第75話 迷子

◆男爵領 城下町


 太陽が昇り、とぼとぼと歩く幼女を朝日が照らし出す。

 見た目は八歳ぐらい、短めの赤髪だが、そのかわいらしさに男の子と間違える者はいないだろう。

 だぶだぶな黄色いワンピースを着ている。


 幼女の後ろには、とことこと歩く猫がいる。

 虎縞の猫は黒い風呂敷を背負っていた。


「疲れたのじゃ……」

 幼女は猫の背中を見る。


 猫は抗議するように、にゃあと鳴いた。

 猫としてはちょっと大きめだが、もし幼女が乗ろうとしたら潰れてしまうだろう。


 幼女のお腹が鳴る。

「ここはどこなのじゃ…… エイダ…… ジュラ……」


 幼女はヴァール。

 最近は十三歳ぐらいに見えていたのが魔力の使い過ぎですっかり縮み、もはや八歳相当だ。

 使い魔であるヘルタイガーのキトもヴァールの魔力に依存しているので、主人の魔力枯渇に応じてすっかり普通猫サイズである。


 いつもよりさらに低い視点から見る路地は見通しが悪くて、建物はどれも同じように見えた。

 どのあたりにいて、どっちを向いているのかも分からない。

 男爵からエイダとジュラを取り戻そうとやってきたのに、男爵がどこにいるのかはおろか、まず自分がどこにいるのかも謎だった。


 初めての町で魔王ヴァールは迷子になっていた。

「参ったのじゃ。どこがどこだか分からないのじゃ……」


 二頭の騎馬が近づいてくる。

 上等な装備を身に着けた王軍の騎士だ。

 町を見回っているのだろう。


「おい、あれは手配にあった勇者じゃないのか」

「虎を連れているしな」


 近づいてくる騎士たちに、キトが毛を逆立てた。

 ヴァールの前に出て、しゃあっと威嚇の鳴き声を上げる。


 ヴァールは騎士を見上げる。

 足取りがふらつく。

 魔力をこれ以上使ったら存在が消えてしまうかもしれない。


「虎退治だ!」

「おう!」

 二人の騎士はすらりと剣を抜き放つ。


 そして顔を見合わせ、二人は爆笑した。

「こんな小さい子が勇者だとか、馬鹿馬鹿しい」

「この猫が地獄の虎かよ、まったく」


 二人は剣を収めて、

「危ないから家に帰ってろ」

「勇敢な猫じゃないか、大事にしろよ」

 ヴァールに声をかけてから去っていった。


 ヴァールはほっとした。

 かがんでキトの頭をなでる。

 キトはごろごろと鳴いた。


「キトのご飯もなんとかせねばな」


 ヴァールは意を決して、立ち並ぶ家の一軒を選び、扉を叩いてみた。

「すまぬが、ご飯をいただけないじゃろうか。お金は払うのじゃ」


 だが、小さな声が届かないのか、住人に無視されているのか、反応はない。

 隣の家、その隣と試してみるも同じだった。


 お腹が減りすぎたヴァールは道端にしゃがみ込む。

 目の前が暗くなってきた。


 ヴァールの小さな手を、キトはざらざらした温かい舌で舐める。

 だがヴァールはぐったりとして動かない。


 キトは周囲をぐるりと見回し、鼻をぴくぴくと動かした。


「にゃあ!」

 ヴァールが着ているワンピースの裾に噛みついて、キトは引っ張った。


「……どうしたのじゃ……? こっちに行きたいのかや……?」


 ヴァールは力を振り絞って立ち上がり、キトが行きたそうな方向へとなんとか足を踏み出した。


 少し歩くと動けなくなって休む。

 キトは振り返ってヴァールを待つ。

 なんとか力を振り絞ってヴァールはまた歩き出す。


 これを繰り返してゆっくり進んでいく。

 路地をどれぐらい歩いただろうか。

 前方に、この辺りにしては大きな建物が見えてきた。

 三階建ての白い建物で、塔をそびえせている。


「これが男爵の城塞じゃろか……?」

 お腹が減りすぎて目まいしながら、気を付けて近づいていく。


 建物の中からは人々の声が響いてくる。

 まだ幼なそうな子どもの声だ。

 少し大人びた声も混ざっている。


 そして食べ物の匂いも漂ってきた。

 ヴァールは思わずつばをごくりと飲み込む。

 焼きたてパンの香りだ。


 建物から少女がひょっこりと顔を出した。

 ヴァールに目をやって、

「早く来ないとパン無くなっちゃうよ」

 声をかけてくる。


 キトがとことこと少女に駆け寄って、ヴァールを振り返る。少女に敵意はないと判断したのだろう。

 ヴァールにも敵とは思えなかったし、もう空腹が限界だ。

 ヴァールが最後の力を振り絞って進もうとしたところに少女がやってきた。


「ごめんね、気が付かなくって。調子悪いんでしょ」

 少女はヴァールを軽々と抱え上げて、建物の中に運び入れた。


 建物の中は講堂になっていて、椅子とテーブルが並び、奥には説教台がある。

 椅子には子供たちが並んで座り、パンにかじりついていた。カップに入ったスープも並んでいる。


 少女はヴァールを椅子に乗せてから、パンとスープを運んできた。

「慌てないで、ゆっくりスープから食べるのよ」


 陶器のカップにはよく煮えた野菜のスープが入っていた。

 ヴァールのおぼつかない様子を見て、少女はスプーンで少しスープをすくい、ヴァールに口へと運んだ。


 ヴァールがスープを飲み込むと、滋養が身体に染み渡るかのようだった。

 少女は少しずつのスープを根気強く飲ませてくれた。


 キトにもクズ野菜を煮たものが皿で出される。


 ようやく人心地ついたヴァールは、

「ありがとうなのじゃ。もう大丈夫なのじゃ」

「じゃあ、このパンも食べるのよ」

 ヴァールは少女からスプーンを受け取り、自分でゆっくりとスープを飲み始める。

 香ばしい丸パンを小さくちぎってスープに浸し、柔らかくしてから口に入れる。


 時間をかけて食べ終わったヴァールに、ようやく状況が見えてきた。

 ここは聖教団の寺院のようだ。聖女神の像が飾られている。

 講堂では幼い子どもたちがやかましく騒ぎながら食事を楽しんでいる。


 さきほど面倒を見てくれた少女は他の子どもたちよりも頭一つ大きい。

 十四歳ぐらいだろうか。

 

 少女の他に大人もいた。

 老いた男の神官だ。

 講堂で暴れまわる子どもたちを相手にして、途方に暮れているように見えた。

 少女の方は慣れた様子で子どもたちをさばいている。


「ほら、おかわりはまだあるから順番に並ぶの! そこ、割り込まない!」

「はああい、ジリオラ」

「ジリオラ先生って呼びなさい!」


 ジリオラが少女の名前であるようだ。

 寺院の慈善事業で子どもに食料を配給しているのだろう。

 改めて見ればジリオラは聖教団の神官服を着ている。帯の色からして、階級は見習いか。


 ヴァールの記憶に引っかかるものがある。

 見たことがある顔に似ている。

 きれいだが、たくましさも感じさせる顔つきだ。

 背が高めで筋肉質なところも印象を呼び覚ます。


「グリエラ……?」

 ヴァールが漏らした言葉にジリオラが食いついた。


「え、姉貴を知ってるの?」

 ジリオラは驚いてヴァールを見やる。


「ヴァリア市に出稼ぎしている姉貴を知ってるってことは……?」

 顎に手を当てて考えるポーズをとり、なにやらひとり得心したようだった。


「そうか、ヴァリアの商人の子なんでしょ。仕事についてきて、この騒ぎに巻き込まれちゃったのかな。君のご両親は?」

「いなくなったのじゃ……」

 ヴァールが口ごもるのをジリオラは解釈して、

「大丈夫、探してあげるから。見つかるまでここにいていいからね」


 食事を済ませた子供たちがヴァールの周りに集まってくる。

「なまえ、なんていうの?」

「ねえねえ、なまえは?」


 ヴァールはしばし逡巡してから、

「リヴィールじゃ」


「リヴ!」

「リヴィ!」

 子どもたちは騒ぎ立て、今度は自分たちが口々に名乗り始めた。


 そこに二階から声が響く。

「うるさいぞ。夜通し駆けてきたのに眠らせてもらえないのか」

 少年の声だ。


 老神官がジリオラに目をやって、

「都の方をお泊めしているのです。高位の方です。どうか失礼が無いように」


 それを聞いたジリオラは二階に大声で呼びかける。

「今ならまだパンとスープがありますよ! 食べませんか!」


「うるさいと言っただろう!」

 不機嫌な返事が来て、老神官は慌てる。

「ジリオラ、御身分は明かせませんが本当に高位の方なのですよ」


 階段を降りる音が響いて、二階に泊まっていた客が姿を現す。


「全く慈善施策も考えものだな。聖教団本来の任務に差し障りがあるんじゃないのか……」

 降りてきたのは陰鬱な表情の少年だった。

 極めて上等な神官服を着ている。


 少年は老神官に文句を付けようとして、ヴァールに目が留まった。少年の動きが凍りつく。

「どうして、ここに」


 じっと見られたヴァールは怪訝そうに少年を見返す。

 どこかで見た感じの顔だが、さきほどのグリエラとジリオラのようにはピンと来ない。


 少年は口の中でつぶやく。

「ヴァール・アルテム・リヴィール…… 聖教団の宿敵。俺、サース五世の倒すべき相手。そして、わしらが敬愛し、裏切った王」

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