第9話 閑話 エリー・アイリスの決断


 少し前からお母様から許可を頂き一人でも孤児院に来るようになった。


 いつの間にか二人の待ち合わせ場所になっていた木のベンチにセシルの姿はなかった。


 今日はもしかして忙しいのかな?


 最近心が満たされているせいか、セシルは私の隣にいると謎めいた安心感がある。

 その為、私はその日は特に気にしなかった。


 だけど何度行ってもセシルがその場所に来ることはなかった。


 もしかして他に好きな人ができた?


 そう思った瞬間、心が張り裂けそうになった。


 いきなり襲い掛ってきた吐き気にめまい、更には脱力感と最悪だった。


 なんとか私はそれらを周りに隠して急いで一度王城まで戻った。


 後日、その不安は私の体調にも支障をきたす。


 お母様はそんな私を護ってくれた。


 お父様達には最近お稽古を頑張り過ぎていてかなり疲れがたまっていたみたいと嘘をついてくれた。

 周りの人もそれで納得してくれたらしく、お稽古はしばらく全てお休みとなった。


「アイリス大丈夫なの?」


「はい、お母様」


「もう隠し通せそうにもないわね。彼と縁を切りなさい。もう会うことはないでしょうし」


「えっ?」


 私はその言葉を聞いた瞬間、目を大きくして驚いてしまった。


「それは……」


「落ち着いて、ちゃんと説明してあげるから」


 私は力が入らない身体に無理矢理力を込めて起き上がろうとするがすぐにお母様に止められた。


「彼今栄養失調なの。何でも孤児院にいた他の子供達に何年も自分のご飯をあげていたらしくね。それで身体に限界が来たみたいなの。私が個人的にはかなりの額を毎月寄付しているんだけど……借金が多いみたいで返済に終われ経営が苦しくて彼を病院には連れて行けないらしいの」


その言葉を聞いた時、すぐに察した。


初めて声を掛けた時から、私と比べると何処か顔色が悪かった。


でも本人は少し疲れているだけだと言っていたからあまり気にしなかった。


そしてそれが当たり前だといつの間にか思って、私に構ってくれるなら別に気にする必要もないだろうと思っていた。


一番最初に感じた違和感は気のせい、勘違い、と自分の都合のいいように解釈した結果がこれだ。


 セシルが良かれと思ってしていたのは自己犠牲。

 本当は薄々無理しているなってのは気が付いていた。


 ならばなぜ私はセシルを支えてあげられなかったんだろう。

 なんでご飯は毎日当たり前にお腹いっぱいに食べられる、なんて思ってしまったのか。

 なんで自分を基準に全て考えていたのだろうか……。


「…………」


「アイリス?」


「…………大丈夫です」


「もしかして彼の事そんなに好きだったの?」


 私はコクりと頷く。


 私は枕元にある一冊のボロボロの本を抱きしめる。


 これは私がセシルから貰った大切な本。


 主人公が病気でそれを励ますヒロイン――白井遥。


 その二人が手を取り合って生きていくいいお話しだと言ってセシルがくれたのだ。


 これが唯一私とセシルを結ぶ思い出の物。


 私もこの本を気に入っている。


「お母様?」


「なに?」


「セシル死んじゃうの?」


「そうね。このままだったらそうなるかもしれないわね」


「……セシル、会いたいよ」


 駄目だ。


 もう我慢できない。


 じわじわと込み上げてきた涙が目に留まる。


 そんな私を見てお母様はどうしていいかわからなくなっているように見える。


 それはそうだろう。


 今まで弱音を吐かず誰かをこんなにも深く愛そうとしなかった娘が、いきなり貴族でもないただの孤児院にいる男の子にこんなにも一途なのだから。

 貴族階級の人達での集まりの公の場では私はいつも愛想笑いをしてすぐ一人逃げるようにいつもフラフラしている。

 なのに孤児院にはこれでもかと言うぐらいにずっと居ようとするのだ。


 これではお母様が私に呆れてしまうのも無理はない。


 それでも私はセシルからもらった本のヒロインの様にセシルの支えになりたいと強く思ってしまった。


 私はチラッとお父様とお母様から買ってもらったアクセサリーが入った箱にチラッと視線を向けた。


 あれを売ればセシル助かるのかな?


 でもただの孤児院の子を助ける為にそんなことをしたら流石のお母様も激怒するだろう。


 でもセシルが助かるなら、もう会えなくてもいいから……せめて生きていてくれるのであれば……私はどうなってもいいや。


 だって好きだから……。


「お母様ごめんなさい。お母様に買って貰ったアクセサリーの一部を質に出してお金にしてもよろしいですか?」


 あぁ、お母様の表情が変わった。


 でもここで退くわけにはいかない。


 バチ―ン!!


 初めてお母様が本気で怒った。


 頬がジンジンするのにどうしてだろう……。


 痛くないのは……。


「いい加減にしなさい! なんであの子にそこまでするの!? アイリスにはアイリスに相応しい相手がいるのよ? 名誉やお金、権力だって持った男が沢山。なのにどうして……何もない彼を選ぶの?」


 私がお母様の顔を見ると、泣いていた。


 これはきっと女王陛下としての言葉であり一人の母としての言葉でもあるのだろう。


「好きになったからです。王族である私に唯一飾らない気持ちで接してくれた彼の温もりがとても優しくて受け入れやすい物だったからです」


「……彼との未来を選べば貴女は王族ううん貴族としても世の中から見てもらえなくなるかもしれないわよ」


「構いません。それで彼が生きていてくれるのであればそれで。大切な物は失ってから気が付くと言いますが、私は失う前にそれに気が付く事が出来ました。私の今一番大切な物は立場・権力・お金でもありません。彼の命です!」


「……後悔しないのね?」


 どうやら初めてここまで我儘を言った私に、お母様は反論するだけ無駄だと……違うお母様も似たような過去をお持ちだからこそ、女王陛下としてではなく一人の母として受け止めてくれたのだろう。


「……はい」


「……はぁ、仕方ないわね。本当に昔の私みたい。とは言っても親子ですもんね。お金は私が何とかしてあげるわ。だから今日は大人しく寝なさい」


「ありがとうございます」


「それからもうあの孤児院には二度と行かないと約束しなさい。そうすれば後は私が何とかしてあげるわ。でも結婚相手はちゃんとその時に自分の意思で決めなさい。いいわね?」


 お母様は私に念を押すように言ってきた。


 でもこれでセシルが生きていてくれるなら、もう会えなくなっちゃったけどいいや。


 本当は会いたいし、一緒にいたい。


 だけどそれは私の我儘でしかない。


「はい」


 そして私は深い眠りについた。


 ――今度一回だけ……。

 セシルが元気になった頃に、最後にこの想いを伝えに行こうかな……。

 それで本当のサヨウナラ……しよ。



 ――私の体調も良くなった頃。


 お母様が私の部屋に朝からやって来た。


 一体どうしたんだろう?


 こんな朝早くにと思って見ていると、お母様はベッドでまだ横になっている私の近くまで来て頭を撫でてくれた。


「だいぶ顔色が良くなったわね」


「ご心配をおかけしました」


「それで今日は二つアイリスに伝えたい事があるわ」


「はい、なんでしょう?」


 伝えたい事? それも二つ? なんだろう?


「一つ目は彼が元気になったことよ」


 それを聞いた私は自然と顔から笑みがこぼれてしまった。


 そんな私の顔を見て、お母様も喜んでくれた。


 でも本当に良かった……生きていてくれて。


「お母様ありがとうございます」


「えぇ、それともう一つ。彼は孤児院を出てもうあの場所にはいないこと」


 私はその言葉を聞いた瞬間、これではもう最後の言葉を伝える事が出来ないと思ってしまった。


 ――本当に残念だな。


「こら、そんなに落ち込まないの」


「すみません」


 どうやら顔にもハッキリと出ていたらしい。


 昔だったらお母様にもわからないぐらい平常心でいられたのにな……。


「いい、これからはお稽古、後は今まで以上にお勉強を一生懸命すること。そして誰にも文句を言わせない力を付けて、好きな人と結婚をしなさい。自分の力で私には出来なかった未来を掴む事! それが私からの条件よ。わかった?」


「はい」


「いい子ね。……ならフレデリカ入って来て?」


 返事はしたのだが、言いたい事が全くわからなかった。


 お稽古とお勉強はわかる。


 誰にも文句を言わせない? 好きな人と結婚? 未来を掴む?


 一体何のことだろう……と思っているとフレデリカと一緒に一人の男の子が燕尾服を来て私の部屋に入ってくる。


 私は目を大きくして、その男の子を見て驚いてしまった。


 そしてあろうことか、自分でも気が付いた時にはベッドから飛びあがるように出て、慌ててそれを止めようとした母の手をスルリと躱し、一直線でその男の子に駆け寄った。


「え、あっ、ちょ、フレデリカ止めて!」


「かしこまりました」


 そのまま恥ずかしそうにこちらを見てくる燕尾服のセシルに抱き着こうと大きくジャンプをした。

 が、フレデリカに身体を掴まれお母様の所までピョイと簡単に投げ飛ばされてしまった。


「あのね……貴女は……」


 今は二人きりじゃないのでお母様が私を名前で呼ばないので私は叫ぶように言った。


「遥! 今は遥!」


 私のハイテンションにお母様は怒る事すら馬鹿らしくなったのか「はい、はい」と言ってかなり呆れていた。


「なら遥。女の子がそんなにはしたない事をしてはいけませんよ。後彼とどんな関係があるかは知らないけど、彼はフレデリカがたまたま私と孤児院に行ったときに見つけた有能な執事の卵なの。だからこれからは一緒に過ごす事になるわ。それと初対面なのだからまずは自己紹介をちゃんとしてから仲良くしなさい」


「そうよね、フレデリカ?」


「はい、彼は王家に選ばれたメイドであるこの私が見込みがあると思いスカウトしました。国王陛下もそれならと大いに喜ばれ認められております。ですからお嬢様。まずはご挨拶からです」


 お母様とフレデリカを交互に見ると、アイコンタクトで何かをお話ししているように見えるけど、何て言っているかわからない。


 だけど多分、私とセシルの事について何かお話ししている事だけはわかった。


 私はセシルの前に行く。


「初めまして。私はエー……と白井遥です。これから仲良くしましょうね、セシル!」


 嬉しさのあまりつい本名を言いかけた私を見たお母様とフレデリカがよく器用に誤魔化したわねと言わんばかりに苦笑いする。


「初めまして。セシルと言います。これからもよろしくお願いします、お嬢様」


「ダメ! 私は今日から白井遥! だから今からは遥って呼びなさい?」


「かしこまりした、遥様」


 こうしてお母様の配慮により私とセシルは同じ敷地内で済む関係になった。


 ただ、残念な事に言葉通りにしか物事を受け入れられないセシルは私の本名をこの日白井遥と間違えて覚え直した事は後から知ってしまった。

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