第76話 聖教団寺院

 寺院でヴァールは食事を続けている。

 二階から降りてきた少年、枢機卿サース五世からじっと見つめられているのは、気にも留めていない。


「ねえ、もっと食べる?」

 ヴァールよりもっと幼い少女が丸パンを持ってきてくれた。


「ありがたくいただくのじゃ!」

 ヴァールは丸パンを受け取って、小さくちぎる。

 丸パンからは焼きたての匂い。

 ちぎったパンをほおばると、皮の部分はかりかりと歯ごたえがあって、小麦の香ばしさが

食欲をそそる。

 白い中身は甘く柔らかくてとろけるようだ。


「ジリオラが焼いたのよ! いいうでまえでしょ!」

 自分が焼いたわけでもないのに、幼女は自慢げに言う。


「確かに良い腕前じゃな!」

 ヴァールは感服する。


 別の子が瓶を持ってきた。

「これつけるとね、おいしいの」


 瓶には果物を煮詰めたジャムが入っていた。

 ヴァールはジャムを木のスプーンですくって、ちぎったパンにのせる。

 こぼれ落ちそうになるのを急いで口に入れると、

「んん~!」

 甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。


「おいしいのじゃあ!」

 ヴァールは食べるのに夢中になって、気が付くとパンはなくなっていた。

 さすがにもうお腹いっぱいだ。


 人心地着いたヴァールは、周りの子どもたちから微笑ましく眺められていることに気付いた。


「よかったね!」

「おいしかったね!」

 子どもたちが口々に声をかけてくる。


「本当においしかったのじゃ。ありがとうなのじゃ」

 ヴァールは子どもたちとジリオラに礼を言う。


「みんな、ここに住んでるのかや?」

 ヴァールがジリオラに尋ねる。


「んん、ここでは学校をやってるの。子どもを学校に通わせるのって、働き手が減るからって嫌がる家が多いんで、代わりに食事を出すことにしてるのよ。そうすると子どもの食費が浮くから。あれ? なんだか難しい話をしちゃったね」

 分からない話をして困らせてしまったかなと、ジリオラはヴァールの顔を覗き込む。


「よく分かる話なのじゃ。この地はあまり栄えてはおらぬようじゃしな……」

「あら、商人の子は賢いのねえ。それがねえ、北の森にダンジョン街ができたときはよかったのよ。グリエラ姉貴も出稼ぎに出かけてたくさん稼いでくれたし。魔王様々よねえ」


 ジリオラは遠い目をする。

「隣の森にできた街が栄えてきたものだから、負けず嫌いの男爵様もはりきりなさったみたいで、領内の男手をかき集めてお城を大きくなさって。でもみんなお城にかかりっきりなものだから、畑は荒れるわ町はさびれるわ。あ、これは男爵様に内緒よ」


 ヴァールはこっくりと頷く。


「早くお父さんたち帰ってこないかしら」

 ジリオラがため息をつく。


「……男たちは男爵の城に行ってるのかや」

「そうよ、兵士をやらされてるの。昨日も大騒ぎだったし心配だわ……」


 ヴァールはびくりとした。

 昨日は怒りのあまりに魔力をぶつけて回った。

 あの破壊の中にこの子たちの親がいたとしたら。


 ヴァールはこの町でエイダが囚われているのを見つけたら、また全力で魔法を使うつもりだった。

 そしたらこの子たちも、この子たちが住む家も、家族も巻き込まれていただろう。


 エイダはとても大切だ。かけがえのない伴侶だ。

 でも、この子たちもまた誰かにとってかけがえのない相手に違いない。


 にこにこと好意を寄せてくる子どもたちにヴァールは罪悪感を覚える。


「じゃあ、そろそろ片付けて。授業を始めるよ」

 ジリオラが呼び掛けて、

「はあい!」

 子どもたちがわらわらと動き出す。

 その奥から枢機卿サース五世がじっとヴァールを見続けている。


 やがて授業が始まった。

 講堂の奥に大きな黒板が掲げられ、そこにジリオラが数字や記号を書き始める。

「今日は算数よ」

「はああい」


 子どもたちは机に座り、落ち着かなさげな様子で授業を聞いている。

 手元の小さな板に授業の内容を書き写しては頭をひねっている。


 ヴァールも机に座ってしばらく授業を聞いてみていたが、お腹がいっぱいなのと夜通し多戦っていた疲れとで、眠気に襲われていく。

 ヴァールのまぶたは段々と下がり、すっかり落ちた。

 腕をまくらにして、くうくうと寝息を立て始める。


 ジリオラは優しい目でヴァールを眺めて、授業の声を少し落とした。

 子どもたちも静かになる。


 そんな中、奥で突っ立っているサース五世からは不機嫌さが噴出していた。

 隣に控える老神官は心配に蒼ざめている。


 少年、サース五世は歯をぎりぎりと食いしばる。

 すやすやと寝ているヴァールをにらみながら、彼の心の中はかき乱されている。

 彼の中の別人格たちがあれこれ言いたくて騒いでいるのにも聞く耳を持たない。


 森魔族の長であったサスケはこの三百年間、人間の姿をとって聖教団の中枢に潜伏してきた。

 人間の寿命に近づくと、養子という名目で自分自身を後釜として代替わりする。

 彼の変身能力は肉体だけでなく精神までをも操作する。

 現在のサース五世は、サスケが作りだした六つ目の人格だ。

 人格を増やしすぎて、本来の人格であるサスケ自身にもコントロールしづらくなっている。もはや独立した人格だ。


 魔族の身でありながら人間に化け、聖騎士団を統括して魔族を鎮圧しながらも秘かに魔王のため活動してきた矛盾が耐えきれないストレスとなり、サース五世は魔王への強い反発心を抱えている。

 エイダの研究に資金援助しての魔王復活、レイライン王に情報を流して魔王との婚姻を進めさせる政治工作と、サース一世から四世までの対魔王活動はもうやむを得ないとして、自身が直接関わり合いになるのはまっぴらごめんだった。


 そのサース五世は内心の動揺を必死に押し殺している。


 魔王は無防備な寝顔を彼にさらしている。

 あどけない表情、額に垂れる艶やかな赤髪、長い睫毛、整った鼻筋に唇。

 サスケの記憶にもない幼女魔王から、彼は目を離せない。

 どうして他の人格たちが魔王のために活動してきたのかをようやくサース五世は理解していた。


 サース五世の心臓は早鐘のように打ち、頬が赤く染まろうとする。

 なんというかわいらしさ。愛らしさ。

 こんなに心をときめかせる存在がありえるというのか。

 これは魔力の仕業なのだと、自分の本心ではないのだと否定しようとするも、そんなことではないのだと、真実の想いなのだと心が高らかに喜びを謳いあげる。

 

 サース五世はヴァールに一目ぼれをしていた。


 彼は自身をなんとか冷静に把握しようとする。

 自身の心身は十一歳の設定、似たような歳に見えるヴァールに惹かれても決しておかしくはない。

 妖魔一の美しさと言われたヴァールが美しく見えるのは当然のことだ。

 かつて魔族の頂点にあった魔王が魔族の心を捉えるのは仕方のないことだ。


 ヴァールが頭を動かして、唇からよだれが垂れる。

 それだけで心の奥底から愛おしさが湧き上がってくる。サース五世は思わず叫びそうになる。このままではだめだ。


「代われ、俺が歴史の授業をやる」

「え! はい?」

 ジリオラから強引に授業を奪い取り、サース五世は黒板に歴史を記し始める。


「中世代、魔族は国を持たず、小さな勢力に分かれて抗争をしていた。それを糾合していったのが、後に魔王と呼ばれた妖魔ヴァールだ。ヴァールは強大な魔力もさることながら、その美しさで諸族を魅了していった」


 この俺を魅了したようにな!

 内心で叫びながら、サース五世はすやすや寝ているヴァールをにらみつける。


「ヴァールの元に集まった魔族たちは国を成した。ヴァール魔王国の誕生だ。強い魔力を持つ魔族は人間にとって脅威ではあったが、それまでは魔族同士が相争う状況であったことから、人類に魔族の鉾が向くことは少なかった」


 サース五世はそこで黒板を激しく叩いた。

「だが! 魔王国は人類を震撼させた! とりわけ、互いに敵対してきた強大な龍魔族と鬼魔族を和解させて魔王国に加えたことは当時のウルスラ王国にとって重大な脅威だった! 龍魔族も鬼魔族もウルスラ王国と戦争状態だったからだ! 魔王ヴァールはウルスラ王国にって最悪の敵と目された!」


 サース五世はヴァールを見つめながら叫ぶように話している。

 大声を出すことでなんとか精神を落ち着かせている。


 自分の名前が何度も大声で呼ばれて、寝ているヴァールがぴくりと反応する。

 ヴァールは目を少し開いて頭をもたげる。

 寝ぼけ眼でサース五世を見やる。


 寝姿だけでもあんなにかわいいのに、その瞳を向けるのは魔法攻撃も同然だとサース五世は腹を立てる。

 だがヴァールの瞳から目を離せない。

 なんて美しいのだろう。


「ウルスラ王国は総力を挙げてヴァール魔王国を攻撃したが連戦連敗! 絶望した王は聖女神アトポシスへの信仰にすがった! 聖女神はあらゆる魔力を滅ぼすとされる。そして聖女神は祈りに応えて勇者をつかわしたのだ!」


 まだ半ば寝ぼけているヴァールがつぶやく。

「魔力を滅ぼすのなら、人が使う魔力も同じに滅ぼすのではないかえ」


「聖教団の教えには、魔族の魔力は悪しく、人の魔力は信仰によって聖なる力に浄化されるとある! 聖なる力をもって勇者は魔王国と戦い、遂に魔王の都に至った。そして魔王ヴァールを和平交渉の場に引きずり出すことに成功した!」


 ヴァールは怪訝な顔をする。

「魔王国は最初から和平を呼び掛けておったのじゃが?」


 声をかけられた喜びに、サース五世の心臓が大きく鼓動する。

 彼は必死に耐えて、ヴァールの言葉を無視する。

「魔王国の強大な諸侯たちは和平に反対していた。人類の罠だと考えていたからだ。しかし、魔王は勇者を信用した。そして和平交渉の場で……」


 目を覚ました魔王が問う。

「なにがあったというのじゃ」


「……その場に居合わせた者たちが全滅したために、正確な事実は明らかではない。だが、勇者によって魔王国の幹部が倒され、魔王も封印されたのだと考えられている……」


 サース五世の拳が震える。

 別人格たちを抑えきれない。

「罠に決まっておるではありませぬか、陛下。人間の本性は邪なのですぞ……」

 苦し気に小さく言葉を漏らす。


 ヴァールはそれを聞き逃さなかった。

「どうして知っておるのじゃ」

「何をだ」

「今のはサスケの小言ではないかや。耳にタコができておるのじゃ」

 ヴァールは懐かし気に微笑んだ。


「覚えて…… 覚えておいでで……!」

 サース五世は、いやかつての四天王サスケは心の決壊を止められなくなる。

 顔を腕で隠し、全力で寺院の講堂を飛び出していく。

 床には熱い涙がこぼれ落ちていた。

 

 老神官は何か無礼があったのかとあわあわし、子どもたちは遊びなのかと続けて外に出ようとするのをジリオラに止められる。


 ヴァールは立ち上がった。

「余にとって、魔族も人間も同じなのじゃ。エイダ、ジュラ、バオウ。あの過ちは繰り返さぬ。ジリオラ、男爵城の場所を教えてくれぬかや」

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