名前はないよね。
おい、偉そうに歩く猫ちゃん、どこへいくの。
私は少し感傷的なんだから、お尻を向けて歩くと笑いそうになるからやめてくれない? 今は笑うところじゃないのだって空気を読んでくれないかな。
ここはね、大昔、どれくらい昔なのかな。草原だったみたいよ。
逆に草しかない場所なんだってさ。知ってる?
私はあなたの名前を知らないよ、猫よ。
初めから名前がなかったのか、それとも途中で名前を失ったのかどちらかな。
私は梢子っていうの。でもね、最近誰も名前で呼んではくれない。
お前もそうじゃないの?
じゃあ、少しここで座ろうか、まだまだ、夕暮れという暗さでもない。
真夏には早いが梅雨前なのにこの暑さはどう?
今からうんざりするねえ。
私はバッグからボトルの水を取り出し一口飲んだ。彼からもらったハンカチを敷いてベンチに座った。ベンチは古くてペンキを塗り直してあるが、所々めくれていたし。このハンカチも、もういらないし。
隣に座る猫は私の顔を仰ぎ見て大きくあくびをした。
飲むかなと少しだけ手に取って猫の前に手を出すと警戒することもなく、小さなピンクの舌を出してアッという間に飲んでしまった。ざらついた舌先が私の掌に当たる。まだ欲しそうな顔をしてこちらを見ている猫はひげがとても長くて少し痩せて精悍な体格をしている。もう一度私は自分の手にボトルの水を垂らして与えた。
敦の滑らかな舌先が私の肩から鎖骨にかけてあたるときを連想してしまった。やだ、明るいうちからそんな妄想と私は恥ずかしくなった。今は少し疎遠になっているのは私のせい? それとももう飽きられてしまったのかも知れない。
終わりの始まりを意識して、私は個々へ来たのだ。
もう、ここらが区切りをつけるときなのかも知れないと一人でやって来た。
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