5話 阿龍と吽龍

 大事なものですからの、と銀月丸は再三いった。

 庚月丸がものものしく出してきたものを見て水緒はほう、とため息をつく。なんてきれいなんだろう。水晶玉というのだろうか。すこし頭のとんがったふしぎな形をしている。

 触ってみるとガラスよりもやわらかい質感で、ずっしりと重量がある。先を透かしてみようと覗いて見るも、中はぼんやりと淡く光っていてなにも見えない。

 膝上の白月丸がうれしそうにこちらを見上げた。

「水緒さま、これはご存じで?」

「ううん知らない」

「…………」

 とたん、シュンとウサギの耳が垂れる。なにか物言いたげな顔である。

 代わりに朱月丸が「ほんまにのー」と気の抜けるような声を出した。

「水緒さまってばなんも知らんのう」

「わ、わるかったな!」

「まったくもう」と、銀月丸がきりりと瞳をしぼって水緒を見つめる。

「それは『如意宝珠』といいます。”すべてを意のままにあやつることができる”珠だそうで。本来は、大龍さまのようにすべてを備えられた龍が持つもの──つまり、龍”神”の証となるものです。龍神はおのれの力でその宝珠をつくりだし、その宝珠を以って人の世を導く誓いを立てるわけですな」

 といった銀月丸に、水緒は目をまるくした。

 そんなたいそうなものをこんな半人前の自分がもらっていいのか──と言いたげな顔をしている。その顔を見た庚月丸はぷっと口元をおさえた。

 銀月丸もその顔から水緒の心を読み取ったのだろう。

 しかし、と右前足を宝珠に添えた。

「これは修行用で、なんでもできるわけではありませんからご了承くだされ」

「な、なんだ……そりゃそうだよね」

「なんでも龍族の龍たちは”龍神”になるため、この修行用に与えられた宝珠をつかって、人の世を見守る使命を果たし徳を積んでゆくそうですよ。ちなみにこれは大龍さまが水緒さまのためにおつくりになった宝珠ですゆえ、のちほどお礼言っといてください」

「へーい」

「よいですか水緒さま、この如意宝珠は水緒さまの龍としてのレベルがはっきりとわかるものです。下の大龍神社に狛龍がおりますな」

「うん、いるね」

「水緒さまにはこれからの修行のため、あの二匹を使役龍として育ててもらいますよって」

「はー…………は?」

 水緒は銀月丸を三度見した。

 なにを冗談いって、と思ったが、凛と伸びる彼の背筋がその真意を裏付けさせる。そもそも銀月丸自体、めったに冗談などいうことはない。

「狛龍を育てるってどうやって」

「まさか水緒さま、あの狛龍たちがただの石像だったとお思いで?」

「思ってるに決まってるじゃない!」

「やれやれ──」

 ぴょん、と白月丸が水緒の膝からおりる。両脇に陣取っていた朱月丸と庚月丸もゆっくりと腰をあげた。

「なに、なんなの」

「水緒さま、その如意宝珠をお手に」

「え、え」

 とまどう水緒の手に、庚月丸が如意宝珠を乗せる。

 すると宝珠のなかの淡い光がちかちかと明滅しはじめた。まるで水緒の心臓の鼓動のリズムを刻むように。

「水緒さま」白月丸は大きな耳を動かしていった。「お呼びくだされ」

「呼ぶ?」


阿龍ありゅう吽龍うんりゅう──と」


 どきどきと高鳴る心臓に合わせ、光の明滅が強くなる。

 水緒はゆっくりと口を開いた。


「阿龍、吽龍」


 宝珠が光る。まぶしさのあまり瞳をとじた。

 パッと風が頬を撫でた気がしておそるおそる目を開くと、目の前に宙に浮いた二匹の生き物が、じっとこちらを覗き込んでいるのが見えた。

 大きな瞳に丸みを帯びた鼻先。長く伸びた身体は龍のようだが、その体躯はあまりにもちいさい。瞳の横から伸びる小枝のような角はさわったら折れてしまいそうなほどだった。

 龍というくらいだから、もっと雄々しくて猛々しいものを想像していた水緒だったが、これはあまりにも──。

「か、かわいい……」

 おもわず口からこぼれる。

 が、しかし四眷属は一斉に深いため息をついた。

「こりゃあだめだ」

「水緒さまってホント」

「一瞬、気が遠くなってしもうた」

「まさかここまでとは」

 聞くかぎりでは決して褒められてはいない。

 ムッとして、宙に浮く生き物の頭を撫でながら反論した。

「なによ、ちゃんとこうやって出てきたじゃない!」

「水緒さまはその龍をみてなんとも思わんのですか」

 庚月丸は弱々しい声を出す。

「なんともって、だから、かわいいなあって」

「それです。それがいかんのです」

「偉大な大龍さまの娘御の使役龍がこんな幼龍ってアンタ」

「それがし胃がひっくり返りましたぞ」

 朱、庚、銀と口々に文句を浴びせられるも、いったいなにがわるいのかがわからない水緒にとっては不愉快でしかない。

 キッと眉をつりあげて一同を見下ろした。

「ちょっと、言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」

 とどめは、白。

「だからさっきから言うとるではありませんか。この如意宝珠は水緒さまの龍としてのレベルがはっきりとわかるもの、そして水緒さまが呼び出した使役龍がこれほどちいさい。つまりは水緒さまの徳があんまり低いもんで、今後の修行が思いやられると言いたいわけです」

「…………」

 水緒は握ったこぶしはそのままに、ちらりと幼龍たちを見る。

 彼らはきらきらとした瞳をまっすぐこちらに向けたまま動かない。なるほど、こちらを信頼しきった目だ。

「……そ、そこまでひどい?」

「ええもう」

「十五でこれですからなあ」

「御前さまの教育が良かったゆえなんとかなっとるものの」

「これで水緒さまがグレとったらまずかったなー」

 わははは、と四眷属がひと笑い。

 水緒からすれば腹立たしいことこの上ないが、しかしたしかにちいさい。ちいさすぎる。龍とはもっとこう、この屋敷いっぱいでも収まらぬほどの大きさだと思っていた──。

 戸惑う水緒の前に、銀月丸がぱらりと冊子を見せてきた。芳名帳である。

「……これは?」

「先日、水緒さまご成人となる誕生日前夜にいらした神々の御名にございます」

「は?」

 神様の名前?

 と水緒が芳名帳を覗きこむと、そこにはずらりと多くの名前が連なっていた。名前の読みがむずかしいものばかりで、ほとんど読めなかったけれど、水緒はひやりと汗をかく。

「こ、この量の神様が……あたしの十五歳の誕生日だからってやってきたわけ?」

「そうですよ。これほど、水緒さまが龍となることを祝う神々がいらっしゃるということです」

「な、なんで!?」

 神様など会ったこともない。それにこれまで十四回の誕生日には神様の来訪などはなかったはずだが。

 そう言うと、庚月丸はクスクスとわらった。

「だから、十五となったからですよ。いいですか。水緒さまが成人となり、今後の修行次第で大龍さまの跡を継ぐ実力を持った龍になれば、いま大龍さまがやられていることをいずれは水緒さまがやることとなるのです。それを思えば神々とて無視はできますまい」

「…………」

「水緒さまはまず、大龍さまの娘御であることを自覚せねばなりませぬな。そして大龍さまが、それほどの方なのだということも」

 と。

 言われてしまえば、もはや水緒に退路はなかった。

 ちらりと銀月丸を見て、使役龍の二匹を胸に抱く。

「……どうしたら、この子たちを成長させることができるの?」

「それは水緒さまが、龍のお役目である『人を守り導くこと』を果たされることですな。それに尽きる」

「だからそれじゃわかんないよ!」

 よいですか、と白月丸は唐突に人型へ変化する。それから水緒の両の手をやさしく握った。

「水緒さま。半龍というのは言い換えれば、人と龍をつなぐ架け橋ともなりましょう。龍とはつまり自然そのもの。人は自然に生かされ、自然は人のために生きている。そのことを水緒さま自身がしっかりと胸に刻むことです」

「…………」

「そしてどうか、何時如何なるときであろうと、龍の使命を忘れぬことです。たとえ悲しみに襲われて泣き暮れようとも、たとえ──人間を憎らしく思うてしまうときがこようとも」

 白月丸の声は、冬の呼気のようにピリリとはりつめた。

 大丈夫、と朱月丸が膝に手をかけてきた。

「とかく愛を以って日々をすごせばよい」

「そうそう」庚月丸も水緒の肩越しに顔を出す。「某らはみな水緒さまが大好きですよって」

「水緒さまなら大丈夫です。いざとなればわれわれ四眷属もついております」

 そして銀月丸も、水緒の頬に鼻を寄せた。

 四匹の動物に励まされ、二匹の幼龍からは期待に満ちた目を向けられて。

「わ、かった」──と、水緒は不安ながらもゆっくりとうなずいた。


「……よろしくね、阿龍、吽龍。たすけてね、お前たち」


 阿龍、吽龍はうれしそうに水緒のまわりをくるくると飛び回る。

 そして四眷属は互いに顔を見合わせてから、

「御意!」

 と声をそろえて頭を垂れた。


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