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新進気鋭の社畜
第1話 幽霊
目が覚めると、そこは身に覚えのない部屋だった。どうやらベッドに寝かされているようだが、一体どれだけ眠っていたのか体を起こすだけで一苦労だ。
「どこだ……ここ」
見覚えのない景色に戸惑うが、そんなことよりも──
「あれ……俺、名前……」
自分の名前がわからない。それだけではなく、過去の記憶、属性、自分の顔すらも。
「! お前、いつからそこにいた!?」
記憶喪失という状況に戸惑っている間に次の『異変』が起こる。人影すらなかった部屋の真ん中に、長いクリーム色の髪の女の子が出現していたのだ。
「やっと起きた、本当にお寝坊さんなんだから。初めまして、私は
「……つくも、ななせ? ……どんな漢字?」
「漢字は今いいでしょうが。ていうかそんなこともわかんないんだ?」
(初対面の人間に二言目でディスられた)
真っ白いワンピースを着た、まるで絵本の中の妖精みたいに綺麗な出で立ちの女の子。その子は不思議なことに、
「浮いてる?」
自分の中で生まれた疑問を素直に口にした。すると七瀬は寂しそうな表情で言葉を詰まらせるも、なんとか言葉を編み出し、口を開く。
「そう、私は死んでる。幽霊なの」
「ゆうれい…………幽霊⁈⁈」
ぼやけていた頭が一瞬で冴えた。
(なんだそりゃ、どういう展開だ⁈)
「えっとね、幽霊っていうのは」
「いや知ってるよ! 実在すんのかって話だよ!」
「なに言ってんのさ、実在するに決まってんじゃん」
実在するに決まっているらしい。幽霊の場合実在という表現が正しいのかは怪しいが。足元が透けた女の子はドヤ顔だった。何故だ。
「何が何だか……そうだ! ここはどこなんだ? 俺の家か?」
「どこかって質問なら答えられる。首都T市の住宅街。そうしてベッドに寝てたんだからあなたの家なんじゃない? あなた以外誰もいないけど。『魔獣』から住人は避難したんだと思うよ」
確かに部屋の中は散乱している。間抜けの殻、とまではいかない中途半端な状態から立ち去るまでの余裕のなさが窺える。
(魔獣?)
「なんで1人で寝かされたんだよ? 置いてかれたのか?」
「知ーらない。たまたまこの辺飛んでたら街に1人残されたあなたがいたから見てただけ」
「せめて見守れよ」
「そんなことよりさ、名前、教えて」
「え……名前は……」
俺から答えがもらえないと悟ったのか、七瀬は反対に俺にヒントをくれた。
「……あれ、君の荷物なんじゃない? あの中に学生証くらいあるかもよ?」
部屋の隅には大きめのリュックサックが転がっている。俺が避難するために家族が残していった物なのか、めいっぱい荷物が詰め込まれているのが外から分かる。しかし、それよりもひと際目を引くものが立てかけてあった。日本刀だ。
(俺の刀、か?)
何も思い出せない。唯一の手掛かり、かもしれないリュックサックを取りにベッドを降りようとした瞬間だった。凄まじい音とともにさっきまでそこにあったはずのリュックサックが、床や壁ごと消し飛んでいた。
「今度はなんだ⁈」
「魔獣⁈ こんな時に!」
「なんだよ魔獣って⁈」
壁が消し飛んだことで外が見えるようになった。たしかにここいら住宅街だ。だがこれは"元"住宅街という方が正しい、まるで空爆でもされたかのような焼け野原だった。
そして──
「っ……」
圧倒的な存在感。牛頭が壁の大穴からこちらを覗いている。明らかに普通のサイズじゃない。
「これが……魔獣!」
恐怖で体が硬直する。牛のような顔に、身の丈ほどもある厳しい斧を持った二足歩行の魔獣は、こちらが戦意もない『格下』だと踏んだようだ。平行感覚を失いかけるほどの咆哮とともにその斧を振り下ろそうとしていた。
「逃げて!!」
床に縫い付けられたかのように足は一歩も動かない。斧が自分を襲う一瞬の間、一歩も動かない足とは反対に思考だけが頭を駆け巡る。
(どうすればこれを切り抜けられる? もう斧は手が届きそうな距離だ。どうする? そうだ、あの刀は……クソッ、さっきのでどっかに吹っ飛ばされて。どうする? いや、でもこんなバケモン相手にあんな刀一本でどうにかなるわけないか。どうしようもねぇ)
「クソッ……」
「諦めんなーー!」
幽霊とは別の声が遠くの方から飛んできた。ハッとして声のした方を向いた頃に牛頭の方でザクッと低い音が聞こえ、魔獣はさっきまでの"咆哮"ではなく痛みによる"絶叫"をあげた。
「次から次はとなんなんだよ⁈」
いつの間にか激励の主は大きな魔獣の顔に張り付き、短剣を突き立てていた。目で追うことすらままならいほどのスピードだ。
突き立てられた短剣が魔獣の眉間に深々と食い込み、それを振り払おうと暴れまわっている。俺たちへの被害を考慮し、ダメ押しに左目を刺突してから斧を持つ右手に飛びついた。そのまま手首の腱を切り、狙い通り斧を落とす。
(人間の動きじゃない)
俺はその戦いに無我夢中で見入っていたが七瀬は違った。
「見てないで早く逃げる!」
「あ、あぁ」
俺には七瀬の焦りが不可解だった。七瀬が幽霊だというのなら、魔獣に殺される心配はたぶんない。俺が魔獣に殺される心配をしているのかとも思ったが、違和感を感じていた。
そんな考えを巡らせている間に、短剣の少女が一体目の魔獣駆除を完了していた。この魔獣は単独ではなかったのだ。
(群れで行動してるのか! こんなのがあと何匹いるんだ!)
さきほど駆除された魔獣と同じようなのが十数体、仲間を殺されたことに怒り、聞き覚えのある咆哮をあげる。
「あーあ、集まってきた」
短剣の少女は俺たちがいる、壁が吹き飛んだ部屋に飛びこんできた。
「あんたたちを守りながらじゃちょっと分が悪い! ここから南西に2キロの地点にシェルターがあるから、一先ずそこまで走って! わたしが食い止める!」
(この真っ赤な髪は地毛なのか? いや、そうじゃなくて!)
「な、南西って?」
「今あいつらがいるのと逆側よ! そんなことも分かんないわけ⁈」
「わ、悪ぃ」
方角を確かめるために起点となる『あいつら』を見る。巨大なだけでなく、人間のサイズに落とし込んだとしてもかなり屈強だ。
(俺が残っても、邪魔になるだけなのか……)
「護身用か知らないけど、良い刀を持ってるじゃない」
「え?」
少女に顎で指された方を見ると、リュックサックとともに吹き飛んだと思っていた刀が、部屋の反対側に転がっていた。しかし注目すべきはその生存ではなく、あの攻撃を食らったのに無傷でいたことだ。
いくら日本刀とはいえ、家屋を軽々と破壊するバケモノの一撃をモロに食らっているのだ。傷つくどころか折れている方が自然なはず。
「残念だけどあんたからは力を感じない。気持ちだけはありがたく受け取っておくわ」
「っ……」
どうやら女の子を戦場に残して逃げるというやりきれない思いが顔に出ていたようだ。
「……死ぬなよ」
「舐めんじゃないわよ」
少女は俺たちに背中を向けたまま答えた。もうあいつらから目を離せる状況ではないのだ。
赤髪の少女を部屋に残し、俺と七瀬は空き家を出た。走り出してすぐ、あの妙に丈夫な刀を置いてきた事に気付く。
自分が刀1つ持ったところで今の状況を打開できるとは到底思えない。そんなことよりよりもっと気になることがある。
「魔獣ってのはなんだ? なんで俺を襲う?」
「『俺を』じゃなくて、『全人類を』だよ。あれは人類を滅亡させることができる力を持ってる生物。人類の敵」
「人間はあいつらと戦争でもしてるってのか?」
「戦争、と言うより人類はあいつらの虐殺に抵抗するレジスタンスっとこだね」
「……嘘だろ」
走り出して暫くもしないうちに足が止まってしまった。ベッドから体を起こすだけで苦労した人間が2キロのマラソンなどできるはずもない。息が苦しい。
(自分の体じゃないみたいだ)
轟音。地鳴り。少女と魔獣たちの二回戦が始まったのだ。魔獣たちの咆哮も聞こえる。あの巨体、あの数、衝撃が伝わるたびに不安は増していく。
目を向けると、俺たちがいた空き家が瓦礫となって空中を舞っている。それほどの膂力が、あの魔獣たちには備わっているのだ。
「本当に大丈夫なのか? 俺も──」
「俺も、何? 」
七瀬が俺の言葉を遮って詰め寄る。
「あなたが戦うの? ダメだよ、絶対に。それだけはさせない」
「!」
(戦う? そういえば俺はずっとあのバケモンと戦う術を探してた。なんでだ? 俺は一体──)
「戦うっつっても、俺にそんな力は……」
目を落とすと見えるのは少し走っただけでふらふらになっている両膝。彼女のようなバケモノを倒せる力があるわけもない。戦いにもならず、一方的に潰されておしまいだろう。
だがふいに、俺たちを守るために戦場に残った少女を思い出す。最後に見た彼女の背中は、たしかに震えていた。
「それでも──」
言いかけたとき、それまでと比べ物にならない衝撃が走り、木々に止まっていた鳥たちがバサバサっと慌てて飛び立つ。記憶を失っているせいか、一つ思い過ごしをしていた。群れにはリーダーがいる。当然最も強い者がその資格を得るのだが、それは魔獣でも同じようだった。ここから見ても他より一回り大きく、同族との区別なのか斧が金色だ。
(半端なマイナーチェンジしやがって!)
群れのリーダーが斧を振り回す度に住宅街の地形が変わる。人間の都合を完全に無視した区画整理が行われていく。
リーダーの5連撃が繰り出された後、俺たちの目の前に何かが吹っ飛んで来て墜落した。土煙が晴れて現れたのは、さっきの赤髪少女。頭から血を流し気を失っている。
「おい! 大丈夫か⁈」
少女を拾い上げる。なんて軽さだ、と思った。こんな華奢な女の子にあんなバケモノの相手をさせていたのか、と自分を責める。
耳元で叫ぶも反応はなく、かろうじて息はあるが、このままでは命が危ないのは間違いない。
魔獣たちは同族の仇を討つために我先にと走り出した。どうやら赤髪をミンチにするまで止まる気は無さそうだ。
一歩、また一歩と踏み出すたびにコンクリートがめくれ上がり、奴らの重量を物語っている。今日2度目の、そして同じく人生2度目の命の危機。このままでは2人とも死ぬ。人間1人を抱えて逃げる体力もない。
「なんて、無力なんだ。俺にはどうすることも……」
「その子を置いて逃げる選択肢は、やっぱりないんだね……」
焦っていた俺はこの時の七瀬の言葉が耳に届いていなかったし、やっぱり七瀬の言う通り、少女を置いて逃げるなんてことも思いついていなかった。
「……ごめん、私は我慢できない」
「?」
「問題。あなたはどうしたいんでしょうか?」
「……は?」
死の影が迫る──
真っ直ぐに俺を見る七瀬。口角は上がっているが、その瞳の奥には覚悟が見える。おかしなクイズしてる場合じゃないと突っぱねることも出来たのに、その瞳は俺に本音を語らせる魔力を帯びていた。
「俺は、戦いたい?」
「ぶっぶー。不正解、もっと欲張らなきゃ」
「もっと、欲張る?」
「勝とうよ、私が力を貸してあげるからさ」
「できるのか、そんなことが!」
「幸か不幸か、君は選択出来る。でもね、誰も君が戦うことを望んでないかもしれないし、君が力を得ることで、悲しむ人がいるかもしれない」
あと数秒──
「それでも俺は、この子を見捨てて逃げるような、弱い人間でいたくない」
3秒前──
「七瀬、俺を勝たせてくれ」
「大正解!」
そう言って笑った七瀬が俺の胸に手をかざすと、温かくて眩い光に包まれた。突然の発光現象に魔獣たちも足を止めてしまう。
──死のカウントダウンは一時停止した。これをキャンセルに持っていくのが、今からの俺の仕事だ。
全身に力がみなぎるのがわかる。ただ、それだけではない。途切れ途切れだが記憶が蘇る。学校や魔獣、さっきの刀を片手に、顔の見えない誰かの手を引いている。一瞬のフラッシュバックの後、光は弾けて消えた。
魔獣は再度進撃を始め、斧を大きく振りかぶり必殺の一撃を繰り出す。
「来い!!」
俺の呼びかけに応え、瓦礫の中に埋まっていたらしい刀がそれらを押し退け、突き出した右手目掛けて飛んで来た。うまくキャッチして柄をしっかりと握る。
(この感触を、俺は知ってる)
柄に手を掛け居合の構えを取る。鯉口を切り、タイミングを測って──
(ここだ)
そして音速を超える斬撃により、振り下ろされた斧ごと魔獣を両断してみせた。魔獣は悲鳴をあげるまでもなく、真っ赤な血飛沫を撒き散らしながら地面に倒れる前に絶命した。
大量の返り血を浴び、吐き気がするほどの血の匂いが充満する真っ只中にいる俺は──
「……」
何も感じなかった。
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