世界は色を秘めている

しー

第1話 向日葵という少女


「やっと、会えたね」


彼女は震える声で静かにそう言った。

桜まじの季節風が淡い黄色のカーテンをすり抜け、彼女の長い髪をそっと撫でる。それと同時に淡い太陽の光が彼の頰を照らし、またカーテンの奥へと消えた。


彼が眠るベッドの横に添えられた椅子。

それに腰をかけると彼女は彼の顔を見つめ、柔らかな笑みを浮かべてこう言った。


「貴方にもう一度会えたら、話そうと決めていたことが沢山あるの」


彼女はベッドの脇に置かれた彼の手を握りしめた。

その手はまだ、温かい。


その温もりに震える手を無理やり押さえ付けて彼女は言葉を続けた。


「あのね、ルーノ」


懐かしい夢のような春の季節を君はまだ、覚えているだろうか。




田口たぐち向日葵ひまわり

その名の通り太陽の方を向いて笑ってほしいという両親の願いが込められた名だったが、私の人生が向日葵のように華やかに咲いたことは未だ、無い。

と、いうのも、人間らしく生きることが私はとても苦手だったからだ。


人と全く同じことをしているのが酷く耐えられない人間だったのである。


私が最初にそれを嫌いだと気づいたのは、小学生に上がったときだった。

同じ椅子に座り、同じ机に同じ教科書を置いて、同じ黒板を見、同じことをノートに書いていく。そういう日常が、私にはとてもつまらないモノのように感じていた。

確かにそれは苦痛だったが、義務教育という鎖のせいで逃げることは許されるわけもなく。私はその場所に三年近くも囚われ続けていたが、結局、毎日この場所から飛び出せたらいいのにと願うことは変わらなかった。


「えー、教科書28ページ、今日は14日だから…出席番号14番!佐川呼んでくれ」

「えー!オレかよ!」

「ほらほら、みんな見てるぞ」

「マジかよー!!!えっと…」


アホらし、今日、この時間に当てられるの、前もってわかってたでしょ。


ゲラゲラと彼の言動を見て笑う同級生達。

私は心が冷めていくのを感じながら言葉にせずともそう毒付いた。

まるで自分ひとりだけが観客の史上最高につまらないライブ。私は頬杖をついてその様子をジッと見ているだけ。

ライブという表現はまさにその通りで、一通り笑い終わった彼らは同じ描かれた台本通りに一斉に28ページを開いた。それがまた私をイラつかせる。


昨日、27ページで終わったんだから28ページから始まるの当たり前じゃん。何でみんなまだ開いてないわけ?それとも今日は違うとでも思ったの?


当てられた少年の声を聞きながら、みんなが同じタイミングで教科書に句読点まるを書く。先生はそれをうんうんと頷きながら見ているだけ。

決められたことを決められた通りに行うその光景が異様に感じる。

それは私がおかしいのだろうか。


句読点なんて何処にあるか見ればわかるじゃん。なんでわかんないの。


私は前もって句読点が書かれた自身の教科書をチラリと見る。

消され、足される句読点も無く、意味もない時間に鼻で深いため息を吐いた。


時折、読み間違える少年の声に混じるクスクスという笑い声が不協和音にしか聞こえず、濁った音から逃れるために私は教室の窓に視線を動かした。

遠くで空を飛ぶ鳥の声に耳を澄ませ、その空に想いを馳せ目を閉じる。


柔らかな風の鳴き声に時折響く鳥の歌。

静かな世界の中で永遠に眠っていたい。


田口向日葵わたしという少女はそういう幼少時代を過ごした人間だった。


「ねぇねぇ、きのうのドラマみた?」

「みたー!アイカワくんカッコよかったー!!」

「ねー!高校生ってカッコいいよね!」

「私もあんな恋がしたーい!」


授業中も不協和音だというのに、授業が終わると一斉にうるさくピーチクパーチク鳴きわめくクラスメイトは砂嵐より醜い音に聞こえた。

このまま風のように静かな場所へ飛んで行けたら素敵なのに、といつも願っていたが神様はいつまでたっても私を風になど変えてはくれない。

祈っても届かない神様という存在を私はいつしか信じなくなっていた。


「田口さんは昨日のドラマみた?」


そういって声をかけてきたのはクラスの中心的存在の女の子アイドル

いつも流行りのペンケースを持っていて、クラスの女子にとって憧れの存在らしい。


困っている人を黙って見てられないの。


なんて正義感を振りかざしてクラス中の子達に声をかける彼女だが、1人を楽しんでいる私にすら声をかけてくるのは、余計な正義感だ。

そういった人たちは本の中だけじゃないんだなと思うだけ。


「見てない」

「えー!なんで!?おもしろいのに!」

「興味ないから」

「どうして!?アイカワくんカッコいいのに!ね!」

「ねー!みてないなんてありえない!」

「なんでみないの?」

「ね!みないなんて人生の半分は損してる!」


同じ質問を繰り返しながら騒ぐ女の子達に私は耳が聞こえなかったらどれだけ幸せだろうとため息が漏れた。そのドラマは母のお気に入りだったため、見たことがないわけではない。だが、私自身はちっとも面白いとは思わなかった。


ちょっとクセのある男の子が強気な女の子に惚れるだけのラブストーリー。

ありきたりな話。


ただ、私にとってはつまらない物語ドラマでも流行りというものはあるようで、その話題で盛り上がっていた女の子たちにとってそのときはそれだけが全てだった。それに気付けなかった私もまだ幼かったのだろう。

なかなか話題に参加してこない私の様子に彼女たちは顔を見合わせ口を曲げる。すると、表情だけで嫌味を表し、ムッとした様子で聞いてきた。


「ねー、田口さんヘンジしたらぁ?」

「ね、ムシとかつまんな」


彼女たちの答えには「見てない」「興味がない」と一応、ちゃんと返事をしていたのだが……それは彼女たちの求めていた答えではなかったのだろう。

そのドラマこそが全ての彼女たちとそうではない私。そもそも会話が成り立つわけもなく、互いにいい距離感を持って接していればいい……というのは大人になればわかるのだが、それを気付けるほど私達は大人じゃなかった。


とはいえ、そういうことに傷つく私でもなく。


あーそうですか、はいはい。早くあっちに行ってくれ。


と心のなかで彼女たちをあしらった。

だが、神様に祈りが届かないように心の声が彼女たちに届くことはなく。

あろうことか教室の端で他の子と談笑していた先生を両腕で引っ張って連れてきた。連れてこられた先生は困惑した表情で様子を伺っていたが、彼女たちは正義感たっぷりの表情かおで先生にこう告げた。


「せんせー!田口さんがムシしてきます!」


殴って許される世界なら、私は彼女たちをひとり残らず殴っていただろう。

法律というのは偉大だ。


「えー!?本当?」

「何を言ってもヘンジくれないの」

「あたしたち話しかけてるのにね」

「ね!」


先生は困った顔をして頭を掻いた。

私と女の子たちを何度か交互に見ると、深いため息を吐いて私の方を見る。ほんの少しだけ希望を抱いて私は先生を見たのだが、悲しいことに彼はそのまま私に向かって毒を吐き出した。魔物のように。


「田口、友達とは仲良く話す方がいいと先生は思うな」


期待を裏切るその言葉に私はひどく落胆して、これなら空を見ている方がよっぽど有意義だと心のなかで深い深いため息を吐いた。

痛みは麻痺してもう感じることもない。


「あのな、田口。神崎さんたちはみんな田口と仲良くなろうと思って声をかけてくれてるんだよ。それを無視されたら誰だって嫌だろ?先生も今、田口がこっちを見て話を聞いてくれないのがすっごく悲しいよ」

「先生かわいそう!」

「ありがとう。な?こうやってコミュニケーションを交わすことで、みんなと仲良くなるのが先生、大事だと思うんだ」


私がどれだけ鳥の声に集中しても入ってくるその雑音は反響する部屋に鳴り響く不規則なドラム音。どれだけ美しい音を奏でることができる楽器だったとしても使い方を間違えれば騒音になるように、先生がどれだけ言葉を生み出しても心地のいい音に感じることが私にはできない。


何故なら私にとって先生の言葉は否定だったから。


「田口、聞いてるか?」


はああああ、私は深いため息で返事を返す。

小学生では滅多に聞かないふかーいため息だ。そしてそのまま言葉を続けた。


「見てない、興味ない」

「え?」


早口で答えた私に間の抜けた先生の声が続く。


「彼女たちの質問への答えです。一番最初に言いました」

「えっと」

「これでいいでしょう?返事はしました。だから放っておいて」

「でもな、田口。それだけじゃ…」

「私、ひとりで空見てたいの。だから放っておいてください」

「田口、あのな」


鳴り響く雑音にもう耐えられなかった。


「だから放っておいてって言ってるじゃん!!!!!!」


私が怒鳴ると、先生も含め周りはビクリと肩を揺らす。そしてそのまま此方こちらを凝視した。

怒鳴ったあとにやってしまったと少し罪悪感を抱いたが、その気持ちすら掻き消すようにもう一度鼻から息を吐き出す。


そして私は椅子から勢いよく立ち上がり、教室の扉の方へと向かった。


「田口!?」


私を引き止める声に聞こえませんと心で答える。

私は勢いよく扉を開けて、閉めた。

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