➤7話 その日
「よっ!」
誰も住んでいない廃墟に忍び込む。
俺は今年で八歳になった。身長も伸び、母さんの身長にどんどん迫ってきている。
超えるのも直ぐだろう。
そして、前世の年齢を合わせると30歳。三十路だ。
社会人にもなれていなし、まだガキっぽい所もあるが、なんとか生き抜いて少しは成長できたと思う。
「エリー、手を」
「うん!」
ここは、スラム街だ。
そんな場所で俺は、畑を開拓し、生活に安定を作り出すことができた。金は相変わらず乏しいが、ボロボロの倉庫ような家だった頃よりは家らしくなった。
キッチンは竃でできていて、木製台所もできている。フライパンや包丁、皿もちゃんと陶器だ。
前は床に布を敷いて野菜を切ったりしてたんだぜ。
「よし、宝探しだ!」
「えーこんな所に宝なんてあるの?」
「レッツゴー!」
俺が作った菜園をもとに、母さんが野菜の売り出しをしている。ダンさんの協力もしてくれ、敷居も広くなった。
前世で
「………うーん、目ぼしいのものはないか」
最近は宝探しついでに、この世界のことを知るために書物や本などを漁っている。
色々調べてやっと知った事だが、ここは《コリオリの街》というらしい。ヘーリオス大陸を支配していたコロナ帝国の領域の一つだったそうだ。
元々、土地や魔素が肥えていたため、農業を開拓する者も多かったそうだ。そして、作物を掠めとろうと魔物達も生息しているため、冒険者も多く滞在していたとのこと。
「何を見てるの?」
「ああ、これは多分この町の書物だと思う」
俺は廃棄された家に残っている情報を漁っている。
この世界について知るためだ。
「ねえ、これは?」
「前に見たのと同じだな」
ちなみにアートは家で留守だ。
今は柴犬並みのサイズだが、いまだ成長している。
このままいけば、いつか大狼になるだろう。
「よし、今日はこれくらいでいいか」
ダイアナはダンさんのところで手伝いをしている。
ダレルらも同じだ。家の仕事を継ぐためか、最近は真面目に手伝いをしているらしく、遊べていない。
たまに顔を出すと泣いて喜んでくれる。
「………」
エリーも成長するところは成長して………
いや、上も下もしっかりとしておる。
この歳で大したものだ。僅かな膨らみとくびれがある。いずれ必ずナイスバディな女性になるだろう。
「ん? なに?」
「いや、なんでもない」
と、俺は落ちている一枚の紙を拾う。
「新聞の号外みたいなものか」
見出しに『魔人、帝国侵攻!!』と書かれている。
強力な魔人がヘーリオス大陸の最大国であるコロナ帝国を侵攻したことや、コロナ帝国の戦力など解説が書かれている。
よく分からない。
どうなったかまでは書いていないようだ。しかも、日付の部分が破れていて、いつ頃の号外なのか分からないのだ。
「ま、いっか」
俺は新聞をポイッと投げ捨て、他の書物を漁る。
特に収穫もなかったため、廃墟を出る。
空が夕焼け色に染まっている。
「ちょっと暗くなって来たな」
「うん、帰ろうっ!」
今日も暁が綺麗だ。
こんな場所でも心を震わせるものだ。
異世界でも大自然は偉大だ。
◆◇
露店エリアに入った途端、珍しく騒ついていた。
基本的にこの時間帯となると一気に暗くなり、不気味なほどに静かになるはずだ。
「何かあったのかな」
向こうには人が集まっている。なにか事件があったのかもしれない。
俺とエリーは奥へとかき分けて進む。
そこには、血で描かれた文字。
───邪神。
壁の文字は雑に殴り書かれている、一言だけのダイニングメッセージだった。
「アル、ちょっと置いていかないでよ」
遅れてきたエリーは頬を引きつらせた。
周りの人は誰かの悪戯だろうと囃している。
「血……誰かが死んだのかな」
「かもしれないね。まぁ、僕たちには関係ないだろうさ」
俺たちは再び人をかき分け、帰りの道を歩く。
「”邪神”……か」
俺は密かにその言葉を提唱した。
なぜ提唱したのかは分からない。だが、他人事ではない気がした。何かが動き出した気がしたのだ。
「まぁ、漫画の影響かなぁ」
そのメッセージは何を意味するのか。
今の俺には知る由もなかった。
◆◇
俺たちはこれから夜食の時間だ。いつもはアリアおばさんに言われてたまに一緒させてもらっている。
エリーから誘われることもしばしばあるが、俺からはない。たまに俺から誘ってもいいだろう。
「あ、あの…」
と思ったら、何か言おうとしている。
なんだろう。
「ん?」
「えっと、その…今日、うちに来ない…?」
顔を紅色に染め、招待をしてくれた。
また先手を取られてしまったようだ。
せっかくの誘いだ。断るわけにはいかない。
「いいの?」
「う、うん」
「じゃあ、一回家に帰ってから行くよ。野菜とか取りに戻りたいし」
「……っ、うん、待ってる!」
パァと笑顔で返事するエリーだった。
そして、俺たちはそれぞれの家に戻る。
「ただいま!」
「ウォン!」
「おかえりなさい」
俺に寄ってくるアートだ。撫で回してやる。
アートは頭も相当賢く、念話の練度が上がって来ている。最初は片言だったのに最近では助詞とかも使いこなし、流暢になって来ている。
「母さん、今日はエリーの所で食べてきてもいい?」
「珍しいわね。いいよ、気をつけなさいね」
「うん」
「アリアさんにもよろしく言っといてね」
「はーい!」
と、俺は手土産を取りに菜園へと向かう。そして、適当に野菜を袋に入れ、菜園を出た。
今日はキュウリが美味い。新鮮が一番だから少量の肉と炒め合わせるのもいいだろう、なんて考えながらエリーの家へ向かう途中、ダイアナと遭遇した。
大きく息が乱れている。何かあったのだろう。
「ダイアナ?」
「はぁはぁ……エ………が……ッ」
「落ち着け、何があった?」
「エリーが攫われたんだ!」
なんだと!?
「どういうことだ!?」
大袋を落として、ダイアナの肩を掴んで迫った。
「い、痛いよ」
「あっ、ごめん」
思わず力が出てしまったか。ネックレスをしているとはいえ、全力を出したら危ないのだ。
……それはどうでもいい。今はエリーだ。
「実はね。エリーと会って話をしていたら、急に知らない狼男に攫われたんだ」
「急にか?」
「うん……」
人攫いで奴隷関係の可能性がある。
コリオリには少しだが、奴隷商会が点在している。
「……まさか」
子供の頃、狼男に捕まったことが脳裏をよぎる。あの狼男は何かしらのグループに所属していた。
ここらで大きな組織といえば一つしかない。
それは、ギルドだった場所を再利用して作ったという『黒龍の爪』。コリオリに存在する奴隷商会の元締めで、荒くれ者たちを多数抱え持っているのだ。
「くそっ、可能性はあるか」
ならば俺のせいじゃないか。
と、俺は怒りに任せて壁を殴りつけた。
血が滲むもそれどころでは無かった。
「アルくん……?」
所在は分かっている。
アイツは……大切な友達。母さんに次ぐ、俺の心の在りかの一つだ。前世では転校を繰り返していた時期があったのもあり、まともに友達を作れなかった俺には既にかけがえのない存在となっているのだ。
「エリーは俺が必ず連れ戻す」
「………どうする気?」
「僕はエリーが攫われた所に心当たりがある」
「ダメだよ!殺されるかもしれないんだよ!?」
「大丈夫だよ。誰にもバレないように忍び込んで連れ出してくるだけだ。それに、ネックレスを外せば大人一人くらい何とかなるよ」
六歳の頃にネックレスを外して、ダンさんと腕相撲して勢いよく振り切ってしまい、吹っ飛ばしてしまったことがある。
「………帰ってこれると約束できる?」
「うん、そんな顔をしなくても僕は帰ってくるよ。ここが帰る場所だからね」
と、俺は微笑む。
ダイアナは心配な顔を少し綻ばせて頷く。
「じゃあ、行ってくるよ」
◇◆
助けに行く前に顔を隠すローブを取りに家に戻る。
着くなりに、ばたばたと探し始めた様子を見た母さんから声が掛かる。
「あれ、何してるの?」
「ちょっと忘れ物!」
「……何かあった?」
俺はぎくりとしつつ、ローブを手に取る。
「ちょっとエリーを脅かそうと思って!」
エリーの母も心配しているだろうし、何としても今日中には見つけて連れ戻さなけばならない。
嘘をつくのは気が引けるが、これは俺のせいかもしれないのだ。心配もかけたくない。
「アート、留守番よろしくな」
「ウォン!」
アートは強い声で応えた。
ひと撫でして、そそくさと家を出る。
「じゃあ行ってくる!」
「……? 気をつけてね」
訝しげな顔で見送りの言葉をかける母だった。
俺は悟られないように、目一杯の笑顔で応える。
これが母との最後の会話だった。
◆◇
───同時刻。
深い森の影で、鎧の騎士たちはゴブリンやオーガやらの魔物の群勢と戦っていた。
「何だ、この数は!?」
「怯むな!鈍いオーガは盾を使わず、速さで翻弄しろ!ゴブリンは一人ずつ確実に殺せ!」
単体、もしくは数匹の群れ程度ならば大した事はないが、一個軍以上を数十の隊で対応には限界がある。
撤退も考えたが、すでに背後に回られている。
「ジェラルド隊長!一人やられました!」
「くッ───!」
一人が引きこまれ、絶叫とともに血飛沫が飛ぶ。
「たすけ……キャァアアア!」
また一人。このままでは全滅する。
戦線が完全に崩壊し、魔物が押し寄せてくる。
「クゲギャァアア!?」
絶叫を上げたのは、オーガだった。
巨躯が倒れ、地が響く。
そして、トッ、と。
軽快な音で着地した剣士は剣を払い、血を飛ばした。
「お前は……?」
「……俺はユージンという。時がない、ここは俺が引き受ける。先に行って街を救ってくれ」
一瞬の間。先頭の隊長ジェラルドは、彼が入ってきた横の包囲網の脱出口を確認する。
「……すまない、必ず戻る」
隊長の一声で騎士たちは脱出口から撤退していく。
剣士は蠢く魔物たちに立ち向かった。
その姿を最後に朧闇に消えた。
「彼がここにいるとは……一体、何が起きている?」
その呟きを残して、ジェラルドは街へと急ぐ。
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