ジャックの検証

 今回はネタばらしをして、「オッタモール氏の手」について書きます。



!!!!!注意!!!!!


 以下、トマス・バーク「オッタモール氏の手」とアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』の内容に言及します。未読のかたはご注意ください。






「オッタモール氏の手」の犯人、オッタモール氏の正体は警察官です。

 警察が犯人なんてのは、現代からすれば驚きは薄いでしょう。

「オッタモール氏の手」がうまいのは、容疑者らしい容疑者が出てこない、名前のついた人物が出てこないことです。

 それでいて、警察が駆けつけると犯人は煙のように消えていたかのような記述はあり、「巡査部長」という役職名はきちんと登場しているのです。

 突然、犯人が出てくるように感じますが、実はそうではない。

 それでいて、なお驚きが生まれるのは「オッタモール氏の手」に容疑者リストがない、つくれないからです。

 クリスティーの『そして誰もいなくなった』は容疑者リストがあり、迂闊な読者には全員が消えてしまうことにより、サプライズを発生させていますが、まったく逆のことをしています。

 作品名はあげませんが、警察が犯人というものの大半は名のある個人として、犯人は登場しています。

 それを読者がリストから外す、ないしは最初から載せていないことがサプライズを生みます。

「オッタモール氏の手」は犯人当ての本格ミステリを志向していない(はず)なので、実は「意外な犯人」を追及した末に解が用意されたのではなく、

もっとシンプルに怖さを追及した結果、警察が犯人というものにたどり着いたような気がしてなりません。

 警察官が犯人なんだよ、ではなく、警察官が犯人にもなりうる可能性、警察官だって人間なんだよ、と書きたかったのではないかと推測してしまいます。



 さんざん、書いてきてなんですが、警察が犯人というオチは、当時もそんなに驚きをもたらさなかったようにも感じます。

 なぜなら、切り裂きジャック事件の際に人々は「警察犯人説」に触っているはずだからです。

 やはり、「オッタモール氏の手」の最大の魅力は「警察が犯人」以外のところにあるように思えてなりません。

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