第8.5話 閑話 エリー・アイリス


 七歳の少女――初めての恋をする――生まれて初めての。



 その相手の名前は――セシル。


 私が初めて好きになった人はいつも笑顔が素敵で優しかった。



 とても素直で黙々と誰かの為に頑張ってくれて、何より誰に対しても表裏のない誠実さがとても好印象。


 本人にその自覚がなくても、私からすれば彼は本物のヒーローみたいだった。


 違う。だったじゃなくて、本物ヒーロー。


 そんな彼と出会ったのはお母様が密かに大切にされていた孤児院に連れて行かれた日の事。


 その頃の私はとても気が強くて、ちょっとしたことでもすぐに文句を言ってしまうぐらいにとげとげしかった。


 お母様が孤児院の管理者と長いお話しを始めるといつも私は一人ぼっちになっていた。


 お母様は年も皆と近いんだから遊んでいらっしゃいといつも言ってくれたが、気が強いだけでなく人見知りが激しかった私は自分から誰にも話しかけることができなかった。


 そんな時、いつも一人寂しくお散歩していた私に対して彼が声を掛けて来てくれた。


「もしかして一人なの? いつもここに来た時は一人だよね? 僕で良かったら隣にいてあげようか?」


 その言葉を聞いた瞬間、私はこれで一人じゃない! と思うととても嬉しくてしょうがなかった。だけど、中々素直になれない私は彼にこう言った。


「貴方貧乏人でしょ? 気やすく話しかけないで」


 最低だった。


 心の中を見られたくない、知られたくない、と言った感情が邪魔して思ってもいなかった言葉を平然とした態度で言ってしまった。


 すぐに謝ろうとしたが、中々素直になれない。


 そして私が自分の心と葛藤しているとセシルが謝ってくれた。


「ごめん。僕の名前はセシル。気が向いたら話しかけて、僕で良かったらお話し相手になるから。またね」


 本当は私が謝らないといけないのに……。


 なんで言い返してこないのよ……。


 でも彼なんだか優しそうだったな……。


 それから私は孤児院に行くたびにセシルを探してはどんな人なのかを遠目でずっと見ていた。あんなに優しそうに見えても、結局のところ私が王族だから近寄ってきたのかと思ったから。周りの貴族の人達も大半は家柄の為に私と仲良くし利用しようとしてくるからだ。


 でもそれはすぐに違うとわかった。


 セシルは男の子、女の子、年上、年下関係なく平等に皆と接していた。


 そして小さい女の子がある日泣いていたのでどうしたのかと思うと、お腹が空いたとのことだった。


 私には無縁の生活だなと思って遠目でその女の子を見ていると、セシルはその女の子に一つのパンを与えていた。


 それからお腹いっぱいになった笑顔の女の子を見て笑顔で答えるセシル。


 だけど顔色が悪そうだった。少しフラフラもしてる。


 気になった私は気が付けば自分から声をかけに歩み寄っていた。


「ねぇ。そのせ、セシルだっけ?」


「あ! あの時のお嬢様ですね。ごめんなさい。あの後シスターに聞きました。お嬢様相手に僕がとても失礼な事を言ってしまったと反省しています」


 素直に謝り頭を下げるセシル。


「謝らなくていいわ。それでなんで顔色悪いの?」


 私の言葉はセシルとは逆で言葉にとげとげしさしかない。


 それでもセシルは笑顔で答えてくれた。


「ご心配には及びません。少し疲れているだけです」


 だったらいいけど……何か違う気がする。


「そう。お母様……」


「え?」


「お母様がシスターと話し終わるまで暇。話し相手になりなさい」


「かしこまりました、お嬢様」


 もしかしたらと少し期待したけど、セシルも私が王族だとしるとすぐに下手に出てきた。対等な関係――世間的には友達と言うのだろうか。

 そんな関係にいつかは誰かとなってみたいなと思っているが、それは無理そう。


 だったらせめて話し相手ぐらいはと思った。



 それからセシルは私の話しをずっと笑顔で聞いてくれた。


 私は徐々にこの日からセシルに心を開き始める。


「ねぇ、貴方は何で皆とそんなに仲良くできるの?」


「できていませんよ。私はあの子達の笑顔が好きです。だから皆が笑えるようにいつもどうしてあげたら皆が喜んでくれるかを考えているだけです」


「へぇ~」


 私は彼が真剣に答えてくれたのに、素っ気ない態度を取ってしまった。


 それでも彼は笑顔でいてくれる。


 だから聞いてみた。


「ねぇ、なら私は? 私の笑顔は好き?」


「わかりません。見た事ありませんから。でもいつかお嬢様にも笑顔になって欲しいとは思っています」


 なんて素直なんだろうと私は思った。


 こんな私の為にも私が望めば家柄や周囲の目を気にしてではなく彼自身の本心で頑張ってくれるのかなと思ってしまった。


「だったら笑顔にしてみなさい」


「喜んで!」


 やっぱり彼の笑顔はズルい。

 純粋な瞳には僅かに喜びを隠しきれていない私の姿が映っていた。

 そんなにキラキラした目を持つ彼に私は少しだけ期待した。


 ――もう少しだけでいいから、仲良くなりたいな。と。






 私が九歳になった。


 気が付けば最初は行くのが憂鬱だった孤児院に私は行ける日が楽しみなっていた。


 だってセシルがいるから。


 セシルはあれから来る日も来る日も私の話しをいつも笑顔で聞いてくれた。


 セシルだけは家柄や誰かに言われて私に近づいて来たんじゃないと知った時はとても嬉しかった。だから色々なお話しを聞かせてあげた。私が今どんな立場で毎日どんなお稽古をしているのか。するとセシルは笑顔で凄いと言ってそれはもう見てるこっちがバカらしくて目を逸らしたくなるぐらいに褒めてくれた。出来て当たり前の事だと小さい頃から言われていた私を初めて誉めてくれたのは紛れもなくセシルだった。


 今日もどんな自慢話をしてあげようかと思い、表情には出さないが内心ワクワクしながらお母様と一緒に馬車で孤児院に向かう。


「最近、変わったわね。孤児院でなにかあったの?」


「え?」


「アイリス気付いてないの? 孤児院に行った日は頬がずっと緩んでいる事に。今まで私にですらあまり笑顔を見せなかったのよ。流石に気がつくわよ」


「そんなことはないと思いますが……」


 私、自分が気が付いてないだけで表に感情の変化出てたんだ。


「まぁ、いいわ」


「あ、あの……お母様」


「どうしたの?」


「最近誰かに会いたいと思うこのワクワクした気持ちは、やっぱり……そ……あ……えっと……と、ともだちとか言う関係にその方となれたってことですか?」


「わからないわ。それはアイリスが自身が決める事よ。それが同性なら友達や親友、異性ならそれとは別に恋かもしれないわね」


 この時、私は知らなかった。


 母と言う存在は娘の事を見ていないようでよく見ている事に。



「別に恋をするなとは言わないわ。まだアイリスは若いのですから。でも将来の結婚相手はカルロス・ルーメルって事は忘れないようにね。まぁないとは思うけど彼が落ちこぼれたら別の候補者もいる。こればかりは貴女にゴメンナサイとしか言いようがないわ」


「……わかっております」


 カルロス・ルーメルと名前を聞いた時、私の心がズキッと痛みを覚えた。


 ――この痛みは一体なんなのだろうか?


 孤児院に着くといつものようにセシルを探して歩く。

 すると、セシルが一人の泣いている女の子を抱きしめて、頭を撫でていたのを偶然見かけてしまった。


 セシルは誰にでも優しいから、いやらしい意味であんな事しているとは思わない。


 だけどなんでよりにもよって私が来たタイミングで見せつけるように女の子を抱きしめているのかと思うと急に胸が締め付けられるように苦しくなってきた。それによく見れば泣いていた女の子は頬を赤く染めて泣き止んでいるではないか。


「あの子……またセシルからパン貰ってる……」


 なんで? どうして? 私の事も抱きしめてよ!


 急にそんな感情が私の心の中で生まれ、暴れ始める。


 なにかが可笑しい。


 今までの私だったら考えられなかった何かがある、そう思わずにはいられなかった。


 セシルがあの子に取られると思うと、とても嫌な気持ちに襲われた。


「あれ……私……どうしたんだろう……」


 その日はセシルとどうやって向き合っていいかわからず、セシルから逃げるように隠れて一人の時間を過ごした。


 最初は誰に対しても平等な人だと正しく認識していた。


 なのになぜかどうにかしてあの優しさを一人占めしたいと気がついた時には思っていた。


 これが友達? お母様から聞いていた話しとは何かが違う。


 …………。


 …………――――。


 もしかして、私……お母様が言っていた――恋をしてしまったのかもしれない。


 そう思った瞬間、急にセシルに会いたくなった、声を聞きたくなった、ずっと一緒にいたいと…………思ってしまった。許婚がいるのはわかっている。それでもセシルと一緒にいたいと思うのはいけない事なのだろうか。


 そう思った私はすぐにお母様に相談した。


 すると返って来た答えは「今はいいけど。お父様や他の皆には黙っていなさい」だった。

 私はショックを受けた。

 そんな私を見てお母様は教えてくれた。


 昔お母様にも好きな人がいたこと、私と似たような経験があること、だけど最後は自分ではなく周りが納得する人と結婚をしてしまったこと。だけど私が産まれたのはお父様と結ばれたからであって後悔はしていない事。


 それからお母様はお父様の目を盗み、私を孤児院によく連れて行ってくれるようになった。


 絶対に後悔しない為にも今を全力で楽しんで生きて欲しいとそんな母の想いから。



「ねぇ、セシルは好きな人いるの?」


「いないよ」


 私はまずセシルと仲良くなる為に、敬語は使わないでと言った。


 それから私はお父様とお母様から絶対に人に教えるなと言われていた本名をセシルに教え、二人きりの時はお嬢様ではなく本名で呼んでもらった。セシルなら絶対に誰にも言わないと勝手に信じていたから。


「でもアイリスみたいに綺麗な人と結婚できたらって思うよ」


 セシルが笑顔でそんな事を言ってくるもんだから私は顔を真っ赤にして戸惑ってしまった。そして恥ずかしくて顔を見られたくない一心からセシルに抱きつく事で顔を隠そうとしたら更に心臓までもが反応してしまい大変な事になってしまった。


「今日のアイリス可愛いね」


「…………うぅ。セシルありがとう、私死ぬほど嬉しい」


 あろうことかセシルはそんな私を抱きしめて、褒めてくれた。

 だから私は初めてセシルの前で素直になった。

 全身の血の巡りが速くなり、身体中が熱くなる感覚。

 なによりセシルの胸の中はとても心地よくて身体が恥ずかしくて早く離れたいのに動こうとすらしない。むしろちょっとエッチなことぐらいはして欲しいなと変な事まで頭が考えてしまう。


「ねぇ、私の頭撫でて?」


「わかった。今日初めて見たけどアイリスって本当は甘えん坊さんなんだね」


「……ぅん」


 ぅんってなに!? ぅんって!? うんでしょ! なに可愛いく言ってるの!


 私ちょっとどうしちゃったのよ?

 もう恥ずかしいから勝手な事、思わない、言わない、しないでよ!!!


 とつい反抗するがセシルの前ではできなかった。

 身体のあちこちが私ではなく本能に忠実になってしまったからだ。


 あぁ、でもこの時間は最高に幸せだ!


 キスぐらいならしてあげても……ううん、してくれないかな? と思うほどに。


「甘える女の子って好き?」


 するとセシルは照れたように、頬を染める。


 素直過ぎて可愛い。


「……うん。照れ隠しはするけど内心はドキドキしちゃうしから。それがアイリスみたいに美人な人なら尚更ね」


 美人って私が!?

 その瞬間、ニヤニヤが止まらなくなってしまった。


「ならセシルの前では甘えん坊でいてあげる」


「ありがとう」


 ヤバイ、自分でもわかる。


 好きと言う感情がどんどん大きくなって制御できなくなってきてる。


 もういいや。私セシルの前では素直で。どうせセシルなら優しいからどんな私でも受け止めてくれるだろうし。


 こんな幸せな日々がいつまでも続けばいいなと思っていた。


 だけど――。


 セシルはある日を境に突然姿を消した。


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