第51話 獣鬼

◆地上 ギルド会館 一階


 獣鬼は両腕と長い髪の毛を使い、ギルド会館を一階内部から丸ごと持ち上げていた。


 壁は割かれ、柱は引きちぎられている。

 建物は無理やり持ち上げられて歪み軋む。

 歪んだ天井から板が砕け落ちる。


 二階からはいくつもの悲鳴。

 忍者クスミが跳んで救出に向かう。


 ヴァールのマントが彼女の頭上を覆って落下物から防御する。


 ゴッドワルド男爵と手下のボーボーノはさっさとギルド会館から逃げ出していた。

 残った獣鬼とヴァールが対峙する。


 ヴァールは怒り心頭だ。

「ここは大切な場所なのじゃ! ここからエイダと二人、何もかもを始めたのじゃ!」


 ヴァールはローブのたもとから魔王笏を取り出して獣鬼に突きつける。

「許さぬのじゃ!」


 獣鬼はぼさぼさの汚い長髪で全身を覆っていて顔や身体は見えないが、両腕は表にさらしている。

 ヴァールの身体よりもよほど太い腕は筋肉を張り詰めさせていた。

 文字通りに鋼のような筋肉だ。鈍く輝いている。


 獣鬼は咆哮を放つ。

 まさしく獣のようにうるさく臭い。


「その腕、まさしく鬼じゃな。しかしその汚らしさ…… かつて我と共にあった鬼魔族を愚弄する姿じゃ」


 獣鬼の筋肉が一際太くなる。

 獣鬼は身を低くする。


「ばおおおおうううむ!」

 獣鬼の背が弾けるように伸びる。

 その筋肉が力を開放する。

 獣鬼はギルド会館を放り投げた。


「ぬうっ!」

 ヴァールは魔王笏を床に突き立てた。

 先端から枝と根が爆発的に広がっていく。


 放り投げられたギルド会館は砕けて破片をまき散らしながら大通りを越えて向かいの商店へ。


 外で離れて見物しているゴッドワルド男爵とボーボーノは喝采を上げる。


 だが落下しかけたところでふわりと止まった。

 網のような枝がギルド会館全体を包み込むように受け止めていた。

 魔王笏から伸びている枝だ。


 床しか残っていないギルド会館で、ヴァールは顔を真っ赤にして怒っている。

「街を壊すのは二度と絶対に許さないのじゃあ!」


 一方、獣鬼からはおよそ意志といったものが感じられない。


「げははははは!」

 ボーボーノが嘲り笑う。

「おとなしく男爵閣下に従わねば、獣鬼が残らず街をぶっ壊すのですよ!」


「ぐはははは!」

 ゴッドワルド男爵も笑い、そしてボーボーノを小突く。

「大魔道男爵と呼ばんか!」


「誰が貴様らのような下衆に従うかや、男爵ごときが笑わせおる」

 ヴァールが言い放つと、男爵の顔色が変わった。


 男爵はマスクを触りながら叫ぶ。

「ええい、獣鬼よ、そのちびをひねってしまえ!」


 獣鬼はのそのそと歩いてヴァールに近づき、腕でつかもうとする。

 魔王笏が根を伸ばしてヴァールの身体を跳ばす。

 獣鬼の腕は空振りする。


「ばおおおお」

 獣鬼は突進して長髪を振り乱す。

 長髪はそれ自体が独立した生き物でもあるかのようにうねり動いてヴァールを捕らえようとする。


 いつもだったらヴァールを守る者たちはこの場に現れない。


 街のあちこちから上がる悲鳴、怒号、物が壊れる音、火の手。

 ゴッドワルドはほくそ笑む。

「ぐははは! 鬼どもめ、言いつけどおりにしっかり暴れているな」

「ギルドマスターの部下も鬼どもにかかりっきりですな! げははは!」


「頃合いを見て、我が兵士が鬼どもを鎮圧してみせるという寸法よ。もはやこの街は我が手に落ちたも同然」

「さすがでございますな!」


 獣鬼の長髪がヴァールを襲い続ける。

 かすめた長髪をマントが揺らいでぴしりと弾く。

 だが次々に長髪が伸びてきてヴァールを囲み始める。


 ヴァールを中心に長髪が幾重もの環になる。

 環は狭まってくる。

 身動きは取れない。


 獣鬼が丸太のような腕をヴァールへと伸ばしてくる。

 大きな手が開いてヴァールの小さな身体をつかみ取ろうとする。

 獣の臭いがヴァールに迫る。


 獣鬼の指先がヴァールの顔を前にして止まった。

「ばおおむ?」


 獣鬼の足先から手の先にまで根が絡みついていた。

 根の大元はヴァールの持つ魔王笏だ。


 獣鬼に絡みつく根は太くなっていき、獣鬼をきつく締め付ける。

「ばおおおおむ!」

 獣鬼は身をよじらせる。


 ゴッドワルドは冷笑した。

「木の根なんぞでこの獣鬼を縛れるものか。力を解放せよ、獣鬼!」

「ばおおおおうううむ!」


 獣鬼の太い筋肉がさらに太まっていく。

 獣鬼が一回り以上も大きくなっていくかのようだ。


 獣鬼に巻き付いていた根が次々と千切れる。

 獣鬼は力強く両腕を掲げる。

 千切れた根からは水が噴き出している。


 ゴッドワルドは口角を上げて、

「思ったとおりだ」


 ヴァールは鋭い目つきで、

「狙いどおりじゃ」


 千切れた根から噴き出す水は獣鬼の汚れた身体を洗い流していく。

 細い根から鋭く線のように走る水流は獣鬼の長髪を切り落としていく。


 獣鬼の姿が露わになる。

 ぼろぼろの革鎧をまとった巨体は身長三メル以上。

 全身は鋼の筋肉に覆われている。

 額には一本の角。

 目に知性の光はない。

 そして獣鬼は女だった。美しく均整がとれた肉体の女鬼。


「まさかとは思うたが…… 汝は……」


 ヴァールは呻く。

「あんまりじゃ…… 鬼は龍と並ぶ古き魔族、魔族の角は鬼を祖とするのじゃ。鋼の身体を持つ誇り高き戦士の一族…… その長がこのような有様に」


「ばおおおおおおおおおむ!」

 獣鬼は己を恥じるかのように顔を隠し、身をよじり、逃げ出した。


「鬼王!」

 ヴァールの呼びかけに振り返ることもなく獣鬼は姿を消す。


 高みの見物をしていたボーボーノが慌てる。

「まずいですな! これでは鬼をけしかけたのが男爵閣下であることをあのちびに吹聴されてしまいますぞ」


 男爵も後ずさりながら苦虫を噛み潰したような顔で、

「あのようなちびが勇者などと、聖騎士団の単なるこけおどし宣伝とばかり思っていたが」


 男爵の後ろにふわりと気配が現れた。

 気配は全身を紫色のローブに覆った怪しい姿だった。


「魔道男爵閣下、首尾は完了いたしました。ここはお引き下がりを」

「よ、よし、いったん領地に戻るぞ。まあ仕掛けは上々というやつだな、が、がはははは!」


 男爵たちは撤退していく。


 無残な有様となったギルド会館の跡で、ひとりヴァールは遠くを見ていた。

「余は…… 誤っておった……」

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