第3話

 「雪が溶けると、何になる」という、なぞなぞがあった。

 代表的な答えは、「春になる」。ひねくれた答えは、「水になる」。

 どちらにせよ、雪が溶けると、雪は雪でいられなくなる。冬に居られなくなる。



 雪はすっかり止み、雲が去った夜空は凍てつくように澄んでいる。しかし、東の空は白々と明けようとしていた。

 水を打ったように、否、雪が音を吸収するかのように静かな空気の中で、俺は眼鏡を外して意識を研ぎ澄ませる。

 夜が深くなるにつれて膨らんでいた不安は、的中した。

 秋人は道に迷っている。秋人の気配が濃くなり、焦りの色が強くなる。

 夜が完全に明ける前に道を見つけないと、秋人は行くべき場所に着けなくなってしまう。



「秋人さん」

 俺から声をかけたのは、初めてだった。声をかけるどころか、直接会うのも初めてだ。

 秋人は驚いたように目を泳がせ、雪原に尻餅をついてしまう。雪原は美しいままだ。秋人が歩いた跡も、腰を落とした跡も無い。振り返ると、俺が膝下の雪をかき分けた跡が月明かりに照らされている。

「こっちです」

 寒いだけあって、自分の息が白い。

 俺は秋人の前に進み、意識を研ぎ澄ませて道を探す。まだ道は開けている。間に合いそうだ。今日を逃せば、いつまた道が開けるかわからない。

「きみは、何者なんだ」

 秋人は立ち上がり、胡乱げに俺を見る。美冬に対して柔らかい態度だったのに、俺には棘がある。仕方ない。

「きみも人間じゃないんだろう」

 秋人の息は白くなかった。

「仰る通りです」

 俺は、うずく額に手を当てた。

「他の人よりちょっとだけ霊感があって、朝寝朝酒朝湯大好きをかたる――」

 秋人が、ひっ、と声を震わせた。

 俺も人間でないことは気づかれているんだ。

「――ただの鬼です」

 体が熱い。今の俺は、普段の黒い瞳から、鬼独特の金色の瞳に変じたのがわかった。

「道案内くらいはできますが、いかがなさいますか」

 恥ずかしいくらい俺の声が辺りに響き、雪に吸い込まれる。

 秋人は、しばし考えてから、答えた。

「お願いします」



 さく、さく、と雪をかき分け、意識を研ぎ澄ませて道を歩む。

「ずっと気づかなかった。自分が死んでいたことに」

 秋人は、足音も足跡も残さず、話しながら着いてくる。

「美冬さんとは、いわゆる幼馴染みだった。美冬さんと、僕と、従兄。家族同然に遊んで、仲良くやっていた、つもりだった。大人達も仲良くやっていたと思っていた。僕が20歳を過ぎる頃までは」

 何秒か、秋人は黙った。唾をのんだような、気がした。

「僕の親と従兄の親は、だんだん仲が悪くなっていた。僕と従兄、どちらが美冬さんを嫁をするのか、一応の話し合いをするうちに、親達が喧嘩するようになってしまった。それを陰で聞いて、僕は気づいた。僕は美冬さんを愛している。従兄に取られたくない。だからあの夜、雪の中、美冬さんのところへ向かおうとした。……いっそのこと、美冬さんと駆け落ちしてしまおう、と。それなのに、雪に足を滑らせて、雪で埋もれて見えなかった崖から転落して」

 俺は思わず立ち止まった。ここも崖だったらどうしようかと、足がすくんでしまった。

「美冬さんは、僕の従兄と結婚したみたいだね。僕は、いなくなって正解だった。心のままに美冬さんを強奪していたら、従兄の人生も、大人達の面子も、潰していただろう」

 このままで良かった。

 秋人は、言い切った。

「でも、最後に会えて良かった。何度か話しができて、すっきりした。これで僕は、行くべき場所に行ける」

 秋人が前に出た。秋人にも、道が見えたようだ。

「何か伝えておくことはありますか」

 俺が訊ねると、秋人は首を横に振った。

「もう、充分だ」

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