第5話 かえりたくない

父は温かく迎えてくれた。


この人はいつもこうだ。




感情的になるときは、怒鳴り散らして暴力を振るって手が付けられなくなる。


自分にとって都合の悪いことからはすぐに逃げるから、仕事も何度かクビにさせられている。


その上、女性好きで幼い子どもの前でも平気でビデオ通話。


今にして思えばあれも一種の虐待だった。


あちこちの女性にお金を使うからもとよりすくない収入はほとんど生活にまで回ってこない。


加えて気付けば借金まみれ。




でも機嫌がいいときは優しい。


いつも揉め事の絶えない母との間に入ってくれることがあるし、家事全般が疎かな母に代わって、週末にまとめて掃除をしてくれるのは父だった。




そんな父が大嫌いで、でもどこか頼りにしてた。




だからこの日も母から離れてここにきた。




父にとってこの日は何かあったんだろうか。


なにか用事があるけれど、母から連絡があったからとりあえず呼んだんだろうか。


父の家についてしばらくたったころ


「じゃあ、送ってあげるから帰りな」


そう言われた。




この日はすごく帰りたくなかった。


もう時間も遅かった。


2時とか3時とか、そのくらいだったと思う。


それでも帰る選択肢しかなかった。


この日は無性に泊めてほしかったのに。


金曜日だったから学校のことも気にしなくてよかったのに。




帰りたくないから泊めてほしい、とは言えなかった。


そんなに素直に甘えられる子どもじゃなかったし、きっと誰かと予定でもあるんだろうなって。


この人は自分の子どもより見知らぬ女をとる男なんだって経験値で知っていたから。


迷惑はかけたくなかった。


気付かないふりして、都合のいい子どもでいたかった。




そのまま、その日は家に帰された。


夜中にひとりで戻るその家は監獄のように感じられた。


お風呂も入らずに部屋にこもって、なぜかわからないけど泣いた。


泣いて、泣いて、泣いた。


それから調べた。


親から逃げる手段を。


今までにも何度も調べてきたけれど、学校や友だちを捨てることができなくて最後の一歩を踏み出せなかった。


そして見つけた。


子どもシェルターを。


ここだ、と思った。


殴られたり、蹴られたりした痣があるわけじゃない。


だからもしかしたら受け入れてもらえないかもしれない。


だから日本全国のシェルターを調べた。


翌日もずっと調べた。そして家出の準備を進めた。


今度こそは帰らない、と決めて。


シェルターに電話がつながるのが月曜日。


なら日曜日に家を出ても一晩くらい野宿できる。


そう思って、日曜日に弟と母親がそれぞれ出かけたのを確認して自転車で家を出た。


まだまだ暑かったことだけよく覚えている。


そしてこれっきり今日にいたるまで私はあの家に足を踏み入れていない。


やっと、離れることができた日。

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(仮)カッコウの雛 たくあん @takuan_GR

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