雪を溶く熱 — 火星の冬とテラフォーミングの子供たち—
暗黒星雲
第一章 雪と氷の大地
第1話 マリネリス平原の教会
今夜は静かだ。
風がない。
しかし、雪は絶え間なく降り続いている。静かに静かに降り積る雪。
この町において雪は呪いだ。祝福などではない。
雪はいくつもの住居を踏みつぶし、いくつもの町を飲み込んだ。外に広がる果てしない雪原の下には、あまたの廃墟と屍が埋もれている。
ここはマリネリス平原。
かつて峡谷だった土地だ。
コンコン。
誰かがドアをノックした。
「教主様、夕食の準備ができました。食堂までお越しください」
「ありがとう
美冬は私が預かっている娘だ。
私は自室のドアを開ける。廊下にはエプロン姿の彼女がいた。そろそろ十五歳になる。大きな瞳が特徴の小柄な女の子だ。
ここは教会で身寄りのない子供を何人も預かっている。美冬はその中の一人だ。
「教主様、研究は順調ですか?」
食卓に向かう道すがら美冬が尋ねてくる。
「ああ、順調だよ」
「今は何を研究なさっているのですか?」
「そうだね。ここマリネリスの歴史についてだね。まあ、神話の研究だね」
「そのお話は聞いたことがあります」
「そうだね。私が何度か話したからね」
「神の光が地上に降りてくる。そして光と生命が満ち溢れる。素敵です」
「よく覚えているね、美冬。しかし、具体的な記録は何も残っていないんだ」
人類がこの大地を開拓してから既に数百年経過している。砂嵐が吹き荒れるこの星を、水と緑があふれる大地に造り替えた。最初のテラフォーミング成功例だという。その偉業を称え、物語として編纂されたものを神話と呼んでいる。
私はその物語の裏に秘められた事実を調査し読み解いている。神話は十分に伝えられているのだが、テラフォーミングに関する具体的な情報は失われているのだ。
「砂漠が緑の大地に変わったんですよね。でも、砂漠も緑の大地もどんなものか想像できません。だって、わたしは雪原しか見た事がないから」
「私も同じさ。美冬。全て資料を見て想像しているのだよ。私の想像が事実と合致しているのかどうか、自信はないんだ」
「もしかして、教主様も同じ?」
「そうだね」
ニコニコ笑いながら美冬が走り出す。
食堂の扉を開いて中へと招き入れてくれた。
「教主様、こんばんは」
「こんばんは!」
中には八人の子供と三名の修行僧が席について待機していた。
「待たせたね。さあ皆でいただきましょう」
「わーい」
「いただきまーす!」
質素な食事だが明るく楽しい団らんがある。
身寄りのない者が集まり、助け合って暮らしている。そんな者同士の絆は優しく温かい。
しかし、こんな生活をいつまでも続けるわけにはいかない。
マリネリス付近の環境は悪化し、寒冷化を押しとどめる方法はない。
アケローンの大地下都市へと逃れるか、それとも地球へ送還されるか。
その選択を迫られている。
期限は一か月。
私は今、その決断を迫られている。
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