第14話 狸親父の挑戦状!
宿の宿泊予約表にタヌキチ、いや田沼吉蔵氏の名前を見つけたのはそれから数日後のことだった。見つけた瞬間に「ふぁっう!?」と喉から変な声が出た。
タヌキチの仕掛けてきたボーリング作戦は想像以上にいやらしい手だった。
こちらとしてもせっかく竜泉閣を訪れてくれたお客様に不快な思いをさせるわけにはいかない。そう考えて、やむなく竜泉閣のホームページの一番目立つところに赤文字ででかでかと「近隣にて現在工事が行われており、客室まで音が響く可能性がございます。あらかじめご了承ください」と記載したところ、客足が見事なまでにぱたりと途絶えてしまっていた。
そんな中で久しぶりに予約が入った!と喜び勇んで詳細を確認したら、出てきたのがタヌキチの名前である。そりゃあ変な声も出ようというもの。私はさっきまで隣で帳簿とにらめっこをしていた継春をちょいちょいと招き手で呼んで、黙って予約画面を見せる。
画面を覗き込んだ瞬間に「ぶっは!?」と継春も変な声を喉からもらす。
次に彼の口から漏れ出てきたのは、感心と呆れと怒りが等分で入り交じったつぶやきだった。
「いやー……、なんというか、これは……」
どうにも二の句が告げないでいる彼に代わって、私は「とんでもなく図太いよねぇ。さすが狸親父」と言葉を継ぐ。継春は困ったように頭を掻いて、思案顔で私の方を向くと、「どうしようか、この予約」と尋ねてきた。
断ってもいいよ?という意味も含めてこちらに告げているのは分かったけれど、ふと、私の頭の中にある考えが浮かんだ。私は大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出してから継春に答えた。
「いやでも、これは逆にチャンスかも」
「え?」
私の言葉に不思議そうに継春が尋ねてくる。私は帯に手挟んでいた名刺入れから先日の面会の際に田沼氏から受け取った名刺を取り出しながら、先ほど思いついた考えを継春に述べる。私の考えを聞いた継春は腕を組んで考え込んでいる。
「それは……どうなんだろう。向こうの性格にもよると思うけど」
「このタイミングでわざわざ予約してくるくらいだから、結構な性格だと思うよ。だめでもともとだし、交渉してみるね」
私は言いながら、スマホを手に取って、名刺に書かれている電話番号の数字を順番にタップする。数回のコールの後、スピーカーの向こうから声が聞こえてきた。
「はい、こちら田沼ですが」
「もしもし、私、竜泉閣の清水優菜でございますが」
「おや、これはこれは。竜泉閣の若女将ではないですか。先日はどうも」
私の名乗りを聞いた瞬間、にやにやと笑っている顔が浮かぶくらいにその声音は愉しそうだった。私は務めて平静を保って話を続ける。
「このたびはご宿泊のご予約をいただきまして、誠にありがとうございます」
「いやいや、どうせ無くなるんだしねぇ。最後に一度行っておくのも悪くないと思ってね」
「それなのですが、私から一つご提案がございます」
「ほう。なんだね?言ってみなさい」
完全に上の立場にいることを確信しているからなのだろうか、私の言葉にどこか面白がるような反応を返す田沼氏。どうやらうまく食いついてくれたみたいだ。私はお言葉に甘えて田沼氏に一つの提案を告げる。
「田沼様が、竜泉閣のおもてなしにご満足いただけたら、今回の話はなかったことにしていただけませんか」
「……ほう」
私の提案はは想定外だったのか、田沼氏の相槌には多少の驚きが混じっているように思えた。
「田沼様はあの場でそちらの施設が建つ方がよいとおっしゃいましたが、一度うちのサービスを受けていただいてからお考えいただいてもよろしいのではと思いまして」
「それは、何かね、うちのグループに対する挑戦ということかね」
そう告げる田沼氏の言葉には棘が含まれている。先に挑発してきたのはそちらでしょうが、とは思ったものの、田沼氏をここでうかつに怒らせるわけにはいかない。私は慎重に言葉を選びながら、会話を続ける。
「私は竜泉閣を続けていきたいだけです。ここにはここの良さがあります。田沼様にそれを知っていただきたいだけなんです。……それに」
「それに?」
「田沼様が竜泉閣にこだわるのには、源泉の他にも理由があるような気がしました。もしかして、過去になにかあったのですか?」
電話の向こうで、田沼氏が一瞬身じろいだような気がした。田沼氏はそのまま無言でしばらく考え込んだ後、質問には答えずにこう返してきた。
「いいだろう。その話、受けようじゃないか」
「ありがとうございます。当日お待ちしております」
向こうが電話を切るのを待ってスマホを耳から離し、こちらもそっと通話を切る。緊張の糸を緩めるように大きく息を吐き出した後、私の横で固唾を飲んで様子を伺っていた継春に、ガッツポーズをしてみせる。
「やった。受けてくれたわよ」
「凄いな、本当に受けてくれるとは思わなかったよ。……まあでも満足したかどうかなんて結局は向こうの答え一つだからなぁ」
「それでも何もしないよりはいいでしょ」
私ももちろんそのことは考えた。うちのサービスに満足したかどうかなんて向こうの言い分一つなんだし、本心を正直に言ってくるとは限らない。そもそもがまったくフェアな勝負なんかではないわけで、内心は不安でいっぱいではある。それでもきっぱりと私は答える。
「それに、普通に予約して来られるんだから、旅館の若女将がお客様をおもてなしするのは当然でしょう?」
それから冗談めかして「まさかボーリングの音がうるさいっていうクレームはつけないでしょ」と付け加える。私は気合いを入れるようにパン、と両手を胸の前で勢いよく重ね、これまでのすべてをつぎ込んで高らかに宣言した。
「さあ、竜泉閣の総力を挙げて全力でおもてなしをしましょう!」
私の宣言にしばらくぽかんとしていた継春も、吹き出すように笑ってから「そうだね。そうしよう」と言って大きくうなずいた。
♨♨♨
さて、そうと決まれば作戦会議だ。
田沼様がご予約されたのは、各種用意したプランの中でも最上級に該当するプランだった。なるほどなるほど、そうするとやはり人間だけでは物足りない。せっかく竜泉閣においで下さるのだ。最高のおもてなしをするためにはやはり十分に作戦を練る必要があるだろう。
私は継春と一緒にいつものように厨房へと赴いて、板長と料理の内容について打ち合わせを行う。板長だけでなく、打ち合わせには彼も参加してもらうことにした。私は冷蔵庫の扉を開けて、手招きをする。
その後はロビーで莉子ちゃんと田沼様の来訪時についての話をすることにした。お部屋へのご案内のルートをあらかじめしっかりと決めておく必要がある。私は莉子ちゃんと手順のすりあわせを行うと、玄関と、庭の入り口と、日本庭園ですりあわせた内容を共有して、「当日は、よろしくね」と頭を下げる。
大女将の部屋の近くを歩いていると、廊下の先でちらりと赤い着物と黒い尻尾が見えた。私は二人にもお願い事をする。
大女将にはリハビリも兼ねて生け花の新作を準備してもらった。今や目をつぶっていたって竜泉閣の中を迷わずに歩けるんじゃないかというくらい、竜泉閣の中を知っている大女将は私が生け花を置きたい場所を伝えるとすぐに、「その位置に置くんだったらこう見えるはずだから、こういう生け方がいいわね」とまるでその場にいるかのように生け花のイメージを膨らませていく。
最初はリハビリにもなるからまあいいでしょうと大目に見てくれていた病院の看護師さんも、大女将に言われるままに私が持ち込んだ大量の草花でリハビリ室がまるでここは花屋かと思うくらいになってしまうに至って、さすがに私達をリハビリ室から追い出したのだった。
慌ただしく準備をするうちに、日々はあっという間に過ぎていった。
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