18話 混じる風
滝行体験当日。
体験用の滝前には、人に化けた四眷属のうち白月丸と朱月丸も運営助手として手伝いに参加していた。
周囲を見渡して、白月丸は眼鏡の奥の瞳をにっこりと細める。
「きょうはこころちゃん以外のご学友もいらっしゃるそうじゃな。どんな子かあとで大龍さまにご報告せにゃ」
「タヌキ顔なおなごはおるかのう」
「それがしはなんでもオッケーぞ」
「白月丸の万年発情期はいくら歳をとっても衰えんな」
「ウサギじゃからな」
わっはっは、と互いに笑い合うふたりの頭を、ぽかりと殴ったのは人型の銀月丸だ。その手にはもっさりとカゴに盛られた客用の
「くだらんことを話しとる暇があったら、この装束をあっちへ持っていかんかい」
「おっ、硬派なオオカミが来たぞぉ──いてっ」
「ええからはよもってけ!」
といって銀月丸は手に持ったカゴを朱月丸に押し付けた。
ぶつぶつと文句を垂れる朱月丸を見送ってから、銀月丸は険しい顔でつぶやく。
「匂わんか」
「それがしはお前ほど鼻が利かぬぞ。が、言いたいことはわかる。どうにも──」
よくない風じゃ。
白月丸と銀月丸は、少しずつ集まりゆく参加者を眺めて眉根をひそめた。
※
「すげえな、大盛況じゃん」
大地がいった。
滝行体験開始まであと十分と迫ったところで、滝前に並ぶ参加者はおよそ二十人にのぼった。この数字は前年の二倍である。
英二とこころもそれぞれ行衣に着替え、滝前に集合する。──無論、滝行用のため水に塗れても透けないように工夫された特製のものである。
案の定この人は不服顔である。
「だまされた」
「男女混合なのに、スケスケになるもの着せるわけないでしょ。石橋くんってバカじゃないの」
「天沢にバカって言われるの、すごい心外だよ」
「…………」
「あれ? おい、あのひとって──」
と大地が指をさした先にいた人物を見て、水緒はゲッと喉奥でうなった。
(……庚月丸!)
────。
その少し前。
主催である宮司の天沢慎吾は、あつまった体験客とその名簿を前に、満足そうにうなずいていた。
「二十人か。なかなか集まったじゃないか」
「兄御前さまのご尽力でござろう」
久方ぶりにございますな、と設営を手伝っていた人型の庚月丸がひょっこりと顔を出す。慎吾はおお、と頬をほころばせる。
「庚月丸さん」
「なんの、よしてくだされ。御前さまと水緒さまのもとにお仕えして十六年──兄御前さまとそれがしら四眷属の仲ではござらんか。どうぞ親しみをこめて”庚”と」
「ご祭神にお仕えの眷属をそう呼ぶのは……いまだに宮司として気がひけるな」
「おや、御前さまなど初めから”庚ちゃん”でしたぞ。水緒さまなんぞ呼び捨てじゃし、そんなにお堅いのは兄御前さまくらいのものでございます」
「あいつらが非常識なんだ。それより先日も林間学校の水緒を助けてやったんだって? 水緒が、先生には怒られたがいい体験だったってよろこんでたよ」
「いやあ、水緒さまもなんだかんだと大龍さまの御子だということですわ。いやなんにしてもあのバスとやら、それがしは初めて乗ったんですがの。ありゃもう二度と──」
と庚月丸が熱弁をはじめたときである。
あーやっぱり、という声が背後から聞こえた。振り向いたところに大地と英二が立っている。そのうしろにはこころと、頭をかかえた水緒までいるではないか。
庚月丸の動きが止まった。
「どっかで見たことあると思ったら、この間奥多摩でウサギを逃がした兄ちゃんだよな」
「こ、これはこれは──ええと御名はたしか」
「おれ片倉大地、こっちは」
「石橋英二です。コウツキさんですよね、もしかしなくても天沢の知り合いだったんすか」
と英二が代わっていうと、庚月丸は笑顔を崩さぬままにだらりと汗をかいた。そのようすに何事かを察したのだろう慎吾が「ああ」とにこやかにうなずく。
「彼はここの手伝いをよくしてもらっている方だよ。君たちは──水緒のお友だちか。私はここの宮司の天沢慎吾。水緒の伯父だ」
「あ、奥多摩で言ってた慎吾くんって」大地は水緒に顔を向けた。「この人のことか」
「うん……」
水緒の顔は浮かない。
もはや庚月丸が赤の他人でないことがバレてしまった。まさか身内が林間学校についてきていたなんてこの大地に知られたら、いったいなにを言われるかわかったものではない。
──が、大地は意外にもにっこりわらって「なんだ」と水緒の肩をたたいた。
「ここの神社の人だったんなら洞窟から出たときにそう言ってくれりゃよかったのに! 誤魔化してくれたお礼、この人に一生言えねえんじゃねえかってちょっと残念だったんだぜ」
「えっ」
「いやはや、礼だなんてそんな。あれほど迷惑をかけてしまったのに、身内なのだと水緒さまの口から言わせるんは忍びないとおもいまして。──さあさ、それよりも滝行体験開始のお時間ですぞ。むこうで康平どのが第一陣の参加者を仕切っとりますゆえ、皆さまは第二陣として構えていただかねば」
あれれ。
意外と拍子抜けである。なるほど、あの時に恩を売っておいたのがよかったか──と水緒がひとり胸を撫でおろすと、となりで英二が口角をあげた。
「いこうぜ大地、こころさんも」
「あ、……うん」
こころがぴくりと眉を動かす。
彼女はよほどのことでない限りことばでは言わぬが、顔にはもろに出るタイプなのだ。
どうせいまも、なぜ名前呼びに──と思っているのだろう。あまりのわかりやすさにくすくすとわらったときである。
「あぶないッ」
声が聞こえた。
その瞬間、受付のテントが強風に飛ばされて大地たちの頭上にふり落ちてくる。
「!」
声を出す間もなく、大地は目をつむり、英二がこころをかばった。
ガシャン、ガタンッと大きな音が境内にひびく。
しかしいつまで経っても、頭をかばう体勢にいた三人にテントがかぶってこない。大地がおそるおそる瞳をあける。そして目の前の光景に絶句した。
「ぐっ」
水緒が、素手でそのテントを受け止めている。およそ重量が三十キロはあろうテントを──である。
「水緒さまッ」
「水緒!」
すぐさま庚月丸と慎吾が駆け寄った。
そののち三人がかりでテントを押し戻し、けが人もなく事なきを得たのだが──しかし周囲から、ひどく険しい顔をした数名の青年が駆けてきた。
うちふたりは以前入学式で見たことがある。
お怪我は、と前髪で目が隠れた青年が心配そうに水緒のからだをくまなく眺めた。
「だ、だいじょうぶ。びっくりした……風?」
「いやこれは……」
「挑発でござろう。テントから臭いが」
口ごもる眼鏡の青年をさえぎるように、いまにも噛みつかんばかりの表情でテントを睨みつけるは銀髪の青年だ。大地はしばらく呆けていたが、となりにうずくまっていたこころが動いたことで我に返った。
「……あ、天沢。だいじょうぶか!」
「うん。ごめんね、そっちは怪我なかった?」
「ああ──お前が支えたから」
「ありがとう水緒」
と、こころは英二を押しのけてむくりと起き上がる。
水緒が龍神の娘である──ということは知らないが、昔から人並み外れた怪力の持ち主であると知るこころにとっては当たり前のできごとだったものの、大地と英二からすれば軽く流せることでもなかった。
「おまえいったい何者だよ……」と、大地。
「これ見たところ三十キロはあるぜ」これは英二だ。
まずい、という顔をした慎吾。
いまだにへばって座り込む三人を起こして「すまんね」と話題を変えた。
「こわかったろ、風でテントが飛んでしまったようだ。けが人もないし滝行は予定通りできるから向こうに並んでいなさい。すまんがだれか彼らについててやってくれないか」
慎吾は四眷属にむかっていった。
それがしが、と庚月丸は率先して手をあげる。それにつられて白月丸も胸を張ってうなずいた。対して銀月丸はクン、と水緒を嗅いでちいさくつぶやく。
「水緒さま、テントを動かした何者かの邪気がすこし残っとります。上の滝でお清めなされよ」
「うん──なんか落ち着かないとおもったよ。こころ、ゴメン。ちょっと上の滝に当たってくる」
「あとでね」
「うん!」
元気よくうなずいたものの、水緒はすこし不安になって慎吾を見上げる。
が、彼は強面の面に笑みすら浮かべて「行ってきなさい」と水緒の背中を押した。
「慎吾くん……」
「こっちは大丈夫だから、お前はいまやるべきことをやるんだよ」
「──うん」
と、豪瀑へ向かおうと歩きだす水緒のとなりに、ぴたりと朱月丸がついた。
どうやら銀月丸は、いま起こったことを大龍に報告すべくいつの間にやら聖域内の社殿へもどっていったようだ。
「朱月丸」
「それがしがついとります。思う存分、おからだ浄められませ」
「うん」
風が吹く。
春先だというのに、いやにねっとりとした風だった。
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