あやつる
前回、共犯という言葉を用いましたが、本作の犯人は巧みに思い通りに行動を促しています。
「操り」という言葉は、ある時期以降のクイーン作品を語る際に頻繁に用いられます。これも議論を進めるうえでは、なんらかの定義をしておいたほうがよさそうです。ひとまずは「犯人が自らの利益のために関係者の行動を操作する」こと、としておきます。
クイーン作品を引き合いに出して「操り」が語られることが多いのは、おそらく、「操り」の対象となる関係者に名探偵も組み込んだからでしょう。また定義の問題に戻るのですが、「犯人が探偵を操ること」こそ「操り」だという考えのほうが主流で、探偵以外の関係者の行動をコントロールすることまで「操り」という用語に含めると煩雑になるという考えのほうが一般的なようです(あくまで筆者個人の感想ですが)。
元祖はなにかというのも難しい問題なのですが、名探偵という推理する機械という特性を犯人が悪用することで、ミステリはぐっと複雑で不安定なものになりました。
複雑というのは、論理的な推理をさせて偽の解決に導く証拠を残しておく犯人が出てきたり、探偵の推理が複数回披露されたりするようになったこと。
不安定というのは、探偵の推理や根拠となる証拠が本当に正しいのかがハッキリしなくなったことです。
クイーンはこの複雑さと不安定さに誠実に取り組みました。
筆者が個人的に「操り」を語るうえで欠かせないと感じている二つの作品は“Portrait of a Murder”を挟むような形で発表されています。1930年代から40年代が「操り」の時代だとするほど、たくさんの作家が頻繁に取り扱ったわけではありません。
物語を面白くするためのテクニックとして広義の「操り」は一般的なものになり、プロパーのミステリ作家にとっては頭の片隅にあるテーマくらいにはなったのが1930年代後半なのかなぁ、と感じます。
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