4ー0 変わる世界、変わってしまった日常


「私たち、結婚するんです」


 セデ村の村長であるリエットと、コクモノの筆頭格であるエルミリオが、初々しい様子でそう教えてくれた時は、目玉が飛び出る程に驚いたものだ。

 当然だろうが、当初は人間側からも怪物側からも、反対の嵐が巻き起こったらしい。

 人間とコクモノ……ペデスタル崩壊以前よりも対立を続けてきたという両者が、あろうことか形式的に結ばれるなんて到底考えられない、と。

 だが、今やペデスタルは風前の灯。

 いつ消えるのかも、何をやり残せるのかも分からない状況の中、リネットとエルミリオの仲睦まじく幸せそうな姿が……遂に、人々の背中を押した訳だ。

 現在、翌日に『結婚披露宴』を予定しているセデ村は、宴の準備でとても賑わっている。

 セデ村の人々とコクモノたちが、共同で準備に勤しんでいる姿を眺めていると、何処か微笑ましく感じるモノだ。


「……って訳で、明日の披露宴には間を取り持った俺達にも参加して欲しいんだって。シーナはどうする?」


 リエットが貸してくれた空き家の扉に背を預け、あぐらをかいて座り、中に入っているシーナに声を掛けるが……返事は一向に帰って来ない。

 正直、セデ村とコクモノのことよりも、こちらの方が遥かに深刻な状況だ。

 セデ村に飛んできて以降、シーナは、すっかり他人に対して怯えるようになってしまった。

 誰かを前にしただけでガタガタと震え、誰かに声を掛けられただけで竦み上がり……遂にはこの空き家に閉じ籠もってしまい、どれだけ声を掛けても、返事をするどころか、出て来る気配すら見せてくれない。


「聞いた話だと、披露宴の料理は相当豪勢になるらしいよ?どんな料理が出るのか、楽しみだね」


 そうやって話し続けている内に……もう十時間近くは経っただろうか。

 辺りはすっかり暗くなり、今まで披露宴準備に追われていた村人たちも次々と就寝の為に自宅へと帰っていく。

 気付けば、先程までの盛り上がりが嘘のように、セデ村はシンッと静まり返っていた。

 段々と、こうして声を掛けていること自体が、シーナにとっては迷惑なのではないか、と思い始めたところで……。


「ツムギ様、シーナさんはどうですか……?」


 毛布を抱えたキュロロが、心配そうな表情を浮かべて目の前に立っていた。

 事の深刻さを何となく察したリエットが、無闇に話し掛ける訳にはいかず、キュロロに毛布を預けてくれたらしい。

 ありがとう、と言ってそれを受け取ってから、先程まで披露宴準備を手伝っていた彼女に、それとなく尋ねてみる。


「今回は、色々な人に囲まれても大丈夫そうだったね?」

「は、はいっ。コクモノの皆さんは、私の、同胞みたいな人たちですから、ちょっとだけ緊張が紛れたのかもしれません。だけど……」

「だけど……?」

「あっ、えっと、い、いいえ、なんでもありません……!ただ、ちょっと、思うところがあって……それだけです」

「そっか。もしかすると、コクモノとして何か感じることがあったのかもね。だけど、過ごしやすいっていうのはイイ兆候じゃないかな?折角の機会だし、あの人たちと親睦を深めてみれば、何か分かるかも知れないよ?」

「……えっ、でも、そんな、勝手なことしちゃって……」

「勝手なことじゃないよ、キュロロはもう誰にも縛られていない。これから先どうやって生きていくのかを決めるのは、あなた次第なんだから」

「……どうやって、生きていくのか……私、次第……」


 キュロロは考えるように視線を落として、しばらくの間だけ沈黙が流れた。

 真剣に悩んでいる様子を見せる彼女の顔を見上げていると、あることに気付いて辺りを見渡す。


「そういえば、イオは?」

「あれっ、さっきまで準備を手伝っていたんですけれど……何処へ行っちゃったんでしょう……?」

「あー、いつも気付いたらどっか行っちゃう人だからなぁ。こっちはまだちゃんと謝れていないのに……キュロロも、そろそろ休みなよ?」

「ツムギ様は、どうするんですか?」

「俺は……もう少し、ここに居るよ」


 人間とは異なり、非人には睡眠の必要が無い。

 ただ、そろそろシーナも寝ているかも知れないし、いつまでもここに居たら邪魔者以外の何者でもないかも知れないが……それでも、今、彼女から離れたら、一生会えなくなるような気がして……。

 すると、俺の返答を聞いたキュロロが、少しだけ良いですか、と言って俺を呼び、声を殺すようにして語り始めた。


「あの、ツムギ様」

「うん?」

「……私は、これまで沢山の人たちを殺してきました。その中で、人々が抱える色々な感情に触れる機会があって……多少なりとも、人の心が読めるようになったんです」

「それって、もしかして……読心術ってこと!?キュロロ、スゴイね……」

「い、いえ、そんな大層なものでは……緊張していると、全然出来ませんし……それに、何よりも、私が感じることは抽象的な情景でしかありません……それでも、せめてツムギ様には話しておいた方がいいかもって思って……」

「……話してもらえる?」


 何やらキュロロらしからぬ神妙な面持ちに、思わず全身が硬直して固唾を呑むが……嫌な予感を振り払って、話を促す。

 すると、彼女も一度深呼吸をしてから、小さくもしっかりと頷いて、こう切り出した。


「……はい。実は私、一度、ユニスト協界でシーナさんの心を読もうとした時、奇妙なことに気付いたんです」

「奇妙な、こと……?」

「────隙間だらけ・・・・・なんです、シーナさんの心。感情、理性、意志……シーナさんの心は、人間として、本来持っている筈のモノが殆ど欠けています。あんな感情豊かに笑えるのが、逆に不自然な位に」

「……!」

「何故、そうなってしまっているのかは分かりません……だけど、恐らく、今回第三皇女と遭遇してしまったことで、それが浮き彫りになってしまったから……」

「もしかして、それを見られたくなくて、閉じ籠もっているってこと……?」

「えっと、そう、なんですけれど……それは、決して悲観的な意味という訳ではなくて……」


 キュロロは、うーん、と小さく視線を下げてから、慎重に言葉を選ぶようにして続ける。


「多分……シーナさんは、待っている・・・・・んだと思います。小さくても、弱々しくても、確かな希望を持って……この、目の前の閉ざされた扉の向こう側から、『何か』がやって来るのを……」

「『何か』……それが分かったら、苦労しないよね……」

「はぅ……そ、そうですよね……また、こんな根拠もない話をしてしまって、ごめんなさい……」


 シュンと耳を垂らしながら肩を落とすキュロロだったが……俺はといえば完全に手詰まり状態も同然だったので、彼女の新しい発想に図らずも元気付けられたような気がする。


「いやいや、むしろ、教えてくれてありがとう。俺も、俺なりに考えてみる」


 俺がそうお礼を言ってキュロロの頭を撫でると、彼女は少し困ったような、はにかんだ笑みを浮かべながら小さく頭を下げた。


「……はい。それでは、そろそろ私も……」

「うん、お休み」

「お休みなさい、ツムギ様」


 もう一度頭を下げてから去っていくキュロロの後ろ姿を見ながら、俺は再び空き家の扉に背を預けて腰を下ろす。

 待っている・・・・・……どうにも、引っ掛かる言葉だった。

 思い出されるのは、あの時……シーナに首飾りをプレゼントをした時に、彼女が口にした問い掛け。


 ────やっぱり私は、死ぬべきなのかしら?


 いつもと同じようで、いつもと何かが違う問い掛け。

 もし、彼女の意志を尊重するならば、と……そう考えた時、俺はこれまでと全く同じ様な返答を返していた。


 ────シーナがそう望むなら、俺は幾らでも手を貸すよ。




 ……。

 …………。

 ………………。




 あの疑惑を向けるような眼差し……。

 あの胸元を抉るような敵意……。

 覚えがある……いいや、忘れる訳がない……。

 痛みと、苦しみと、孤独と、絶望で染め上げられた、地獄にも等しい最悪の記憶は……今も尚、強く、根深く、私の心の中に刻み込まれている・・・・・・・・のだから……。


 ────この化け物がッ!!


 ────こんな子、私たちの子供じゃないッ!!


 ────さっさと消えろッ!!殺すぞッ!!


 ────お前のせいで……お前なんて死んでしまえッ!!


 ────死ねッ!!死ねッ!!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ!!


「……ッ!!」


 目を開けていても、目を瞑っても、耳を塞いでも、息を止めても……幻覚が見えてくる……幻聴が聞こえてくる……。

 今すぐに死ねと、全ての目線が、全ての声が、全ての意志が……私の心に、訴えてきているような気がするから……。

 人の眼が怖い……人の声が怖い……誰かの存在が怖い……何より、自分の存在が怖い……。

 だから、自分から扉を閉ざし、自分の正体を閉じ籠めたのだ……誰の目も届かない、自分の深い深い心の奥へ。

 嘘偽りで塗り固められた表面上の私だけを見せていれば、誰も私を見れない……批難も、迫害もされなくなる。

 そうやって形作られたのが、私。

 嘘偽りだけを見せて生きている、私。

 しかし、その嘘偽りも、第三皇女の手によって記憶と共に暴かれようとしていた。

 逃げ場はない……隠すことも出来ない……部屋の中に閉じ籠もっても安息を得られない状況下で、ただただ時間が過ぎ去るのを待っていると……。


「────シーナ、大丈夫?」


 声が、聞こえてきた。

 優しく、気遣うような、暖かい声が……。


「俺、ずっとここに居るから。不安になったら、いつでも声を掛けてくれていいからね」


 そして、気付けば私は、その声が一番よく聞こえる場所……入口の扉に背中を預けて腰を下ろし、膝を抱えてその声に耳を傾けていた。

 その声を聞いている間は、幻覚や幻聴が薄れていっている気がしたから。

 だけど、声は返せなかった。

 何度も、何度も、勇気を振り絞ろうとしたけれど……結局、駄目だった。

 今の私を……この、嘘偽りの無い私を見た時……『彼』という存在に幻滅されてしまうのが、きっと、何よりも怖かったから……。




 ………………。

 …………。

 ……。




 目蓋を開けて、視線を開けた時……ほんの少し前まで真っ暗だった光景が、地平線の彼方から立ち昇る日輪によって淡く照らされていた。

 いつもならば、日の出よりも前の時間からずっと起きていて、世界が照らされていく様をボンヤリと眺めているのだが……今回は、それを見ていた記憶すら無い。

 俺の身に、何が起こっていたのか……それは、この全身を取り巻く怠さや眠気が、全てを物語っていた。


「……んぁ?あれ、俺、まさか……寝てた・・・……?」


 非人に睡眠は必要ない……それにも関わらず、まるで身体は睡眠を求めているかのように、毛布にくるまって眠っていたのだ。

 いや、確かに珍しい事態とはいえども、今までも布団に潜って意図的に眠ることもあった訳だし、別段気にすることでもないのかも知れないが……。

 そんなことを考えながら、ゆっくりと視線を上げた時……突如、目の前で陽射しを遮断するように立ち塞がった人物に、こう呼び掛けられた。


「────呑気なモノだな、台樹の非人」


 そう、またもや、突然だった。

 その人物の口調と声色……それを耳にした瞬間、声を上げられない位に驚愕。

 弾かれるようにその人物の顔へ視線を向けると、どうしても受け止めきれない現実に直面し、心臓を鷲掴みにされたような鈍い痛みが胸に走る。

 そんな筈はない……有り得ない……そもそも、どうやって……いいや、どうして……?


「シーナは、その家の中か?」


 平時と変わらない覇気のある声圧で話してくるその人物に、俺は脂汗が滲む顔を手で覆い隠しながら、抱いて当然の疑問をぶつけるのだ。


「何で、ここに居るのかな────第三皇女……ッ!」

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