黄金期と呼ばれるわけ

 海外ミステリにとって1930年代は黄金期とされます。この時期に活躍した作家を少し挙げると、クリスティー、クイーン、カー。というか、この御三家がいたから黄金期なのかと錯覚するほど。

 代表的な作品名を挙げれば、『そして誰もいなくなった』(1939)、『エジプト十字架の秘密』(1932)、『火刑法廷』(1937)といったところでしょうか。

 さきほど錯覚と書いたのは、他にもいますよということです。セイヤーズも1930年代に活躍した作家。よく挙げられる『ナインテイラーズ』は1934年、『大学祭の夜』は1935年。調べて驚いたのは『死体をどうぞ』が1932年だったこと。

 1932年というのは海外ミステリ好き、こと本格マニアにとっては特別な年で、それは神様、エラリー・クイーンが先ほど挙げた『エジプト十字架の秘密』の他にも『ギリシア棺の秘密』を、バーナビー・ロス名義で『Xの悲劇』と『Yの悲劇』とオールタイムベスト級の傑作を四連打しているから。

 これは私が反省しないといけないのですが、黄金期は「謎解き本格ミステリがつくった」あるいは「謎解き本格ミステリという形で推理小説が一つの完成形になった」時代といった見方をしてきました。

 これはどうも違うようです。違うというか、正確ではないというか。

 いわゆる本格謎解きミステリ以外にも傑作が多い時代だったということを気づかされました。この連載企画を続けていて、また大きな学びをした想いです。

 この「世界短編傑作選」シリーズで、クリスティーからは「夜鶯荘」が採られています。以前、この企画で「夜鶯荘」を取り上げた際、「なぜクリスティー作品から選ぶのにこの作品だったのか」というアプローチをしました。その背景には「クリスティーらしい作品はもっと他にいくらでもあるだろう」という疑念、さらに言えば「なぜ様式の整った謎解きミステリを選ばないのか」という本格謎解きミステリ至上主義みたいなものがあります。

 今回の「疑念」もそうで、ストレートな謎解きミステリというよりは犯罪小説、サスペンスに寄った物語です。クリスティーの回で反省したのに、こりもせず「なぜセイヤーズでこれなのか」みたいな気持ちはありました。

 最近、落語や歌舞伎をきっかけに、ミステリに限らず「古典とはなにか?」という命題を考える機会があり、改めて古典ミステリというものを見直してみました。そこで気づいたことがあります。

 元来、犯罪と恐怖という不条理の物語であり、名探偵や謎解きという合理にフォーカスされていくうちにシンプルな恐怖は抜け落ちていったのではないか、というのがそれ。

 不条理に基づいた物語がしっかりと書き継がれて今も読めるというのが、黄金期の黄金期たるゆえんだったのではないか、とまた反省をしているのです。一つの方向に流れていく(あるいは傾いていく)のは一過性のブームでしかなく、いち時代を築いたというのとはまた違うのだと感じるのです。

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