第19話 地下四階

◆魔王城 地下四階


 聖騎士ハインツは魔王城の地下四階通路を進んでいる。

 その後ろには部下の聖騎士たち二人に守られた神官アンジェラ。


 彼ら一団の先に行き止まりの壁が現れる。

「また行き止まりか…… 前の分岐まで戻るぞ」

 ハインツが指示して彼らはぞろぞろ戻っていく。


 分岐にたどり着いたハインツは、

「今度はこの通路を行くぞ」


 そこでアンジェラが声を上げた。

「その道はさっき通ったんじゃないかしら」

「他に道はないのだ。それにまだ仕掛けを試していない」

「行ったり来たり、意味があるのかしらね」


 毒のこもったアンジェラの物言いを無視してハインツは進む。

 少し前に通った場所へと戻ってきた。

 また行き止まりだが、床にはスイッチがある。


 ハインツはスイッチへと進んだ。

 アンジェラが慌てて、

「ちょっと、まさか踏むつもりじゃ」


 ハインツは無造作にスイッチを踏みつけた。

 それに連れて、どこかの仕掛けがガチャリと音を立てる。


「罠が起動したらどうするのよ!」

 アンジェラが抗議する。


「踏んで試すしかなかろう。罠で死んだらその時だ」

 平然と答えるハインツに、アンジェラは怒り心頭。


「……あんたはそれでいいのかもしれないけど、私は生きてやりたいことがたっぷりありますのよ!」

「俺は任務を果たすために必要なことを為している。文句を言われる筋合いなどないぞ」


「投げやりですわね。いくら勇者になれなかったからって」

「なんだと」


 ハインツの怒気が突然膨れ上がり、通路の空気が張り詰める。


「騎士の名誉にかけて、言ってはならないことがあるぞ」

 ハインツがアンジェラをにらみ、アンジェラも真っ向から睨み返す。

 部下の聖騎士たちはどうなだめたものかとおろおろしている。


 そのとき、通路の奥から唸り声が響いてきた。

 複数の唸り声が一団へと近づいてくる。


 ハインツたち聖騎士はたちまち精神を切り替えて、唸り声のほうへと隊形を組んだ。

 前列にハインツ、後列中央にアンジェラとその左右に聖騎士。


 ぼんやりと発光する天井の下、薄暗い通路を迫ってくるのは黒い瘴気をまとった灰色の獣たち。

 硫黄の臭いが通路に立ち込める。

 地獄の番犬、レア級の魔物、ヘルハウンドの群れだ。


「アンジェラ、聖別頼む」

「言われるまでもないわ」


 アンジェラが発動していたスキル聖別によって、瘴気への対抗魔法がハインツら聖騎士の装備にかけられる。


 ヘルハウンドは狼並みに大きな軀を持ち、燃える黒炭のような目で聖騎士たちを呪うかのように見据え、口からは黒い瘴気を涎の如く垂れ流している。


 ヘルハウンドの背中を覆う灰色の立髪は太い針を連ねたかのような剛毛だ。

 そして見た目だけではなかった。

 ヘルハウンドが頭を下げて背中を見せるや、立髪から剛毛が続け様に打ち出される。


 ハインツを中心に聖騎士たちは長方盾を組んだ。

 剛毛が盾に当たって弾かれ、甲高い音を立てる。

 毛の一本も通すことなく盾が攻撃を阻んだ。


 ハインツたちは盾を組んだままヘルハウンドの群れへと突進。

 体当たりしながら両脇の聖騎士が剣で刺す。


 ぎゃん!と鳴き叫びながらヘルハウンドたちは後ずさった。

 ヘルハウンドは脇腹から黒い血を滴らせる。床に落ちた血はぶくぶくと泡を吹き、煮えたぎっている。


 ヘルハウンドを突き刺した剣は黒く染まっていた。刃先は半ば溶け、丸まってしまっている。


「聖別がなければすっかり溶かされていたな」

「はっ」

 部下の聖騎士は替わりの短槍を盾の裏から引き抜く。


 ヘルハウンドの群れは大きく顎を開いた。

 汚れた牙が並ぶ中に赤い舌が覗く。


 ヘルハウンドは一斉に吠え始める。

 吠え声は音量をひたすら上げていき、空間を圧する。

 ただ吠えているのではない。ヘルハウンドのスキル、呪吠じゅはいを発動しているのだ。


 聖騎士たちの長方盾が共鳴して激しく震え、ガチャガチャとぶつかり合い、組んで構えられなくなる。


 それどころか聖騎士たちの身体も音に圧迫されてうまく動けない。呪吠の効果だ。


 ヘルハウンドたちは深くしゃがみ、今にも飛びかからんとの構えを取った。


 そこに美しい歌声が響き渡る。

 空間を圧していた呪吠が歌声に塗り替えられていく。


 歌っているのはアンジェラだった。

 神官のスキル、聖歌詠唱の発動である。

 彼女の歌が呪いを破り、空気の振動を支配する。


 襲いかかろうとしていたヘルハウンドの群れが逆に止まった。


 ハインツら聖騎士全員が短槍を構えた。

「重突!」


 フルプレートアーマーに身を包んだ聖騎士たちが一斉突撃、ヘルハウンドを串刺しにし、さらに全体重を載せた盾で潰しにかかる。


 ヘルハウンドの軀から血が吹き出して床を焼け付かせる。

 盾から白い煙が上がった。

 盾がなければ血は聖騎士らの鎧を溶かしていたことだろう。


 盾を跳ね除けようともがくヘルハウンドに体重をかけ続けて押し潰す。

 ヘルハウンドは遂に一匹残らず動かなくなった。


 長い溜息をついてゆっくり起き上がる部下たちを後目に、ハインツはすばやく起きて周囲を警戒する。


「どうしたのよ」

「見られているぞ」


 ハインツは視線を感じていた。

 だが、どこからなのかはわからない。


 しばらく警戒したが正体をつかめない。

 ハインツはやむを得ずそろそろと歩みだす。

 進んだ先には、ヘルハウンドと交戦する前にはなかったはずの分岐が現れていた。

 踏んだ仕掛けによるものだろう。


「ここから奴らは来たのか? しかし」

 一団が進んだ先はまた行き止まりだった。


「また何もないじゃないのよ」

「しっ!」


 ハインツは皆を黙らせて耳を澄ます。

 低い音が近づいてくる。

 ごろごろと重い物が転がってくるような音だ。


 何かがかちりと鳴り、そして離れた場所で機械仕掛けが作動する音も響く。


 ハインツの勘が危機の接近を告げる。

 凶暴な殺意が迫ってくる。

 まずい、まずい、まずい。

 死の予感が急速に高まる。


 ハインツはアンジェラを突き飛ばした。

 たった今まで彼女がいた場所を黄色い突風が過ぎる。

 アンジェラの代わりにハインツの鎧が三筋に深く削り取られていた。


 ハインツは胸の肉まで削られている。

 赤い血が噴出した。

 だがハインツは姿勢を乱すことなく周囲を警戒する。

 まだ視線は感じるものの、殺意はすでに去っていた。

 殺意の主と視線の主は異なるようだ。


「無事か、アンジェラ」

 落ち着き払ったハインツにアンジェラは、

「無事かじゃないですわ! あんたが無事じゃないでしょ!」


 アンジェラは急いで治療魔法をハインツにかけ始める。


「この分岐にも先がないとはお手上げだな。もう諦めるか」

「お手上げなのはあなたの頭ですわ。私たちが諦めたらどうなるかわかっているの」


「俺たちは地下三階から撤退して、あそこは魔族のものだな」

「そしたら冒険者たちの中には地上に戻らず地下三階で治療を済ませる者も出てくる。いずれ宿だってできるかもしれないわよ。……聖教団の目が届かない冒険者が存在してはならない、わかってますわよね?」


 ハインツはうなずく。


「最重要任務がこなせなくなったら、確実にあいつが来ますわ。そしたらここはあいつが好きに引っ掻き回したあげくおしまい。それでいいのかしら?」


 ハインツは歯をぎりぎりと噛み締めてから大声で叫ぶ。

「……あいつはだめだ。それだけは阻止する。ここには希望があるのだ!」


「わかったようですわね。怪我もひどいし、ここはいったん出直しですわ」


 一団は通路を引き返していく。

 彼らが去ったあとの暗い片隅から男が起き上がった。


「まったくうるさいったらありゃしないぜ」

 狼魔族の男、ヴォルフラムである。


 ヴォルフラムは獣耳をひょこひょこと動かす。

「せっかく尾行してみたのに、ろくな情報を持ってやしねえ。それにしても、あいつとは誰のことだ……」


 ヴォルフラムは心中でつぶやきながら、壁に両耳を当てる。

 さきほどのごろごろ転がるような音が彼には明瞭に聞こえてくる。

 狼魔族の中でも特に優秀とうたわれた聴覚だ。

 音の反響で空間の形状までをも把握できる。


 壁の向こうには確かに通路がある。

 しかしそこへの行き方が見当もつかない。


「今はとにかく情報を集めるしかないか」


 ヴォルフラムの職業は斥候、長距離を疾駆できる足、優れた聴覚と隠身スキルを活かした情報収集と探索が役目だ。


「俺は…… いや俺たちはここで部隊を再建してみせてやる。そのためにはなんだって……!」

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