老いた吸血鬼は今日も墓を待つ

武石こう

吸血鬼バルトロのこれまでの生

 炎はバルトロに別れを突きつけた。幼い少年に、両親との別れを。


 自分たちが招いた炎ではない。大勢の人がつけたのだ。


 それは昔々のこと。まだ人の知る世界は狭く、言葉が今より多く分かれていない頃。人が建てた一つの帝国の軍団に少年の家族は蹂躙された。

 強く、立派な父親と母親だった。少年はとても尊敬していて、そのようになりたいと思っていた。そのような二人であっても押し寄せる軍団には抗えず、最期に息子の名を叫んだ。


 彼は屋敷の隠し部屋に隠れていて、人間たちがいなくなってから両親の変わり果てた姿を見た。炎に囲まれたままに。

 手足は引きちぎられ、辺り一面に血しぶきが飛んでいる。もう一度顔を、バルトロも持つ透き通る赤い瞳を。首も消えていた。持ち去られた。ここまでしなければ死なないことを人は知っている。そうでなければすぐ治りまた襲い掛かってくる。


 炎の熱がバルトロに迫る。彼は涙を流さず両親の体に寄り添うと、顔を地面に近づけ血だまりに舌をつける。

 ぴちゃりぴちゃりと何度もつけては、喉に通していく。両親の味。ある程度飲むと顔を上げ、服の袖で口を拭う。口まわりは生きていた証で染まる。


 生き残った彼もまた吸血鬼。人の血を飲んで生きる生き物。あらゆる生き物より強く、あらゆる生き物より圧倒的に長い時を生きる存在。


 父と母の血を彼は持ち、生き続けることで証と。


 少年はその後、人と長きにわたり戦い続け、多くの仲間たちを失いつつ気づけば、父親似の濡れ烏の髪の美しい長身の青年となっていた。そして常に最前線で容赦なく殺しを続け、吸血鬼の中でも強者となるほどにも成長した。

 彼を目の前にした人たちはあまりの恐怖で震えあがり、しかし勇ましく立ち向かう者たちはあっという間に命を失っていった。それは大勢であろうとも。


 終わらない戦いの中、彼は東の果てにあるという島国へと旅を始めた。そこは人とそうでない者たちが共存しているという。

 穏やかな時を求めた。その噂を聞きつけ向かったのだ。道中、様々な困難があったが乗り越えたどり着く。東の果ての島国は実在していた。


 現実は違った。島国は人たちによる天下を求めての人でない者たちも巻き込んだ戦乱の時代。どこへ行こうが、いや彼が行くところに戦いは起こる。逃がしてはくれない。

 海の外からやってきた、赤い瞳の異装の青年を、人でない者(この国ではもののけと呼ばれた)を優しく迎えはしなかった。


 バルトロは生き続けなければならない。故郷で鍛え上げた力をより磨き、用いてもののけの仲間を増やし、やがて彼は小さくはあるが人の治めていたある一国を手に入れた。人たち、もののけたちも彼を「一国落としのあるとうろ」と呼ぶようになり恐れた。


 時は流れ人の英雄によって天下が成される時代へと。バルトロは治めていた国を天下に譲り、穏やかな時を求めた。背後には血の足跡が残っているけれど。

 国に戦乱はなくなり、ここにようやく彼は長きにわたる平穏な時を得ることができた。


 すでに両親が炎に包まれ五百年以上が経っていた。戦いや寿命でいなくなった者たちは数知れず。もののけの中でも圧倒的長寿の吸血鬼である彼は追いていかれていく。


 しかし人たちが生きて歴史を紡いでいくと、合わせて世界は広がっていく。東の果ての島国はバルトロの故郷の地方にある国々から力が加えられ、自分たちの世界の一つに組み込まれようとして平穏は歪んだ。


 二百年以上続いた太平の時代は、その太平の世の体制を維持させようとする者と新たなる体制により海外と並べるようにしようとする者たちが対立し始め、血が流れるものへと変わった。この争いでついに人ともののけがそれぞれの陣営で手を組み動き出したのはひどいことだった。外から生まれた歪(ひず)みによってついに人ともののけの真の和合へと進んだのである。


 バルトロの前に再び現れた争い。けれども現れたのはそれだけではなかった。時同じくして彼は運命の出会いをする。


 名は清水椎子といった。


 人だった。ひどくなっていく時代で彼は彼女に惹かれ、また彼女も彼に惹かれた。種の違いなど関係なかった。やがて二人は多くの困難を乗り越え夫婦となった。旧体制派が敗北し、新体制が成され新たなる時代へと進み始める象徴ともなる結婚だった。


 数年後、二人は子供を授かった。人と吸血鬼の血を半分ずつ持つ娘にはアルコと名づけた。新たなる時代を機に正式に人間の名字を得、清水バルトロとなっていたから、アルコもまた清水アルコとなり祝福を受けた。


 長く長く生きてきてようやく彼は親になった。特別な嬉しさと喜びがそこにはあった。不慣れなことに苦しんだりもしたが、椎子も彼と同じく幸せを感じていたようで、そんな二人の間でアルコはすくすくと育っていった。


 数年後。清水家はもう一人子供を授かる。男の子。名前はロメオとなった。四人家族となった家は増えた幸せを感じつつ、転がり続ける時代の中を確かに生き続けた。


 椎子が死んだ。

 流行病。もう一人の子供を宿しながら彼女は罹い、若くしてあっという間に死んだ。

 バルトロは結ばれたとき決めていた。彼女と一緒に老いていき、そして一緒に死んでいくと。だから吸血鬼の体を維持する、飲まなければならない血の量も減らしていた。

 けれどそれは許されなかった。多くの者を殺し、多くの者を戦いに巻き込んだ罰だと彼は信じた。椎子は息を引き取る直前、彼の手を握っていつもの優しい笑みを浮かべた。彼の幼い頃から今まで、すべてを包み癒してくれた笑顔。夫の手は何百年の血に塗れているけれど。


 椎子の墓ができた。作りたくない墓を建ててしまった。バルトロは毎日霊園へと通うようになった。周りから願われ頼まれ軍人として与えられる仕事をこなし、アルコとロメオの面倒を見ながら毎日彼女と話をしに行った。


 アルコが死んだ。

 戦死。父親に憧れていた彼女は性別を乗り越え軍人になり死んだ。

 時代が進み、科学技術も進み、発展した戦場はもはや一個人の能力など重要ではなくなった。個として人よりも優れた力を持つもののけであっても近代兵器を用いた総力戦では戦局に影響を与えない。速射砲や迫撃砲の炸裂、機関銃の掃射は分け隔てなく死体にした。

 バルトロも戦地へと赴いていたが、誰もが羨んだ濡れ烏の髪に白髪が目立ち始めた彼には衰えが見え始め、さらに位もあって若き頃のように最前線で戦いに混じることは許されなかった。遠くから炸裂音が響く場所で、愛する娘が死んだ報告を聞き、その死にざまが立派であったと褒め称えるしかなかったのだった。

 これまでのどの戦いよりも多くの人ともののけが動員され、これまでのどの戦いよりも多くの戦死者が出、これまでのどの戦いよりも多くの戦費が出た戦いは勝利なき勝利を得、終わった。バルトロが得られたものは、穴だらけになった娘が生きていた証だけだった。


 バルトロは退役し隠居した。ただの清水バルトロとして世間から身を引いた。

 椎子とアルコの眠る墓へ行く日課は変わらなかったが、やがてそばにはたまに小さな女の子がいた。それはロメオの子、バルトロの孫、里衣子(りいこ)。アルコの面影がある可愛い孫。

 ロメオは父や姉とは違いとても穏やかな性格で軍人にはならず、お見合いではなく己が考え見つけた人と恋をし、結婚して慎ましくも穏やかな家庭を築いていた。

 バルトロは里衣子によく墓を差し、「ここにおばあちゃんとおばちゃんがいる」と語りかけた。二人がどういう人であったのかを伝えれば、確かにこの世にいたことが繋がっていくのだから。


 透き通った吸血鬼の赤い瞳はくすみ始め、増え続けていく白髪、痩せ始める体。それでもバルトロは悪い気分ではなかった。ゆっくりと椎子へと近づけている気がしたからだ。死後の世界など信じてはいなかったが、彼は思いをはせずにはいられなかった。


 ロメオが死んだ。

 戦死。まただ。また戦争が起きた。世界すべてを巻き込んだ戦争。この国も。軍人ではなく戦いとは無縁であったロメオもついに徴兵され、はるか南の島で死体も帰ることなく死んだ。戦地から送られて来ていた手紙にはいつもいつも残した妻のこと、里衣子のことが書かれていた。


 里衣子が死んだ。ロメオの妻を含め、家族も全員死んだ。

 バルトロも住む都会よりも、比較的人の少ない安全だと思われた、ロメオの妻の実家に行っていたが、そこで敵の新型爆弾で跡形もなく消え去った。彼はただ、死亡者名簿でロメオの妻、その家族、そして里衣子の名前を見つめるしかなかった。


 椎子、アルコ、ロメオの墓も街の空襲と混乱でなくなった。

 近所の人たち、顔見知りの人たちと同じように彼も炎に飲み込まれ全身を焼かれたが死にはしなかった。吸血鬼はすべてがしっかりと治った。目を覚まし立ち上がると、彼の周りには黒焦げの無念が溢れかえっていて、返事をする者はいなかった。


 炎はいつも彼を一人にさせる。


 多くの犠牲を出し、戦争は敗北し終わった。

 本当に一人になったが、それでも彼はまったく涙を流さなかった。どの生き物よりも圧倒的に長く生きてきた彼は、多くの命が消える様を見てきた。彼自身も消してもきた。誰の命であろうとも、同じ命、同じことなのだと。

 墓を建て直した彼は、なくなる前と同じように毎日通い続けた。緑の季節も、熱の季節も、散る季節も、静かな季節も。どのような天気の日でも変わらず、何十年も。


 墓にはみんなが眠っている。


 やがて国は復興を果たし、前よりも裕福になり、大きな争いもそれからは一度もなく、機械と科学が発達してもののけという存在は忘れ去られていった。

 彼は今も、一人ひっそりと生き続けている。

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