あらすじを書く難しさ
基本情報を紹介する際、あらすじが抜け落ちておりました。今さらですが書きます。
知り合いのオウェンの屋敷に招かれたクイーン。屋敷では翌日に控えたオウェンの息子ジョナサンの誕生祝いのための出し物のリハーサルが行われていた。アリスの“いかれたお茶会”の場面を演じるようだ。
翌朝、オウェンが消えていることがわかる。どうやら帽子屋の衣装のまま、いなくなったらしい。これは事件なのか。それとも、酒癖のよくないオウェンがどこかで酔いつぶれているだけなのか。
もう少し、紹介してもいいのですが、このお話は「なにが起きているのか」が面白いタイプなので、ここまでとしておきます。
この企画を始めて改めて感じたことがあります。ミステリのあらすじを書くのはさじ加減が難しいということ。本の裏表紙や扉、ネットの商品説明などに書かれているあらすじは結構、大事なデータまで触れていて楽しみを減じていることが案外、多いこと。
知人の映画好きは「観るものを決めずに空いた時間に行った映画館で、すぐに観られる知らない作品を観て楽しかったと帰るのが一番贅沢な映画体験だ」と語ります。
どこかでどなたかが書いたか言っていたかだと思うのですが(あやふや)、横溝正史の『獄門島』は作中で金田一耕助が驚く「あること」を名作であるがゆえに後年の大半の読者は読む前から知っているのはもったいないというのです。言われれば確かに、となったのを覚えています。
この「いかれたお茶会の冒険」ではアリスの物語がかかわってきます。このデータを伏せたほうが面白いとの判断で、ここまでのこの企画ではその点をオープンにしていなかったのですが、落ち着いて考えれば、クイーンはアリスの存在を隠していません。タイトルからしてズバリという感じです。
マザーグースもそうですが、英米圏ではおなじみの文化が日本人にとってどれだけなじみがあるかというのは、海外作品を楽しむうえで大事なポイントです。反対に和歌の暗号とか「いろはうた」みたいな言葉遊びを取り入れた日本のミステリは海外の人にはハードルがあるに違いないのです。
日本でも『不思議の国のアリス』は多くの人に親しまれているはずです。「はず」と物言いが弱腰なのは私がきちんと読んでいないから。海外作品のモチーフにされる作品だ、という理解から勉強のためにそれなりの年齢になってから読んだので、「子どもの頃、アリスの絵本が大好きだった」という経験を持つ人との温度差というか消化具合がだいぶ違います。
筆者とアリスの関係性が日本の読者の平均的なものと異なるという点をふまえて読んでいただきたいのですが、「いかれたお茶会の冒険」という短編は、日本のミステリ界できちんと評価されていない可能性があるのではないか。そう案じてしまうのです。
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