顔面を掠め、刹那に続く右ストレート回し蹴りの連続攻撃。


「ほう、腕をあげたか」


 余裕の笑みを浮かべながら、それをバックステップと最小限の身のこなしだけで躱すフレデリカ。

 そんなフレデリカを逃がさないように、セシルの電光石火の連続攻撃。


「うそ!? なにあれ?」


 アリスは驚きに満ちた声で言う。

 しっかりと見ていたはずなのに、全然見えなかった。

 アリスは呆然とセシルを見つめる。


 セシルはフレデリカに反撃の隙を与えないように、攻撃の手を休めない。

 軽くステップを踏みながら、油断なくフレデリカの次の動きを予測し追い詰めていく。


「これでは反撃に移れないか……」


 周囲を確認しながら、セシルの怒涛の攻撃を時に受け止め、時に受け流し、時に躱しながら攻撃を見極めていく。

 そしてセシルの動きに合わせて、セシルの放った拳に、上から被せるようにしてカウンターを狙う。その動きはとても柔らかく無駄がない、何より見た目以上の破壊力を秘めている。


「――ガハッ!?」


 フレデリカの拳がセシルの腹部を抉るようにしてめり込んでいく。

 すぐに攻撃を中断し次の攻撃に備えるが、フレデリカは姿勢を低くしてセシルの足を払い、そのまま回転蹴りで蹴り飛ばす。


 空中で態勢を立て直してから後方に二回転して一旦距離を取る。

 一見動きにくそうなメイド服ではあるがフレデリカにその常識は全く当てはまらない。

 すぐに呼吸を整える。


 ――あのタイミングでカウンター


 流石はフレデリカだ。

 あれでダメだとなると……もうほとんど手がないがやるしかない。


「うーん、やっぱり警戒してすぐに反撃はしてこないか」


 小刻みにステップを踏みながらフレデリカがこちらを見る。

 フレデリカの瞳を見ればセシルだけを見ている。


 下手な小細工は意味がないと判断する。


「……やるか」

 セシルは首をポキポキと鳴らし、小さい声で呟く。


「来るか……?」


「えぇ、正真正銘の本気で行きます!」


 その言葉にフレデリカが口角を上げて微笑む。

 まるでずっと待っていたと言わんばかりに嬉しそうにして。


「そう来なくては面白くない」


 警戒しているフレデリカ相手にセシルは一直線に向かって、突進した。


 格闘技と言っても何も殴る蹴るが全てではない。


 セシルは先程の攻撃に、掴む、投げる、フェイントを組み込んでいく。フレデリカが腕を使い距離を取ろうとするがその腕を掴み、足を払い空中に向かって全力で投げ飛ばす。


 どんな強敵でも空中では動きが制限される。


 そのままセシルはフレデリカが着地地点となる場所に先回りするかのように動き、着地と同時に攻撃していく。


「――ッ!?」


「まだです!」


 最後に会心の一撃が決まり、身軽なフレデリカの身体を蹴り飛ばす。


「流石ね。セバスチャン以外に私を蹴り飛ばせるのはセシルだけよ」


 すぐに追撃をしようと踏み出した足に力を入れ、動きを止める。


 フレデリカの表情から今は危険だと判断した。


「ありがとうございます」


「おかげで身体も温まってきたし、私もそろそろギアをあげて行こうかしら」


 え? ……手加減は?


 セシルの頭が急に焦り始める。


 フレデリカがそう呟いた瞬間、目に見えないプレッシャーが一気に跳ね上がったのだ。


 対峙する者を確実に仕留めると言った信念がそこにはある。


 間違えてはいけない、フレデリカのそれは倒すのではない。


 そのプレッシャーは観戦を楽しんでいた使用人達にも伝わり、全員の目を釘付けにする何かを持っていた。セバスチャンは久しぶりに面白い物が見られたと言わんばかりに微笑んでいる。


「セシル……気を抜けばどうなるかわかっているな?」


「……はい」


「その目、いい覚悟だ。ビビらずにかかってこい」


「…………かしこまりました」


 セシルとフレデリカが爆ぜるように同時に動く。


 そして本気の一撃を何度も入れていく。

 そこに防御はない――フレデリカもどうやら同じ考えらしく。

 両者は倒れるまで、全力で己の攻撃に全てを懸けてぶつかり合う。


 蹴り飛ばされても、間髪入れずに攻撃の為にその一歩を踏み出していく。


 身体中が痛い。

 女性とは思えない攻撃の数々にセシルの表情が苦しい物へと変わっていく。


 王家専属使用人同士による修行と言う名の手合わせは見ていた者の心を魅了し惹きつけた。いつまでも見ていたくなるような手合わせは気付けば五分以上続いていた。


 余裕がないのはセシル。


 余裕があるのはフレデリカ。


 だけど後一歩で決着がつきそうでつかなった。


 ギリギリまで追いまれたセシルの頭は考える事を止めて、最早直感だけでフレデリカの致命傷となる攻撃だけを捌き始めていた。


「見事だ。だがまだ甘い。これが私の本気だ」


 そう聞こえた瞬間、身体が宙に浮きそうになる。


 すぐに力を入れて踏みとどまろうとするが、旋風のような中段回し蹴りがセシルのわき腹へ直撃し強引に身体を蹴り飛ばす。


「……しまっ……た!?」


 そのまま地面を一回転、二回転、三回転と転がり、すぐに起き上がるセシル。


 息が乱れ口で息をしながらも、ゆっくりと歩いて近づいてくるフレデリカに意識を集中する。


 その時フレデリカが突撃してくる。


 反応が遅れた!? と思った時には時すでに遅し。


 フレデリカがセシルの目の前まで来ていた。


 思わず目を瞑り、覚悟を決めるセシル。


「うん。成長したな、セシル。ヨシヨシ」


 と急に抱きしめて、頭を優しく撫でてくれるフレデリカ。

 背丈があまり変わらない為、そのまま耳元で囁くように。


「少しずつでいい。まずは王城にいる者から今以上に信用され認められていけ。そうすれば女王陛下が喜ばれる」


 とセシルだけに聞こえるようにそう呟いてきた。


 そのまま子供扱いされる、セシル。


 女王陛下とアリスはちょっとだけ、やっぱりフレデリカってセシルのお母さんみたいだなと思っていた。

 周りからそんな二人への賞賛の拍手が送られた。


「ほら、早く仕事に戻れ。使用人たる者いつまでも遊んでいてはいかんぞ」


 セバスチャンの言葉を聞いてその場にいた使用人が慌てて持ち場に戻る。


「では、私もこれで失礼致します、女王陛下。それにしてもセシル頑張っておりましたな。一体誰の為に頑張ったんでしょうな……ほほほほ」


 セバスチャンは独り言を言いながら城内へと戻っていく。


「後でセシルに労いの言葉を言いに行きたいわ」


「かしこまりました」


「あの二人親子みたい……ウフフ。もう少しフレデリカの小言が続きそうだし、まずは朝ご飯にしようかしら。悪いけどアリスお願いしてもいいかしら?」


「勿論です。では私は朝ご飯をお持ちしてお部屋に伺いますのでお先に戻られてください」


「わかったわ」


 女王陛下とアリスは一旦朝食の為に、部屋に戻る事にした。


「とりあえず私の書斎にこの後一緒に行くぞ。少し話しておきたい事がある」


「かしこまりました」


 セシルはそのままフレデリカの後をついて行く。

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