咲かない華と暗い目と

文月瑞姫

前半

 写真の撮り方が上手いと言われた。ロマンチストが夕焼けを撮るときの、あの雰囲気があると言うのだ。ただ抹茶フラペチーノを接写しただけの、つまらない写真に。


「美華ってそういうとこ男っぽくて良いんだよね」


 そう言う優子の写真は、光量をいたずらに増やすヤングな文化を採用していた。それで完成ではなく、色調を加工した後、ハートか光の玉を浮かべるところまでが女。

 優子とは小学校からの縁だが、昔から流行に敏感だ。流行りのキャラクター筆箱は一目散に買いに行ったし、制服のスカートは二回折り曲げる。そんなのと付き合いの長い私がどうして男らしいのかと言われると、昔の恋人の影響と言う他にないだろう。

 そして、美華が私を男らしいと評価するのは、私の女としての顔を見たことがないからだろう。きっと始終を聞かせてみれば、「そんな女の子らしい一面あるんだ!」なんて言い出すに違いない。


 私だって確かに恋に生きてきた。だが、今さらそれを打ち明けるのは気恥ずかしい。男らしいのだと思っていてくれた方が、私たちの関係はスムーズなのだ。

 優子と目が合って逸らす。抹茶フラペチーノが冷たい。あまりお腹を冷やしたくはないため、少し置いておこうと思った。


 ***


 昔の恋人、陽(あきら)とは小学四年生で出会った。家の都合で引っ越して来たという転校生は、目だけが暗い。それ以外は明るく、蛍光灯みたいな人だった。クラスを盛り上げては、虫みたいな女もちょくちょく寄せ付けた。

 陽と関わるようになったきっかけは、昼休みの男女対抗ドッヂボール。陽の投げたボールを顔面に受けてしまった。軽い脳震盪だとかで、目が覚めると頭に氷が乗っていた。あまりに冷たかった。


「さっきはごめんな。しばらくは安静にしてろってさ」

「そう」


 男子と話したこともない私は、きっと男子と女子とで別の生き物だと思っていたのだろう。話をするという考えさえ、凡そ持っていなかった。だというのに、暇を持て余した私と義務感で付き添う彼とで、自ずと会話は膨らんだ。利害さえ一致すれば、感情は要らない。

 お互いに幼く、まだ恋を知らない双方だったことが幸いして、次第に親友と呼ぶ仲になった。勿論これは「親友」などと呼べるものではない。「友達よりも大切にしたい人」は、恋を知らなければ親友と呼ぶしかなかっただけだ。


 私は病みがちな体質で、陽はそれに歩を並べた。学校を休めば連絡帳を届けてくれたし、保健室にいれば話し相手になってくれたし、時には放課後を図書室で過ごした。

 陽は活発な人間だと、隙を見ては外を駆け回るような人間だと知っていたから、どうして私と居るのかと聞いたことがある。彼は「違う生き方をしている人間と関わりたいからだよ」と、10年経った今でないと理解できないようなことを言った。その暗い目は何か深みを見つめるようで、どうしても大人びて見えた。

 時に「僕らは互いに高め合う関係なんだ」と言われたが、私からしたら一方的に追い掛けるだけの存在でしかない。勿論、今でも。


 一瞬だけ対等な関係になったのは、六年生の頃。恋愛という言葉が実感され始める、各々が好きな人というものを感じ始めるこの時期に、私達の関係も変わり始めようとしていた。

 何より変わってしまったのは、私達を見る周囲の目。ただそれだけだった。


 ***


 優子の飲むラズベリーチョコフラペチーノを一口もらった。酸味と甘味を足せば失敗しないだろうみたいな発想の新商品、美味しい。抹茶フラペチーノを一口返す。優子は何も言わない。頷くだけ。今さら量産的な味に舌を緩ませる女もいないのだろう。

 外を歩く少女がソフトクリームをちびちびと舐めている。幸せそうな顔、あんな風に笑えた時期もあったはずだ。


「そういや美華は彼氏いないの?」


 指先でストローをくるくると弄って、優子の口元は横に緩んでいた。笑っているようで、ひきつりを隠しているような、罰の悪い顔。何か言いたいことはあるが、言い出せない。そんなところだ。

 「男っぽい」私に色恋の話を振った珍しさもあって、私は続きを促した。彼氏ができた報告か、恋愛相談か、はたまた結婚の話が出てきてもおかしくはないだろう、くらいの想定はしていた。

 でも、私が優子と似た表情をすることになるなんて、想定していなかった。


「私、陽と付き合ってるんだ」

「へ、へぇ……陽とね。良いじゃん」


 ストローを弄るのは人類の癖だろう、私は下手なことを言わないようにと必死に喉を締めていた。


「美華にいつ言うか、ずっと悩んでたんだ。今でも仲良くしてるんでしょ? だから、その、美華を裏切ったみたいで怖かった。もしかしたら、美華は今も陽のこと……」

「そんなことないよ。私と陽はそういうのじゃないし、優子ならお似合いだと思うもん。女の子らしい優子ならさ」


 苦笑い。きっと感情を隠せてはいないだろうけど、優子はそういうの、きっと気づかないから。


「裏切ったみたい、か……」


 小声で吐き出してから、抹茶フラペチーノを飲み干した。溶けた氷で薄まりに薄まり、最後の一口は美味しくなかった。


 ***


 覚えたばかりの知識をひけらかすように、少年少女は私と陽に「恋愛」をあてがい始めた。長い時間を二人っきりでいる私達に、付き合っているのではないか、と。陽はそういう噂、声に対して冷静に否定を続けた。無闇に否定すれば余計に火の点きそうな話題だが、陽はどうして上手にかわし続けていた。

 それをつまならく思ったのは、きっと私だけだ。陽がどう否定していたのか、詳しくは知らない。聞いたことがないから。もし私にも聞こえる声で言ってくれていたなら、それ以上を望まずに済んだのだろう。私は子供だったのだ。


 陽が学校を休んだ日、ここぞとばかりに私に尋ねる子がいた。名前も覚えてない女。手には陽の連絡帳。


「はいこれ。持っていって? 付き合ってるんでしょ?」


 お前の仕事だよ、というのは悪気のない態度だろう。大人に許されるのは否定をするか、黙るかの二択だった。だから、私は思わずこう答えたのだ。


「まだ、付き合ってはないよ」


 その声は女以外にも、他のクラスメイトにも聞こえた。聞こえるように言ったから。連絡帳を両手で抱えて、俯く。陽が否定しても、私は陽と恋人でいたかった。陽の否定で火が点いたのは、直接それを聞いていない私だけだ。

 あれよこれよの間に、場の空気は天井を抜く。「まだ」の二文字に踊る少女らは、少年の助力を求めた。ガソリンに火を点けたような歓声と高揚。気づけば、明日陽に告白させようという計画に、頷いていた。




 陽の家は学校を挟んで反対側にあった。わざわざそちら側の集団下校に混ざり、下級生に不思議な目で見られる。陽の代わりだと言うと、随分と慕われているのだろう、低学年の子から抱っこを求められた。そして、優子との出会いもこの下校にあった。


「陽って面倒見が良いんだよ。特にここ悪ガキ多いからさ、登下校ではいつも助かってるんだ」

「そうなんだ。確かにそんな感じする」


 優子とは自己紹介の必要もなかった。優子の名前は名札で把握したし、優子は学年全員の名前を覚えているタイプ。この頃の優子は特に男勝りな陽気だったため、すぐに仲良くなった。別れ際にも、また連絡帳届けにおいでよなんて冗談。


 優子との会話に笑みが抜けないまま、陽の家に着いた。和風なイメージがあったが、今時らしく洋風の一軒家だった。陽が出て来ないかな、なんて思いながらインターホンを押そうとしたとき、不意に私は恐ろしくなった。連絡帳を持つ手、インターホンを押そうとする手、どちらからも力が抜けて、連絡帳はその場に落ちる。私は陽に大してとんでもない裏切りを働いたのだと気づいてしまった。

 明日、陽が私に告白する。それも私の差し金によって。そんな酷い話があるだろうか。陽は私にそんなことを求めてはいない。実際はどうあれ、互いに見上げる関係でいたかったはずだ。そう言っていたではないか。こんな低俗なことをしてしまって、私は陽に見下されるに違いない。投げるようにして連絡帳をポストに入れると、その場から逃げた。無心で走って帰る途中、赤信号を渡ってしまった気がする。




 翌日、私は学校に行くのが嫌だった。陽に合わせる顔がない。母に顔色を心配されたが、大丈夫だよと返してしまう良い子に育ってしまった。陽より早く登校して皆に計画の撤回を求めよう、なんて思い付いた頃には、時間的手遅れ。全てが私の愚かさだった。

 ドアの陰から教室を見ると、陽の机を囲むようにして人だかり。私達は終わったのだと察した。黒板には相合い傘、私と陽の名前。日直の部分も丁寧に私達二人。女子一人と目が合うと、私は手を引かれて陽の前に出された。

 陽の目は暗い。いつにも増して暗い目に、私は怯えていた。ごめんなさい、という声は音にならず、陽は私の目を見て「分かったよ」と言った。そして、ふっと笑った。立ち上がった陽は、私より少しだけ背が高い。


「付き合うとか付き合わないとか、そういうのは関係ないよ。俺は美華を尊敬してるし、美華からも尊敬される俺でありたい。その関係は絶対に変わらないけど、もしかしたら今以上に美華を知れるかもしれない。だから付き合おう。俺の彼女でいてくれ」


 三度だか四度だか、首が折れる勢いで頷く。教室は歓声に包まれて、私は耳まで血の流れを感じた。陽は慣れた手付きで私の頭に手を置くと、そのまま優しく抱き寄せる。真っ赤な顔は、陽の胸で誰にも見えない。陽は「落ち着くまでそのままでいて」と耳打ちした。

 歓声が止むよりも早く、担任が来るよりも早く落ち着いた。陽に安心したのではない。陽の鼓動が少しも動じていないことに恐ろしさを覚えたからだ。

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