ハードボイルドの臭跡
ハードボイルドとは、文体のことにすぎない。
この企画をやって学んだことの一つ、それも大きな学びの一つです(詳しいことはヘミングウェイの“killers”を取り上げたときの一連の記事をお読みいただきたいと思いますが)。
記述スタイルの違いなのだから、謎解きも本格もトリックも成立するんだよ、ということがわかってなお「でも、ハードボイルドというジャンルには文体以外のなにか独自性が育まれて脈づいているのではないか」という疑念というか想いはあります。
スタイルというよりも「イズム」、型ではなく魂のようなものがハードボイルドという呼称でくくられる作品群にはあるように思えてならないのです。
ここで少し「おぉ、ハードボイルドだ」という香りを嗅ぎ取った箇所を「スペードという男」から引用してみましょう。
「M-a-x B-l-i-s-s」スペードは、一字一字スペルをいった。「マックス・ブリスにあいにきた。マックスのほうでも、ぼくにあいたがってる。わかった?」
トムはわらいだした。ダンディ警部補はニコッともしない。トムはいった。「しかし、あえるのは、かたっぽうだけだ」横目で警部補の顔つきをみたトムは、わらうのをやめた。モソモソ、体をうごかしている。
(『世界推理短編傑作集4』江戸川乱歩編 東京創元社 p101より)
「娘は、なにか知ってるかな?」
「それは、神様だけがごぞんじさ」トムはうんざりしたように言った。
(同 p103より)
スペードは、ダンディ警部補の肩ごしに、紙に目をやった。
きれいな、くせのない字の、鉛筆でかいた、ごくふつうの、ちいさな紙だ。
(同 p106より)
「医者には?」
ミリアムは目をふせた。「いいえ、電話してないとおもうわ」
「死んでるとわかっていればね」スペードはかるい口調でいった。
(同 p124より)
スペードは、あいそよくほほえんだ。「いろいろ、ひとにものをたずねるのが、こっちの商売でね」
(同 p127より)
「金持ちの女と結婚するよりほかに、職業は?」
(同 p133より)
スペードの顔が、おもしろがっているようにピクつき、ますます、金髪の悪魔じみた表情になる。(同 p138)
念のため、書き添えておきますが、これは私のハードボイルド観にひっかかったものです。ざっくりまとめると「ちょっとひねったキザで皮肉っぽい台詞」「探偵も警察もお互いに仲よくしようとはしない」「醜いことまできちんと描写するリアリズム」の三点でしょうか。
しかし、こうして並べてみると別に名探偵が言ったりやったりしてもおかしくないことです。どうもつかみどころのない作品全体が醸し出す雰囲気がハードボイルドの正体、独特の雰囲気の大元は文体ということになるのかもしれません。
さて、次回からはロード・ダンセイニ「二壜のソース」を取り上げます。
ナムヌモ、ナムヌモ。
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