chapter.4 雪どけ

 昨日とは打って変わり、外はとてもいい天気だ。

 注意報が出ていた割に、雪はあまり積もっていない、というか、すでにだいぶ溶けてきている。

 日の当たらない屋根の上や植物の上、土のところはまだ白いが、アスファルトの雪は日陰でもわだちや靴跡がぐじゅぐじゅになって、日当たりのいいところでは、濡れた路面がキラキラ輝き、寝不足気味の目にまぶしい。


 昨夜ゆうべは、あまり眠れなかった。

 アキが帰ったあと、冷えた体を風呂で温めすぐに布団へ入ったはいいが、そこから全然寝付けなくって、気付くと空が白んでいた。

 原因は、もちろんアキだ。

 アキがいきなり、あんなこというから……。

 また同じことを考えてしまい、オレは思い切りかぶりを振る。

 家にいても落ち着かねーから飯を買いに出たっつーのに、これじゃあ気分転換にもなりゃしねー。

 もういい加減忘れようぜ。

 今までだってずっと口利いてなかったんだし、それがこれからも続くってだけじゃねーか。


 陰になった路地裏を滑らないよう慎重に歩いていくと、道の先に引っ越し屋のトラックが見えた。

 あそこはちょうどアキんちの辺りで、もう全部済んだのか、ゆっくり走り出してくところだ。

 アキのヤツ、ホントに越しちまうんだな……。

 隠れんのも忘れ、ぼんやりそれを見送ってたら、今度は横からワゴンが出てきた。

 チラッと見えた助手席にアキの姿を見つけた瞬間、強い何かが込み上げてきて目がじんわりと熱くなる。


 アキっ!


 ワゴンはオレに気付かぬまま、トラックを追い、行ってしまった。

 本当に、オレの知らない遠いところへ──。

 ふと左目から一滴ひとしずく、温かなものがポロリとこぼれ、頬を伝い落ちていく。

 舌先に触れたしょっぱさで、それが涙と気付いた途端、一気に両目からあふれてくる。


 なんだよオレ、泣くほど悲しかったのか?

 バカだなぁ、もっと早く気付けよ。

 ゴメン、アキ、本当にゴメン……。


 アキはちゃんと自分の想いが、普通でないと知っていた。

 けして受け入れられないと、最初からわかってた。

 だからオレを傷付けないよう、悪者になって身を引いたのに、オレは、そんな優しいアキをヒドイ言葉で傷付けた。

 あの告白で見る目が変わり、アキのすべてを否定した。

 それまでオレが見ていたアキと──冷たくされても心のどこかでずっと信じていたアキと、何も変わっていないのに。

 悪魔の鏡が入っていたのは、多分きっとオレの方だ。


 元の心に戻ったカイが、目に入ってた鏡の欠片を涙で洗い流したように、オレの中のわだかまりも、少しは涙で流れただろうか。

 今はただ、アキに会いたい。

 会ってちゃんと謝りたい。

 だってオレ、アキのこと、やっぱ嫌いになれねーから。

 友達として好きだから、誰かに新しい住所を聞いて、春休みに会いに行こう。


 濡れた頬を乱暴に拭い、オレはまた歩き出す。

 陰から一歩踏み出すと、日向ひなたは春の光にあふれ、どこかの家の庭先から梅の花のニオイがした。




 その晩ぐっすり眠ったオレは、翌朝、いつもより早めに登校した。

 クラスメートと挨拶を交わし、教室の奥に目をやると、からだと思った窓辺の席に、制服姿のアキがいた。

 頬杖ついてぼんやりと窓の外を眺めている。


「なんで……?」


 オレは足早に歩み寄り、アキの机をばんっと叩いた。


「てめえ、なんでここにいんだよっ?」


 びくっと頬杖を外したアキが、オレを見上げ目を丸くする。


 「えっ、何? ケンカ?」って声がどこからか聞こえてきたが、勘のいいアキにはオレのいわんとすることがすぐにわかったようだ。

 「引っ越したけど転校はしないよ。もう卒業だし」と、ややひきつった笑みで答える。


「じゃあ、なんであんな時間にわざわざうちへ来たんだよ?」

「ホントは卒業式に返すつもりだったけど、引っ越しのどさくさで無くすといけないから、先に返しとこうと思ってコンビニ行くついでに。手紙入れといたんだけど、見てないみたいだな」


 それどころじゃなかったし、手紙なんて気付かなかった。

 いや、そんなのはどうでもいい。


「話がある。ちょっとツラ貸せ」


 にわかにどよめき出す教室。

 「おっ、ついに修羅場かぁ?」って佐藤らしき声もしたが、全部無視して廊下に出る。


「何、話って?」


 遠慮がちに尋ねてきたアキへ、周りに人がいないのを確認してから、オレは「ゴメン」と頭を下げた。


「オレ、オマエにヒドイこといった。でもっ」


 顔を上げ、まっすぐアキを見上げていう。


「オレやっぱり、アキのこと好きなんだっ!」


 「えっ!?」っといったきりしばらく固まってたアキが、オレを見下ろし、おずおずと口を開く。


「両想い?」

「ちっがーうっ」


 オレはすぐさま突っ込んだ。


「友達としてだ、友達としてっ。だからその、前みたく仲良くしたいんだよ」

「……もし僕が、変な気起こして襲いかかったらどうする?」

「それはっ……妙なことしようとしたら、全力で抵抗してじ伏せっから大丈夫だ。オレも男だし、自分の身くらい自分で守る」

「頼もしいね、れ直しそうだ」


 それまでずっと強張っていたアキの顔がほころびる。


「じゃ、まずは友達からってことで」

「からってなんだよ、からって。オマエなんか一生友達だぞっ」

ねぇ」


 久々に見た明るい笑顔に、なぜかドキッとしたオレは、「そうだ、一生友達だっ」といましめるように宣言した。

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