《異世界ファンタジー》『神話』

 とある少年が命を落としました。無防備に車道に飛び出した子猫を守ろうとして、代わりに車に撥ねられたのです。

 少年の勇気は美談として取り上げられ、一時的にニュース番組で流されたりもしました。

 しかし、情報の移り変わりの激しい現代、少年の物語は1ヶ月もしないうちに風化し、忘れられていきました……。


 少年が助けた子猫は、実は神の御使いでした。人間の世界の情報を集める為に散策していた御使いは、横断歩道の渡り方が分からずに往来の激しい車道に飛び出してしまったのです。


 その少し間の抜けた御使いを、己の命を顧みず救ったのが件の少年でした。


 神は少年に大層感謝し、少年の労に報いる為に彼の望みを叶える事にしました。


 少年は言いました。

「最強チートな力を手に入れて、異世界で無双な生活を送りたい」と。


 神は少年の望む通り、少年に常人の500倍の膂力を与え、火や水を自在に操れる力を授けました。少年の新しく生きる世界で、彼と戦って勝てる者は、いや数合と打ち合える者すら存在しないでしょう。


 少年は期待に胸を膨らませながら、新天地へと赴いて行きました。


 新たな地に着いて間もなく、少年は近くの村に居を構えます。

 道を訪ねようと、たまたま声をかけた娘に「村の収穫を手伝ってくれたら、村に住めるように掛け合ってあげる」と誘われたのです。


 そして少年は愕然としました。

 新たな地では確かに彼にかなう者は居ませんでした。いやむしろ『敵』その物が居ませんでした。


 新たな地はとても平和でした。村人を襲うモンスターも居なければ、世界を滅ぼそうとする魔王も居ません。

 そもそも怪物等が空想の産物でしか無く、「森に狼が出た」「猪に畑を荒らされた」程度の事件しか起こらないのです。

 その程度の対処なら、少年の手を借りずとも地元の狩人だけで事足ります。


 街道を襲う賊も噂程度にしか聞かないし、その噂が彼の耳に入る頃には、大抵はその地の領主の差し向けた衛兵隊によって、鎮圧、壊滅させられていました。


 少年は苦悩しました。その身体能力のおかげで、確かに信じられない早さで村全体の収穫を終える事が出来ました。

 村人にはとても感謝されて「いつまでも滞在して欲しい」と懇願されました。

 最初に声をかけた娘からも、憎からず思われているのも察せられました。

 しかし、この地には血沸き肉踊る冒険は用意されていないのです。


 それでも少年はこの地の人々の為に働きました。あっという間に森林を切り拓いて更地にしたり、岩ばかりの荒れ地をならしてしまう事が出来たのです。

 井戸を掘り、農地を広げ、川に橋をかけ… 村の人々の生活は向上し、少年はみんなから感謝されました。


 彼をここに導いた娘との関係も良好でした。ある日、互いの愛を確認し、強く抱きしめあった2人に悲劇が降りかかりました。


『愛するひとをその手に抱きしめた』

 ただそれだけの事だったのですが、神によって祝福された彼の力は、愛する女性をいとも簡単に絞め殺してしまいました。


 それでも全身の骨を砕かれた彼女は、最後の力を振り絞って彼に微笑みます。優しい顔のまま、彼女は帰らぬ人となりました。


彼は死者を蘇らせる力を持ちません。神にそう願わなかったからです。


 子猫の為に自分の命を投げ出せる優しい男の子です。その彼が愛する人を自らの力で殺めてしまった。その心持ちは如何なるものでしょうか…?


 愛する人の亡骸を抱えたまま、彼は人知れず村を出て行きました。それを最後に彼の正式な記録は途絶えています。


 一説には人里離れた秘境に、世間との繋がりを断って生活している。などとも言われますが、真実は誰にも分かりません。


 ただ、その村のあったくには以降の歴史に於いて、飢饉の年でも作に恵まれたり、隣国からの襲撃を謎の炎の壁が防いだり、無駄に税率を上げた悪徳領主の蔵が謎の大水に流されたりと不思議な事件が相次ぎました。


 邑人たちは誰が言うとも無く『山に棲む神様が俺達を守ってくれているんだ』と話すようになりました。


 それから数世代を経た現在でも、邑を救った山の神様への感謝を忘れずに、社を作って祀ったり、捧げ物を届けたりしているそうです……。

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