第45話 La Vie en rose

 ユウはエフレックへ共に潜入していた配下の者達へ、アンジェが神速の勢いで書いたガルナン国王宛の真実を書き添えた親書を持たせ、早急に帰国するよう指示を出した。

 次いでカリウス達は休む間もなくある場所へ向かう。

 天の声の主――世界管理者試験審判であるレッグスがいるであろう王都エフレック中央に位置する、ミルンを崇めるためだけに建造された神殿である。

 ミルンが打倒されたと未だ知らないエフレックの民衆だが、ただでさえ昨夜の出来事で街はまるで巨人が通過でもしたのかという有様。皆が混乱状態となり喧騒をまき散らす。王国騎士団は不確実な情報が錯綜する民衆への事態の説明と混沌を収めるべく、街中を走り回っていた。

 転換期を迎える国の民らを尻目に、カリウスらはミルン神殿へ辿り着く。

 そこは、残虐で姑息な黒い心を持つ彼女とは真逆の、花と緑に囲まれた美しい地であった。

 一行以外に人の姿はない。この地だけ時間が止まったように静かだった。

 エレナが悠然と聳え立つ純白の神殿を見据えた後、エレナが後方に続く現代の仲間達へ目配せする。

 神妙な顔の皆は首肯し、生唾を飲み込んだエレナは意を決して白い扉を開け、神殿内に入った。

 緊張感に覆われた一行も注意をはらいながら彼女に続く。

 全員無言。招かれし者達の靴音が、無人の神殿の中でやけに響いた。

 神殿内は神々の墓のように至るところへ試験の様子を描いた壁画や聖人でしか読み取れない文字が書かれている。

 それ以外は左右へ立ち並ぶ美しい列柱と壁までも一様にして純白だ。

 最奥。美化したミルンを表した金色の銅像が安置された祭壇の横から――


「お、来た来た。おいでなすったかい、勝者とお供ご一行がよ」


 白染めの衣を纏ったひげ面で痩身の男が、上機嫌に笑いながら出てきたのだ。

 カリウス達はレッグスのおぼしき男へ警戒の色を強くし、各々の得物を取りかけた。

 武器を向けられた本人は意ともせず、カリウスをまじまじと観察する。


「へぇ、こいつがあのカリウス君。ふーん」

「うぇッじろじろ見てんじゃねぇ」


 人を不快にさせるにやけ顔にカリウスがたじろぐ。

 そして――


「あなちゃ……あなたが世界管理者試験の審判、レッグスに違いないかしら」


 真剣な表情で言葉を噛んだエレナが、上擦った声で尋ねた。

 平静を装っているものの、彼女の胸はどくどくと緊張で高鳴っていた。


「いかにも、俺がそのレッグスだ」


 問われた男が答え、不敵に笑んだ。


「支給品の効果じゃないぞ、俺自身の力でお前らの心に語り掛けたんだ。なんせ俺は神の眷属だからな、こんなことも出来ちゃうんだ」

「なんてことを。そんなことするなんて、本物の神の眷属じゃないですかッ!?」

「だからそう言ってるだろ」


 扉を開ける時からカリウスの服の裾を掴んで隠れていたルイが、レッグス驚異の能力にいよいよ怯えて震える。レッグスは呆れ顔だった。


「成程ね。けどエリアル創世記の登場人物が目の前にいるって、まさかねぇ」


 ユウでさえも実在する天上の人を前にし、その圧倒的オーラに足をすくませていた。

 彼という存在に衝撃を受ける一行。エレナでさえ緊迫し、次の言葉がでない。

 だがもう一人、ある意味エレナ同様に当事者とも言える男が張り詰めた状況を破った。


「そ、そうだ。おいアンタ! アンタがミルンと手を組んでインチキしたんだよな! どういうつもりだよッ!」


 夢半ばで倒れたユートの生まれ変わり、カリウスが強く言いながら鋭く指差す。

 黒幕どころの問題ではない。事実であれば、審判が参加者に手を貸したということだ。それだけではなく、輪廻転生の件も彼の口からミルンへと伝えられたという。


「なんだって? 俺がインチキィ?」


 そのレッグス本人は意味が理解できないといった様子のようだ。

 首をほぐすように回し、だるそうにあくびをしている。

 勇ましいカリウスの言葉で緊張がほぐれたエレナが深呼吸した後、レッグスの正面に移動し、


「審判さん。あんたミルンに肩入れしたって疑惑が出ているの。奴が自分で言ってたわ。返答次第ではどうなるかわかってるわよね?」


 怒気を含んだ口調で敵意を露にするが、当のレッグスは、


「カリカリするなよエレナ。俺は一気に時代を飛び越えたお前らより酷いんだぞ。お前らが姿を消した後、上からは何の指示もなかった。見放されたと思ったよ。長い間、気が狂うまで待った。それでやっと現れたと思ったら、ケルンのショックで記憶を一部欠損していやがってよぉ。そこから試験を再開せずダラダラとエリアルの遺物で遊ぶ人間共と遊びを始めやがって。俺だって早く上に帰りたかったんだ。だがらたまたま近くにいたミルンの方に寄って全てを教えイカレエレナを早く倒せと促した、それだけだ」


 長々と恨み言を話すように語ったレッグス。

 逆にエレナを責め立てているようだった。ぞんざいな物言いに、エレナの細眉がいよいよ吊り上がる。

 カリウスも腹が立ち「こいつ……」と低く唸りながら睨みつけた。

 そのふざけた調子で前世を巡る話をもミルンへ面白半分に喋ったのだろう。


「何がわたしより酷かった、よ! 苦しかったのはあなただけじゃないのよ! カリウスと会ったのが刺激になって思い出したけど、それがなきゃどうなって……うッ!?」


 とうとうエレナが詰め寄るが、レッグスの様相が突如一遍。

 軽薄な表情が消え、神々しさを感じさせる凛々しい雰囲気へと変化したのだ。


「顔つきが変わったッ!?」


 カリウスも異質さを感じとり、怒りが吹き飛んでしまうまでに後ずさりした。


「別人みたいですぅ!?」


 そっとカリウスの脇から顔を覗かせてルイはまたも震えあがり、カリウスを盾にするように隠れた。


(威圧感が更に増した。やっぱりあいつは油断ならないッ)


 ユウは険しい顔に冷や汗を流し無言のまま、レッグスの様子を窺い続ける。

 台座から降りた彼は人間達の反応などなんのその、真意がはかれない視線をエレナに送る。


「支給品の不良だ、上の不手際だよ。俺にあたるのは筋違いってもんだ。それにだな、この時代に飛ばされたからこそ新しい仲間にも巡り合えた、そうだろ?」

「それは! そうだけどッ」


 エレナもレッグスが突如放ちだした覇気に困惑しつつも、その妙に説得力のある言い回しに思わず納得していた。


「仲間の死やトラブルを乗り越えたのは立派だが、こっからが本番だ。残った光勢力はお前一人だけなんだぞ。天上の神々の意思に従って、世界を管理する孤独な任務が待ってる。御仲間のいる地上にも戻れない。私情や過去なんて気にしてる暇はねぇ、お前、神になる覚悟は出来てるんだろうな?」

「ぐ……わかってる。出来てるわよ」

「そうか。ま、終わりよければ全てよしだ。その記念にお前と関わりの深かった地上の人間を、特別に神になる瞬間へ立ち会うのを許可してやるてんだ。見送りとしてな」


 レッグスは厳しい顔つきをすっと緩ませた後、手を上げておどけて見せた。

 エレナ、そして地上の人間達三人はその意図を遅れて理解し、揃って瞳をぱちくりさせる。

 戸惑うしかない。神の眷属という得体のしれない存在が、人間じみた気遣いを見せるという思いがけない展開である。

 いつの間にか張り詰めていた空気は消失。エレナが安心したように再度大きく息を吐く。


「ミルンに余計な情報をベラベラ喋ったのはともかく、皆との別れの機会を作ってくれたのだけは感謝するわ」

「最後だ、しっかりと焼き付けときな。これで経過時間史上最長の管理者試験、完了ってワケだ」


 首をぽきぽきと鳴らすレッグスが背を向けて指を鳴らした。

 すると次の瞬間、レッグス以外の全員が度肝を抜かれることになる。

 轟音と同時に、彼の真横から緑黄色に光る極太の柱が出現し、天上を一瞬で突き抜けて遥か天空へと伸びていったのだ。

 あっという間に起こった出来事に言葉までも失った四人は、考える暇さえなく更なる変化を目撃する。光の柱目掛けて、そこら中から数えきれないまでの同系色の光球が引き寄せられ、吸収されていく。目でやっと捉えらる速度だ。

 天変地異と言っても過言ではない神秘的な情景。あの特徴的な光は――


「びっくらこいたろ。俺が出したあの光の柱でエリアルの燈火を集めてんだ、ルアーズ大陸全土へ振りまいた女神エリアルの霊体をな。しかるところ役目を終えたのさ、お前らの使ってる支給品もな」


 レッグスがからからと笑う。

 間もなくなけなしの平静さを取り戻した四人は、燈火は女神エリアルの霊体の一部をルアーズ大陸全土へ振りまいたものという創世記の一節を思い出した。

 そして試しに各々の聖遺物を展開させようとするが聖痕も体現せず、燈火も現れない。

 それに――


「あい!?」 


 カリウスが首筋に火傷をしたような痛みを感じて顔をしかめた。

 彼だけの問題ではない。他の三人も、ほぼ同一のタイミングにその痛みが発生したのだ。そして、自分達の身体に起こった変化を瞬時に理解できた。

 聖遺物が使えなくなる。すなわち、聖痕も体現する理由がなくなるのだ。

 今まで頼っていた神の力がなくなるという展開である。


「んだよそりゃ。ストラトとも、お別れってわけかい。でも、世界は新しくなるんだ。そりゃ聖遺物もいらねぇよな」

「ですね。便利ですけど、争いの原因にもなったのは確かです。それでもカンナビ、素晴らしい相棒でした。コクーンのおかげで大切な人の命も救えれましたし、お疲れ様です」

「これからは聖遺物に頼らず、人の手だけで時代を作っていかなきゃならない。人間が進歩するきっかけになればいいけど」 


 カリウス、ルイ、ユウ。三人は事態をすんなりと受け入れることができた。

 所詮、ただの人間が使うにはすぎた代物なのだ。


「成程。最後に綺麗なものを見せて貰ったわ」


 エレナが美しくもあり儚くもある光の奔流に感嘆する。

 そしてゆっくりと振り返えり、名残惜しさを感じさせる悲しげな表情で仲間達に向き合い、一人一人の顔をまじまじと見つめる。

 言葉で言わずも察せる。別れの時間が来たのだ。


「来ちゃったか、この時が。お別れ、なんだねっ……」


 ユウがエレナを感慨深げに抱きしめた。

 様々な感情がこみ上げ目尻に涙を浮かばせる。弟子の前でも初めてみせた涙顔だ。

 エレナは現世で出来た初めての仲間を優しく抱きしめ返す。


「ありがとう、ユウ。出会いという奇跡を教えてくれてありがとう。あなたがいなければわたし、とっくの昔に死んでたかも。真実も知らず、誰かと一緒に笑うことも忘れたまま、ね」


 エレナがユウと辿った軌跡を思い返しながら、溢れんばかりの涙を零した。

 そしてルイも、訪れる別れへと涙化粧で顔を赤くしていたのだ。


「エレナさん、その、短い間でしたが……あなたと共に戦い、縛れたコドっ、ごうえいに思いまず。私、神様なんて嫌いでした。そんな都合のいい存在なんていやしない。でも、エレナさんなら信じられまずっ。安心して、これからも私達を見守っていてづださいっ」


 顔を両手で覆い、言葉にならない想いを伝える彼女にエレナが微笑み返し、


「縛られたのは生まれて初めてだったわ。ある意味いい経験になったかしら。城でも言ったけど、この世界を生かすも殺すもあなた達次第なんだから。頑張りなさいよ、ルイ」 


 大粒の涙をすくってあげた。 

 最後――エレナがその隣で高ぶる感情を堪えているカリウスに目線を合わせた。


「エレナさん。俺、あなたに言っておきたいことがあるんです」


 カリウスは見つめ返し、悲しみの動悸をなんとか抑えながら言う。


「何かしら、言ってごらんなさいな」

「俺、あなたに初めて会った時からその、エレナさんに一目惚れしていたんです。初めて会って、一瞬で、なんていうか……心を奪われたんですっ。俺、こんなの初めてで」


 突然の愛の告白。

 ルイもユウも泣いたままで面食らったようにカリウスの方を一瞥した。

 当のエレナは初々しい主張を、慈愛のこもった眼差しを向け真剣に聞いている。 

 続きを待っていた。カリウスが紡ごうとしている言葉の続きを。


「心のどこかではとっくにわかっていたんです。決着がついた時点でエレナさんとはお別れ。でも言えなくて……だって早すぎるッ! 短すぎる! 知りたい、もっとあなたを知りたかったんだ。なのに、なのにッ。早すぎるよ」 


 どうしようもならない想いがついに決壊し、涙がとめどなく流れ出した。

 運命には抗えず、離れ離れになってしまうのだ。

 エレナはユウとルイの髪を愛おしく撫でた後にそっと離れ、嗚咽しながら下を向くカリウスへ歩み寄った。


「泣かないの、男の子でしょう。カリウス、顔をわたしに見せなさい」


 辛かったが、言われるままに顔を上げる。

 すると――驚く間もなかった。エレナの顔が目の前にあったのだから。


「ぐ、うぐっ――ッ!?」


 想定外の行動。

 ルイとユウが顔を赤くし、レッグスが口笛を鳴らした。

 淫靡さのない純粋な触れ合い。顔を上げたカリウスと深く唇を重ねたのだ。

 心地よい愛の感触を噛みしめながら頬を桃色に染める少年は、このまま時が止まればいいのにと思う。

 長い口づけが終わる。エレナが柔らかな表情を作り、


「カリウスの気持ち、確かに受け取ったわ。ありのままで前に進みなさい。数年後は今よりもっといい男になってるでしょう。忘れないで、姿形はこの世界から離れてしまっても想いは生き続ける、ずっと見守っているから。もしも、女の泣かせるような酷い男になってたら、いの一番に雷を落としてやるんだからね」


 鼻っ柱をぴんとつっつき、彼女なりに叱咤激励を伝える。

 カリウスは大きく頷き、


「約束するよ。もっといい男になってやる。少しのことじゃあ物怖じしない屈強な男に、皆を守れる男に、エレナさんが心配しないような強い男になってやる!」


 鼻をすすりながらも、力強く宣言する。

 聞き終えたエレナは返事代わりに片目を瞑り、仲間達から名残り惜しげに身を引かせる。


「レッグス、ちょっと」


 そして次にはレッグスへと近づき、耳打ちをし始めたのだ。

 囁いている内容は三人には聞き取れない。何を話しているのだろうか。

 話がまとまったか、エレナがもう思い残すことはないと澄み切った顔で離れた。

 確認した審判がまたも指を鳴らした途端、その姿はもう透けていた。


「エレナさんッ」

「エレナッ」 

「エレナひゃんッ」


 カリウスが、ユウが、ルイが。三人が感極まってどっと駆け寄った。

 別れの時が迫る。みるみる内に消えていくエレナは仲間達の顔をもう一度見渡す。


「あ、そうだわ。これを……わたしがこの世界で一番気にいった花の飾りよ。時々でもいいから、これを見て思い出して頂戴ね」


 そして蒼い薔薇をあしらった髪飾りを取って、カリウスの片手へと収めた。


「う、ぐ。うぅうぅ」


 彼女が生きた証へ、頬をつたう一滴の雫が落ちた。

 もう触れることはできないしなやかな指先も、徐々に離れていく。


「カリウス、ユウ、ルイ。新しい時代を、平和な時代が作られると期待しているから。さようなら、私の大切な仲間達」


 最後の言葉を伝えた直後、エリアルの燈火を回収し終えた光の柱も夢幻泡影の如く消失。

 無論エレナもいなくなってしまった。

 黒いローブに身を包んだ彼女は、最後まで刹那的かつ妖艶で美しかった。

 女神エリアルの後継者試験がここに完結。

 新時代を託された人間達が神の名を叫ぶ声が神殿中に響き渡る時、仕事を終えたレッグスは幾時も審判を務めた疲れがどっと沸いてきたのか、その場にしゃがみ込んだ。


「やっと終わったぜ。昇進昇級間違いなしだろ……いやその前に、俺のことは忘れられてるか」


 言い終える頃には、彼の姿も消えていた。

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