第4話翳りゆく空
忘れられない日になるのだろう。その考えは、あの夜から三日たっても変わらなかった。雷におびえる京香さんの愛おしさ、ベットの上で抱き合った感覚が鮮明に思い出される。大学の講義はうわの空だった。
俺だけのものにしたかった。雷が落ちた時に頼られるのも、あの体の温もりを味わうのも俺だけでいい。
告白しよう。そう思った。だが、今すぐは早いだろう。三回目のデートが相場と聞いたことがある。
とりあえず二人で会おう。今週の土曜日はどうだろうか。京香さんにメッセージを送った。今の講義の参加人数は多く、教授はいちいちスマホをいじる学生を注意しない。
ついでに、二人のトークをさかのぼって見てみる。すると、あの朝のことが頭に浮かんだ。
先に目が覚めたのは俺だった。喉がカラカラだった。下着姿の京香さんを起こさないようにベットから出て、喉を潤し、トイレを済ませた。二度寝するためにベットに戻り、毛布をめくりあげて彼女の下着姿を見るのは、なんだか後ろめたかった。きっと朝の明るさのせいだ。
そのため、二人分の目玉焼きでも作ろうかと思い至った。作っている間に起きてくれればそれでいいし、まだ起きなければ彼女に触れることや、下着姿を再び拝見する大義名分ができる。俺の中の天使も文句は言うまい。
俺の下劣な思いは打ち砕かれた。目玉焼きがちょうど焼きあがったとき、京香さんがキッチンに姿を現した。服を着た状態で。
どんな顔をしていればいいのかわからない俺とは対照的に、彼女は平静そのものだった。まるで昨日何もなかったかのようだ。俺一人だけ気にしているのがばからしくなった。
「あ、今日日曜日か。バイトだ」目玉焼きを食べながら京香さんは言う。
「あ、そうなんですか。明日なら出勤かぶってたのに」
「私明日は休みなの。確か、今日と……三日後出勤して終わりのはず」
「寂しくなちゃいます」おどけた口調で言ってみた。半分は本当で半分は嘘だ。
バイト先で会えなくなってしまうのは確かに寂しいが、きっとこれからも会えるとも思っていた。
「新人のくせに何言ってるのさ」と言って笑った。
ああ、やっぱり笑顔が可愛いなと思った。
「はい。今日の授業はここまでにします。お疲れさまでした」
教授が言った。時間は矢のように過ぎていた。
運よく京香さんも土曜は暇だったようで、午前十一時に俺たちは待ち合わせをした。洒落たハンバーグ専門店でランチをする予定だ。抜かりなく予約はしている。
間違っても体目当てだなんて思われたくなかったから、昼に会うことを提案した。
俺が待ち合わせ場所の駅に着いた五分後、京香さんは姿を現した。微笑みながらこちらに歩いて来る。どんどんと綺麗さが増しているように見えるのは、俺の気のせいなんだろうか。
「京香さんが勧めてくれた、あの曲聞きましたよ。サビのメロディーすごい好きでした」
「あ、やっぱり! 絶対優馬はハマると思ってた」
お見通しだったみたいだ。
好きなものを共有できることがこんなに嬉しいだなんて知らなかった。
一緒に食べたハンバーグはびっくりするくらい美味しかった。ハンバーグ専門店を名乗るだけある。京香さんも絶賛していた。
こんな日を毎日繰り返したいと思った。
ランチを終えた後は、京香さんが行きたいと言っていた、洒落たカフェに行くことにした。
ハンバーグを食べている時くらいまでは緊張していたが、カフェではリラックスできている自分に気づいた。
相変わらず彼女が「高位の存在」だというイメージは拭えていないが、二人でいることや会話に少しは慣れてきた感じがする。
カフェに入ったときは午後一時で、曇り空だったが、出るときは午後二時半になっており、雨が降っていた。
俺はトートバックから折り畳み傘を取り出す。少し期待しながら隣を見ると、京香さんは「今日は持ってきたんだ」と言って折り畳み傘をバックから取り出し、無邪気な笑顔を見せる。
二つの傘が横に並んで、帰るために駅へ向かっていく。普通のことだったが、前は相合傘だっただけになんだか寂しく感じる。
サウナから出たらやけに涼しいのと似ているな。元の状態に戻っただけなのに、サウナに一度入ったせいで感覚がおかしくなるんだ。
駅に着いて、二人は傘をしまった。たまには少しからかってみようと思い立った。
「もう屋根の下に来たから、この前みたいに雷が落ちても大丈夫ですね」
「いくら屋根の下に居たって、怖いものは怖いよ」
京香さんは大真面目な顔で言った。心なしか、少し恥ずかしそうに見えた。本当に雷が苦手なんだな。
京香さんと、帰りの電車は全然別なので、駅の改札で別れた。手を振る姿も可愛かった。
欲を言えばもう少し居たかったが、特にやることもなかったし、四時間近くも一緒に居られれば十分だろう。きっとこれからも会える。
眠ってしまうと今日の思い出が薄れたしまうような気がする。だからその前に、脳裏に焼きつけようと思い、ベットに横たわりながら京香さんのことを考えた。
次、二人で会ったときに告白しよう。次が三回目のデートなのだ。もう告白しない理由はない。
成功すれば、あの暖かい手も、心を見透かしたように笑う唇も、普段と違う雷におびえる目も、全部俺が独り占めできるのだ。
これまでは、女子が身近にいることさえなかったため、彼女ができるということがいまいちピンときていなかった。
そのため京香さんが彼女になるかもしれないということが、どこか遠い世界のことのように思えていたが、告白をする予定をはっきり決めると急に、現実感が目の前にやってきた。
現実感は、嫌らしいことに恐怖を引き連れてきた。今までは、ダメもとだという思いが少なからずあった。失敗してもマイナスではなく、プラスにならないというだけだという思いが。
ダメもとだったからこそ、よりポジティブな面、付き合うことのできた未来に思いを馳せられていた。
今は、希望がチラついているどころか、目の前にウヨウヨと漂っている。
デートに行ったどころか、すでに体を重ねている。普通に考えれば勝率は高いはずだ。
しかしだからこそ、もし失敗したら……という心配がより色濃く頭に浮かぶ。
マイナスのイメージや、嫌な予感が拭えないまま、俺は眠りに落ちていった。
デートを終えてすぐに、次のお誘いをするのはがっつき過ぎではないかと思い、三日間のインターバルを設けてから、また週末会わないかという旨のチャットを送った。
嫌な予感に限って当たるもので、これまでは遅くとも数時間で返信をくれたのに、今回は丸一日経っても音沙汰がないままだった。
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