サイケデリック

神澤直子

第1話

 繁華街の路地裏で芋虫を買った。

 べろんべろんに酔っ払った夜だった。

 綺麗な緑色と鮮やかすぎるほどのピンク色が交互に縞になった、あまりにも禍々しい色をした芋虫だった。

 モンシロチョウの幼虫より少し大きくて、アゲハチョウの幼虫よりも少し小さい。

 幼虫は4,000円もした。

 一体なにになるのか売り子の男に聞いたが、男は目深にかぶった帽子の下で「さあなんでしょうね」と笑うだけだ。

 売り子の男はガリガリのアジア系だった。汚らしい無精髭にダボダボでそこらかしこに穴の開いた服、裏社会の臭いをふんだんに撒き散らしている。普通だったらこんな男と関わり合いになろうなんて思わないだろう。でも、その芋虫を見て、僕はその男に声をかけたのだった。

 何になるかもわからない幼虫に4,000円、正直馬鹿だと思う。でも何故かとても心を惹かれたのだ。これはきっと運命だったのだろう。

 妻の明美にバレたらきっと大目玉を喰らうと思う。おそらく虫が大の苦手の妻のことだ、問答無用に捨ててしまうに違いない。そんなのは嫌だった。

 僕はそれを買ってこっそりと家に持ち帰ると、小さな瓶に入れた。虫かごのようなものがあったらいいのだけど、急にそんなものは用意できないので仕方がない。虫かごは明日購入しようと思った。


 不思議な芋虫だった。

 最初、何を食べさせたらいいのか分からず、とりあえず道に落ちていた葉っぱを与えてみたところ食べなかった。餌はこれじゃあないのか、と思ってとりあえずこれがなんの幼虫なのか調べたが、同じようなものは図鑑には載っていなかった。わからなかったので、次の日はキャベツを与えてみたがやはり食べなかった。何回か試行錯誤をしてみたが、与えるものを食べた形跡はなくて、このままでは死んでしまうと思ったのだけど、そう思っているうちに半年ほどが経ってしまった。おそらく何も食べていないだろうに、芋虫は死ななかった。

 それどころか、二回りほど大きくなっているように思う。

 それにしても、これは何になるのだろうか。

 ぱっと見なにか蝶々の幼虫のようだが、しかしまるで蛹になる様子を見せない。

 まあ、食べた形跡こそないが、おそらく食べているのだろう、と思ってとりあえず毎日キャベツやらレタスやらを虫かご中に入れている。

 この芋虫を見ると妙な感覚があった。

 倦怠感と高揚感が同時に襲ってくる。

 安心感と不安感が同時に襲ってくる。

 その感覚はタバコを吸った時や酒を飲んだ時によく似ていたが、よく似ているだけで全く性質の異なるものだった。

 不思議な感覚に最初は混乱したが、気が付いたら癖になっていた。

 暇があったら僕はその芋虫を見ている。

 虫かごから眺める芋虫はもぞもぞと動いているだけだけど、たまにふとこちらを向くことがあって、芋虫のどこにあるかわからないはずの目と目があった気がしてどきりとする。そのどきりとした感覚が徐々に広がっていって僕を包み込むのだ。嵐の中でそこだけ雨が降っていないかのような感覚、けたたましい喧騒の中で僕の周りだけが静寂に包まれているかのような感覚、ドキドキとした平静が僕に訪れる。

 ストレスが軽減される気がした。

 理不尽な上司の叱責にあったり、明美の八つ当たりがあったときなんかに特に芋虫を見た。

芋虫は僕に安息を与えてくれる。

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