21話 憧れなんてそんなもん

 なんだか今日は、いろんなことが大きく変わったような気がする。

 こころも、大地も、英二も、そして──。

「水緒ちゃん」

 肩をたたかれた。

 康平だ。

「康平さん! おつかれさまでした」

「おつかれさま。水緒ちゃん、テントが倒れてきてあぶなかったんだって? ごめんね、ちゃんと組めてなかったのかな」

「ううん違うんです。風が急につよく吹いて、それで。だれも怪我しなかったし!」

 そっか、と胸を撫でおろす康平に、水緒の胸はきゅんきゅんと高鳴った。

 わざわざ心配して駆けつけてきれくれたのか──と思うと、もはや彼は自分のことが好きなのではないかと錯覚してしまう。

「片付け手伝います!」

「ありがとう」

 康平はにっこり笑って、片付けを再開する。

 その笑顔にノックアウトした水緒は、もうだめ、とにやける顔を隠しながら、二十キロはあろうテントの重しを肩に担ぐのだった。


「…………」

 その様子を見ていた庚月丸。

 かわいい龍女さまである。なんとか彼女の恋路が実れば良いのに──と、忠実な眷属はいそいそと康平に近寄った。

「康平どのー」

「あ、コウさん。今日はお手伝いありがとうございました。おかげで助かりましたよ」

 と康平は深く頭を下げる。

 彼にとって四眷属とは、天沢の親戚であり、離れに住む天沢母娘の世話役──という認識である。当然ながら、水緒の父親が大龍であることは知らないので、美波のことを未亡人と思っているらしい。

 庚月丸は照れたように恐縮した。

「お役に立てて何よりです。しかし水緒さまも、とうとうおのこのご学友を連れていらっしゃるとは。もうそのようなご年齢になったということでしょうか」

「ああ」康平はポン、とてのひらを打つ。

「石橋くんと片倉くん──話した感じは良い子たちでしたよ。まあ水緒ちゃんと友だちになるんだから、きっと心根もよい子なんでしょうね」

「わるい虫がついてしまわぬか心配でござろう」

 むふふ、と庚月丸がわらう。

 彼の心を探ろうとおもっての発言だった。が、康平は眉を下げて「まあね」と苦笑する。

「妹みたいなものだから、兄貴としてちょっと気になりますよ」

「…………ええっと」

 庚月丸は、聞かなかったことにした。

「水緒さまもあれで近ごろはぐっとおなごとして成長されましたからのう──」

「どんどん似てくるでしょうね、……美波さんに」

「ああ、御前さまですねえ。たしかにたしかに。──」

 ン?

 と、庚月丸は首がをかしげたときである。


「あらぁ康平ちゃん」


 ばきっ。

 康平がホウキの柄を折った。驚きのあまり庚月丸が目を剥いて声のする方を向くと──天沢美波がそこにいた。

 いつもなら神社が閉門してから帰宅するのに、と庚月丸はパッとわらう。

「御前さま。きょうはずいぶんとお早いおかえりで」

「もともと出勤じゃなかったのよ、ヘルプで出ただけでさぁ。……あらやだ今日滝行体験だっけ。よくやるわねー」

「御前さまは打たれてゆかれませんので?」

「だれが好きこのんで水に打たれなきゃいけないのよ。私プールだって嫌いなのに」

「さようで」

 なぜこの母からあの娘が生まれたのやら……と思いながら庚月丸がちらと康平を見る。

 見て、固まった。


「…………」

 

 康平の目が一心に美波をとらえている。

 まるで恋する乙女のようにわずかに瞳をうるませて、彼は折れたほうきの柄にも気づかずにただただ、美波を見つめているのである。

 庚月丸の額にだらりと汗が出た。

(まさか)

 と思う間に、美波は「ほうき折れてるわよぉ」と手を振って母屋のほうへと歩いていく。宮司の仕事で立て込んでいるだろう兄の慎吾を訪ねて邪魔をする気だ。まったくあの人は兄御前さまを困らせるのが趣味というかなんというか──いやいまはそんなことどうでもいいのだ、と庚月丸はせわしない脳内を消すために首を振った。

 とにかく。

 庚月丸は切羽詰まった顔で康平を見る。

「こ、康平どの」

「…………」

「息。息をしとらん!」

「っはあ」

 息を止めていたようだ。

 康平は一気に吐き出してがくりと脱力してしまった。あわてて庚月丸がその背を支えると、彼はうるんだ瞳をそのままに「また」とつぶやく。

「……ろくな挨拶もできなかった」

「康平どの、まさかとは思いますが」

 聞きたくない。

 聞きたくないが──。


「御前さまに、ご懸想を?」


 と。

 言った瞬間、康平の顔が燃えるように紅色へと染まる。

 それを見た庚月丸はつられて顔面を朱くする。が、ふいに視界に入った康平のうしろ──。


「あ、そうなんだ……」


 とつぶやいた水緒を見るや、その顔は一気に蒼白く変色するのであった。


 ──。

 ────。


 ※

「なんじゃッ、この騒音は」

 社殿の前。

 ウサギが耳を前足で抑え込む。


 騒音というのは、水緒の歌声とも泣き声ともとれるわめき声のことだろう。聖域と俗世の境目、しめ縄のところで顔をぐしゃぐしゃに歪めながら彼女がわんわんと歌っている。

「なんの歌じゃろ……」朱月丸は目をしょぼしょぼとさせた。

 しばらく聞き届けた銀月丸が真顔で、

「アベックが別れる歌じゃな」

 とつぶやく。

「おま」白月丸はぷーっと吹き出した。「アベックは死語ぞ」

「フラれたんかのう、水緒さま」

「なにをいう。康平どのが御前さまに懸想しとることはみな知っとろう。想定のうちじゃ」

「にしても、ろくに好きとも伝えとらんくせにカップルが別れるモノを選曲するとは図々しい」

 冷たい眷属である。

 しかしいったいなぜ突然フラれてしまったのか──と三匹がこっそりと様子を見に行くと、水緒のとなりには人型の庚月丸がともに泣いてハモリをいれている。銀月丸はああっと前足を額にあてた。

「ピュア中のピュアであるあやつのこと、康平どのの気持ちを知らんものだから、水緒さまのためといらんことをしたんだなきっと」

「放っておこう。失恋の痛みを抱えた女には触らぬにかぎる」

「白月丸は時にドライじゃのう」

「放っておく優しさというのもあるんよ」


 ──けっきょく。

 三匹は音を立てずに社殿へともどることにした。


 翌日、失恋を心配してひと晩寄り添っていたサル──庚月丸である。

 彼からのわずかな報告によれば、水緒は朝ご飯こそ食欲が失せてご飯を二杯しか食べられなかったものの、昼からはすっかり元の調子にもどっていたそうである。

 あらあらかしこ。

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