遠雷

海野

第1話晴れた日にはプロローグが似合う

 雷が落ちたような衝撃を受ける。そんな出会いでは全くなかった。彼女は肩にギリギリ届かないくらいの髪の長さをしている。

 他の人と話しているのを見て、天真爛漫でいて、大人っぽさも持っている印象を受けた。綺麗な人だが、飛び抜けているわけではなく、十人集まれば一人はいるというレベルである。

 居酒屋バイトの初出勤の日、俺の教育係を担当したのはそんな女性だった。何かが起きる予感なんて、微塵も感じなかった。一目惚れもしていないし、特別彼女と付き合いたいという感情もなかった。ただ、俺は女性に不慣れで、緊張していた。

 俺は男子高校出身で、これまで女子との関わりはほぼ皆無である。しかし大学生になって一ヶ月経っているため、少しは目が肥えていた。


「田尻京香です。よろしくね」彼女はパッチリとした目を細くして笑った。

「大久保優馬です。よろしくお願いします」軽くお辞儀をした。

「優馬君か。今日は暑いけどよろしくね!」

「はい!こちらこそ!」

 注文の取り方や機器の使い方などを田尻さんが説明してくれたが、緊張で返事の声が上ずってしまった気がする。

「緊張してる?」

 目が合った。強がって大丈夫ですと答えようかと思ったが、そのまん丸な目に全て見透かされている気がして、正直に「実は緊張しています」と答えた。彼女はまた目を細くして笑う。

「そうだよね、初出勤だもんね」

「はい。僕、人見知りなんですよ」

「えー、意外! すぐ打ち解けるタイプに見える」


「京香ちゃんと優馬君、こっちに来てくれ」

三十代くらいの男性社員が俺たち二人を呼んだ。「はーい」と田尻さんが応え、俺たちは彼の方へ向かった。

 どうやら皿洗いをして欲しいらしい。田尻さんに教わりながら、協力してやってくれとのことだ。


「優馬君、大学生一年生だったよね? どこの大学なの?」皿を洗う手を休めずに田尻さんが言う。

「慶成大学です」自分の大学のネームバリューには自信がある。それ故に自慢げにならないよう、わざとぶっきらぼうに言った。

「すごい! 頭良いんだね!」田尻さんは大げさに驚いた表情を作って見せた。

「いや、たまたま入れただけですよ。田尻さんも大学生なんですか?」

「苗字じゃなくて下の名前で呼んでよ。京香ってさ。ここのバイトみんなそうしてるし」

「京香さんも大学生なんですか?」

 彼女はニヤッと笑った。下の名前で呼ばれて満足したからなのか、俺が下の名前で呼ぶというだけでドギマギしているのを見透かして笑ったのかはわからない。

 

今日雑談をして、京香さんは女子大の三年生ということ、他大学のテニスサークルに入っているが飲み会用員だということ、猫が好きだということ、現在彼氏はいないということ、そして大きな目が魅力的であることがわかった。

 次の日には、俺の印象は悪くないということもわかった。彼女から「昨日はお疲れ! 次の出勤のときもお喋りしようね!」とメッセージが来たからだ。

 

 そして次の出勤も彼女は気さくに話しかけてくれた。これまでこんな経験がなかったこともあり、京香さんと話す時間は最高だった。これでお金をもらっていいのか、とさえ思った。


「今度ご飯でも行こうよ」と俺がバイトをあがる直前に彼女は言った。

「是非行きましょう」と俺はドキッとしながらも、そう答えた。

 男子校出身の性だろうか、過剰に恋が始まる期待してしまう。

 このときはまだ、恋を甘美なものであると、信じて疑わずにいた。

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