第4話 肝試し
出会ってから、四度目の春。僕らは違う場所にいた。僕は実家から車で三時間ほどにある大学へ。彼女は地元の大学へ進学した。
彼女はメイクを覚えるとぐっと色っぽくなった。髪もばっさりと短く切り、きりっとして賢そうな才媛のオーラ漂う美人へと変わっていった。久々に会うたび、僕はそわそわして、隣を歩くだけで緊張した。
たまに彼女が僕のアパートに泊まりに来ることがあったが、彼女は僕の前でもメイクを怠ることはなかった。素顔になるのは寝るときだけで、朝、起きると、彼女はメイクばっちりで朝食を用意してくれていた。相変わらず、常に彼女は、「いつ、何が起きるか分からないから」と備えていた。
僕はといえば、見た目の変化は大して無かったが、大学に入ってすぐにキャンパスの近くの写真館でバイトを始めた。受付や電話対応がメインではあったが、撮影のアシスタントもさせてもらえることもあって、僕はそこでせっせとプロの『撮影』というものを学んでいった。そうして貯めた金で自分の一眼レフを買い、そこで得た技術と知識を駆使し、彼女のポートレートを撮り続けた。
撮った写真を見せると彼女はほっと安堵したように微笑む。その笑顔が僕はたまらなく好きだった。
僕がいい写真を撮れば、彼女は安心して暮らせる。
僕は彼女の『今』を、彼女の『遺影』を、守りたかった。
* * *
だから、このまま僕が死んだら、彼女はどうなってしまうだろう、と朦朧とする意識の中で思った。
「久保!」
激しい雨音に混じって、僕の名を必死に呼ぶ先輩の声が聞こえていた。「肝試しに行こう」とその日の朝、僕を誘った声と同じだった。
大学の近くにある小高い山の上にある城跡。そこは心霊スポットとしてそのあたりでは有名だった。お盆が明け、実家からもどってきていた僕のもとに、朝、いきなり、大学の先輩から電話が来て、誘われたのだ。気は進まなかったが、先輩の誘いを断ることもできなかった。
雨雲が空を覆い、朝から暗い日だった。「夜はさすがに怖い」と先輩が言うので、お昼過ぎに行き、試しに撮った一枚目で思わぬものが撮れてしまった。僕たちは恐怖におののき、逃げるように峠の坂道を原付で駆け下りた。そして、突然、降り出した雨の中、僕はスリップを起こすという大失態を犯してしまったのだ。
倒れた原付の傍らで、カメラが雨に打たれて横たわっているのが視界の片隅で見えた。中のデータは無事だろうか、とそればかりが気になった。心霊写真はどうでもいいが、彼女の写真が心配だった。先週、帰省していたときに撮った彼女の写真を、まだパソコンにうつしてはいなかった。彼女が「一番、好き」と言ってくれた写真が、その中にあったのに。
* * *
先輩の電話でかけつけた救急車に乗せられ、僕は近くの病院に運ばれた。ヘルメットもしていたし、それほどスピードも出ていなかったため、幸運にも軽い脳しんとうと打撲だけで済んだ。
念のため、一晩、入院することになり、病室のベッドで休んでいると、カツカツと足早に近づいてくるヒールの音が聞こえてきた。大部屋の中を区切るカーテンがジャッと音を鳴らして開かれ、「バカじゃないの!」といきなり怒鳴られた。
現れたのが彼女だと、しばらく気づけなかった。黒髪はびっしょりと雨に濡れ、メイクも全て流れ落ち、みっともなくてだらしない――でも、生き生きとして美しいと思った。
「わざわざ、来てくれたんだ?」
事故後すぐ、先輩が気を利かせて、事故のことをSNSで僕の知り合いに知らせてくれていた。彼女に知られたくはなかったのだが、彼女のSNSは――大学の友人に半ば強制されるかたちで登録したらしい――いつまでたってもまっさらで、ろくにチェックしているとは思えなかった。だから、彼女が気づくことは無いだろう、と高を括っていた……のだが。夕方になって、彼女から電話が来て、病院の場所や事故の詳細を尋問のごとく聞かれた。電話口でも、彼女がひどく取り乱しているのが分かって、胸が抉られるようだった。
「ごめん」
事故の経緯が経緯だ。ばつが悪くて弱々しくそう謝ると、彼女は充血した目で僕を睨みつけ、鼻を膨らませた。
「私に謝ってどうするの」
「そうなんだけど――いや、でも……そうだ。カメラがダメになった。先週撮った君の写真、パソコンにうつしてなくて。全部、消えたかもしれない。ごめ……」
「写真のことなんて、今、心配することじゃないでしょう!」
彼女の怒号が病室の空気を震わせ、僕の耳に余韻を残して消えていった。気を遣ってるのか、怯えてるのか、相部屋の他の患者は息を潜め、しんと静まり返った病室に、雨が窓を打ち付ける音だけが響いていた。
しばらくぽかんとしてから、思わず、僕は笑ってしまった。
君が言うなよ、と思った。
「なにをへらへらしているの?」
「いや」と弁解しようと顔を上げて、あ、と気づいた。彼女が、涙を溜めた瞳で僕を見つめていた。しっかりと、まっすぐに。ああ、やっと目が合った――そう思った。
心の中が、凪のように穏やかに鎮まっていた。
「ほんと、君の言う通り、いつ何があるか分かったもんじゃないね」
気づけば、そんなことをぽつりと口に出していた。
顔をこわばらせる彼女に、「だからこそ」と僕は語調を強めて続けた。不安そうに、でも、反らすことなく見つめ返してくれる、その瞳を見つめて。
「今を、君と一緒に生きておきたい、と思うんだ」
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