第二章

アギト 1

 (本当に俺以外の人にはみえていないんだな)


 道すがら、何人かの人とすれ違ったが自分の後ろを歩く目立つ風貌の少女に一瞥もしないのを見て改めてメイリルの魔術の凄さに感嘆する。

 公園を出て、ほどなくして目指しているスーパーが見えた。誠が子どもの頃から営業しているスーパーで、建物自体は古いが二年前に外壁を塗装し直して見かけは綺麗になっている。一階は主に食品を、二階は生活雑貨を取り扱っている。駐輪場に数台の自転車が止まっていたが、強くなってきた風の煽りを受けてドミノ倒しになっていた。

 周りに人が居ない事を確認してから誠はメイリルに目的地に着いたことを教える。すると、メイリルが「ちょっと待ってて」と囁くと店の近くにある街路樹の根元にリュックを置いて小声で何かを呟いた。それに呼応して誠に悪寒を感じたことからメイリルが何か魔術を使ったのだろうと想像がついた。


 (なんでメイリルさんが魔術を使うと虫の知らせが反応するんだ?誰かが魔術を使うと反応するのか?じゃあ今までも誰かが俺の近くで魔術を使っていたって事か?)


 しかし思い返してみても植木鉢が上から落ちてきた、タイヤがパンクした車が歩道に突っ込んできた、飛んできたボールが頭にクリーンヒットした等々、どう考えても魔術なんて関わっていなさそうに思う。

 それに虫の知らせも完璧に不幸を予測できるわけではない。悪寒を感じても結局なにも起こらない事も多い。そう、もしかしたら自分は魔術アレルギーで虫の知らせとは一切関係ないのかもしれない。


 (田村さんと会った時も悪寒は感じたけど特になにもなかったしな。もしかして風邪でもひいたのかもしれないな)


 そんな事を考えていると狭い店内では邪魔になる巨大リュックを置いたメイリルが杖だけ持って戻ってきた。メイリルが頷いたのに小さく頷き返すと誠は自動ドアを開けて店の中に入った。


 当然ながら、冷房の効いた店内は快適だった。混み合うお昼を過ぎていたが店内には意外に人が多い。恐らく誠と同じく夕方の買い物を早めた人が多いのだろう。

 勝手知ったる店内を周りながらカートに載せた買い物カゴに次々とメモで指定された物を入れてく。時折、後ろを振り返ると器用に人を避けながらついてくるメイリルの動きが下手な踊り見えてに噴き出しそうになる。視覚は誤魔化せても触覚は誤魔化せないため、予測不能な動きをする幼児たちには、フェイントを警戒するスポーツ選手みたいな動きをしていて更に面白いが、やっているほうは大変そうだ。


 (やっぱり外で待ってた方がいいじゃないか?)


 何度かその旨をジェスチャーしてみたが伝わらず、しょうがなく小声で言うと、首を横にふって拒否されてしまった。

 ようやく頼まれた分の買い物を終え、後ろを振り返るとメイリルの姿が見えなくなっていた。


 (あれ?どこに行ったんだ?)


 店の外には出ていないだろうと思い、少し店内を回るとメイリルは店内工房直売のパン売り場で何かを熱心に見つめていた。


 (何しているんだろう?)


 早歩きでメイリルと合流した誠はメイリルの肩をポンと叩く。

 メイリルがハッと驚いた顔を誠の方へ向けると同時にキュ~と何か可愛らしい音がしてメイリルの顔が見る見るうちに赤くなっていく。


 (ああ、そういう事か)


 事情を察した誠は「今日はどのパンにしようかな~」とわざとらしく呟いてメイリルをちらっと見る。それで誠の意図を察したメイリルは目を輝かせてクリームパンやチョコが塗られているドーナツを指さす。あまり迷いなく選んでいる所を見ると向こうの世界でも似たようなパンがあるのかもしれない。


 その後、目を輝かせ続けるメイリルに圧され、菓子パンに続いてお菓子まで沢山買わされてしまった。その結果、予算オーバーしてしまった誠の夕食はインスタントラーメンで済ますことを余儀なくされるのであった。


―――

 両手にビニール袋を持って足取り重く店を出た誠を軽やかな足取りでメイリルが追い越していく。


 (なんかどっと疲れた……)


 重い荷物を持って狭いとはいえ店の中を余計に回ったせいで早くも腕が悲鳴を上げている。よくマンガなどで女の子の買い物につき合わされてぐったりしている男というシチュエーションをあるが、自分が同じ目にあうとは思いもしなかった。

 とはいえ、嬉しそうなメイリルを見ると夕飯と小遣いを犠牲にしたかいがあったと思う。


 (そういえば、この娘は今まで何を食べて生活していたんだろう?)


 それも魔術で何とかしていたのかなとぼんやり考えながらメイリルを追いかける。だが、少し進んだところで不意にメイリルが足を止めた。さっきまで浮かべていた嬉しそうな表情は消え、懐かしむような、あるいは寂しそうに三人の制服姿の女の子を見ていた。


 (知り合いって訳じゃないだろうし、どうしたんだろう?)


 メイリルの横顔を見ていた誠の横をのんびりと自転車が追い越していく。その先には、心ここに在らずといったメイリルが迫る自転車に気づく様子もなく立ちつくしている。

 普段から危険に対する心構えが出来ているおかげか、考えるよりも先に誠は行動を起こしていた。

 両手の荷物を地面に落として全速力で自転車を追い抜き、メイリルを自分の方へ抱き寄せた。


 「ふぇ!?」


 急に体を引き寄せられたメイリルが間の抜けた声を漏らすが、幸い誰の耳にも届かなかったようだ。


 「ど、どうしたの?」


 「い、いえ、なんでもありません、すみません、大丈夫です、ごめんなさい」


 自転車に乗った白髪の女性が驚いて自転車を止めるが、誠の言葉を聞くと不思議そうな顔をしながら、またのんびりと自転車のペダルをこいで行ってしまった。


 「ふぅ」


 「あ、あのぉ……」


 「あっ!ごめ……」


 頬を赤らめて自分を見上げるメイリルを見て誠は我に返った。思わず大声を出そうとした誠の口をメイリルが抑えて自分の唇に指をあてて声を出すなとジェスチャーする。

 コクコクと頷いたところで、誠はまだメイリルに体を密着させていることに気づいて今更ながら顔に血が昇っていく。離れなければと思うのだが、変に緊張してしまった体が上手くコントロールできない。

 それを見かねたメイリルが誠の胸に手を当てて何かを呟くと、悪寒と共に混乱していた精神が不思議と落ち着いていく。


 「ごめん……」


 小声で謝ると誠は、まだちょっとキクシャクした動きで放り出した荷物を取りに戻る。卵などの割れ物を買っていなかったのは幸いだった。これ以上、小遣いが減る事態にならず、ほっと一息ついて買い物袋を両手に持って立ち上がる。

 ちょうどメイリルも自分のリュックを背負い終わり、やや赤らんだ顔を誠に向けていた。


 (またやってしまった……)


 高校に入ったばかりの頃に、同じように学校で危ない目に遭おうとしていた女の子を助けた事があるが、その時のお礼は涙目と平手打ちだった。その時は周りにいた人が証人になり先生にも信じてもらえたので大事にはならなかったが、今でもその子からは冷たい目を向けられ口もきいてくれないので謝る事もできないでいた。


 (今度はちゃんと許してもらわないと)


 理由はどうあれ相手に恥ずかしい思いをさせたのは事実。心を静める為に深呼吸を一つして誠はメイリルに近づく。周囲に人がいないのを確認してから誠が口を開く前にメイリルの焦った言葉が割り込んだ。


 「えっと、ごめんね。その私、昨日お風呂入ってなくて、その臭かったんじゃ……。あっ、毎日体はちゃんと拭いているし汚くはない、と思うけど……。ごめん、やっぱり汚いかも……。臭いも気を使っているけど、だから、その、あの……」


 「え、いや、別に汚いとも思ってないし、臭いとかも気にならなかったけど……」


 抱き寄せたときのことを思い出すと臭いよりも、女の子らしい柔らかな感触を思い出して誠の顔が火照ってしまう。だが、そんな誠の様子に気づく様子もなく、まだ下を向いて言い訳をしているメイリルの声が次第に大きくなっていく。


 「メイリルさん、声!声が大きい!」


 「あっ、ごめん……」


 「その、お詫びって訳でもないけど、うちの小さいお風呂で良ければ貸すけど……」


 「ほんと!?……あっ、うん、ぜひお願いします」


 よほど嬉しかったのかまた大きくなりかけた声を絞ってメイリルは勢いよく頭を下げた。


 「じゃあ、そろそろ行こうか?」


 頷くメイリルを見て誠が再び前に立って歩き始めた。その時、買い物袋に誰かが触れる感触と僅かな悪寒がした。すると、袋の重さが突然羽のように軽くなってしまった。

 驚いて後ろを振り返るとメイリルが得意げに笑っている。


 (これが、魔術か。あとでまたお礼を言わないとな)


 既に太陽は厚い雲に覆われ、風も少しずつ強くなってきた。

 メイリルと会った公園、亜由美と会った無人販売所を通り過ぎた。


 (田村さんは、もう帰ったのかな)


 自称ホームズと別れてから、まだそう時間は経っていないのに随分前のことに感じる。もし誠の今の状況を知ったらあの好奇心旺盛な女の子はどんな反応をするだろうか?


 太陽が隠れたことで暑さは和らいだが、生温い南風が湿気を運び込み不快な熱気にむしろ汗の量は増えてシャツが汗を吸って濡れていく。

 どんどん悪くなる天候に比例して人の姿もだんだんと減っていき誠の家に近づくころには道路に人の気配が全く無くなっていた。

 そして、ようやく家に向かう坂道に差し掛かったところで誠の顔に冷たい滴が当たって弾けた。降ってきたと思った時には既に大量の雨粒が地面を余すところなく湿らせていく。


 「走るよ!」


 メイリルの返事も待たず誠は一気に坂を駆け上がっていくのであった。

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