第24話 朝からクライマックス

「あぐ……ハッ」


 ばっと目を見開き、上半身をいきなり起こしたカリウス。

 深呼吸を繰り返した後、瞼を数回擦り状況を確認する。

 安物の薄い毛布、きな臭く埃がたかった小さな部屋。朝日が差し込む窓の外から、露店を構える商人の活気溢れる掛け声や往来を行き交う人々の話し声に、馬のいななきが聞こえてくる。

 ここはガルナン王国の王都エフレック。ルアーズ大陸でも有数の規模を誇る大都市だ。

 カリウス達は聖人狩りから逃げた後、一日かけてここまでやってきた。

 現在、貧乏人にはありがたい安上がりで済む大衆向けの宿屋にいる。下着一丁でベッドの上でシーツや毛布を蹴飛ばしてしまっていた。

 彼が夢の後でよくやってしまう、見事なまでの寝相の悪さである。

 嫌な汗も体中に張り付いていたが、構わずに腕を組んで先ほどの夢について考察する。


(夢の中の謎の女がエレナ? どういうことだ、昨日初めて会った人が……うぐぐ、わからん)


 頭を掻き毟るが、理解できないものはできない。

 幼き頃から見続けていた過激な悪夢に現れた新たな変化。夢の中で出てきた味方女性の正体がエレナだと判明したのだ。長年例の夢を見続けて初めての出来事であった。


「くそ、んだよこりゃ。エレナに会ってから、俺はおかしくなっちまったのか……だぁぁぁッ! もう、意味わかんねぇッ」


 神々の墓での一件といい夢での登場といいエレナと会ってからの短い間で、なんらかの変化が生じたのは確かなのだ。

 処理が追いつかず、今度は壁に頭を打ち付けるが――


「きぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

「うぁったぁ! 何だよオイ!?」


 声の主が判別できない程の絶叫へ、反射的に耳を抑えることとなった。

 人間の声とは思えない甲高い叫びが、薄い壁の向こう側から通り抜けてきた。

 隣はルイとエレナが泊っている部屋だ。周囲の部屋からは遅れて「うるさい静かにしろ!」等と怒号が飛んできた。

 カリウスはベッドを飛び降り、床が抜ける勢いで隣の部屋へ向かう。


「まさかまたエレナが!? いや聖遺物はオレの部屋に置いてるし、ルイには例の技を頼んで――」


 言い終える前にカリウスは、赤茶けたぼろい扉を壊れるくらい強く開けた。 

 そこで目にした光景は――


「な、なんじゃこりゃあ!?」


 朝に見るには強烈すぎる光景に、カリウスは思わず腰を抜かしてしまった。


「うぅんッ、何でわたしが縛られてんのよッ。意味わかんないしッ抜けないじゃないの!」


 エレナは起きている。

 ベッドの上で足をばたつかせて座っていた――首から股間にかけて細い縄で縛られた状態で。身体に這う縄のいくつかが六角形になっており、両手も後ろに回されて縛られている。

 薄出の黒いローブからは豊満な胸の形が縄のせいでクッキリと浮かびあがってしまっていた。下腹部の方は、股間に縦へ潜らせた縄が食い込み、しきりにエレナを責めたてている。

 暴れると同時にエレナの頬も色んな意味を含んだ朱色に染まっていく。女性的な部分を美しく強調した、官能的かつ見事な緊縛術であった。

 壮絶な光景に唖然とするカリウスへ、エレナが射るような視線を送るが――


「ちょっとあなた! のんきに座ってないで早くこの縄を……ユート? あなた、ユートなの!? 嘘でしょ、そんなハズが」


 予想だにしない展開に。

 どうやら、カリウスを誰かと勘違いしている。

 その表情は思いがけぬものを発見し驚いてもいるが、深い影を落とした悲しい感情も混じっている。

 カリウスは状況を理解できないままに目を丸くしながらも、


「は? お、俺はカリウスっていうんです!? ユートって、誰ですか」


 否定。

 そのような名前の人物は知らないし、間違えられた記憶もないからだ。


「え、別人なの……!?」


 信じられないのか、紫色の瞳を疑い深く大きくしてカリウスの顔をまじまじと観察するエレナだが、やはり人違いだと気がついたのか「あっ」と震える唇を小さく動かした。


「いや、ゴメンなさい。ただね、昔の知り合いによく似てたから」


 縛られたままで、もじもじと謝罪する。

 カリウスは目のやりどころに困りながら俯く。


「そ、そうなんですか。知り合いか誰かわかりませんが、人違いだと……」

「いえ、わたしが悪かったわ。ゴメンなさい、気にしないで頂戴。本当に、何でもなかったから」


 エレナが恥ずかしそうに声を小さくさせて、会話は終了した。

 悲しげな様子は潜まったようだ。けれど双方無言のまま、気まずい雰囲気が漂う。

 しかし間もなくその空気を作り出した本人が、思い出したように困惑と怒りが入り混じった表情を取り戻し、当初の会話が再開させたのだ。


「そ、そうだッ、この縄を解いて! もう、起きたらこんなことになってて……まったくどういうつもりなのよッ!?」


 強引な流れで命令。

 両足をおっぴろげているので、ローブ両横のスリットから、しなやかな太ももを覗かせてしまっていた。

 カリウスは遅れてハッと同調し、動き出そうとするがエレナの扇情的な格好にどうしても目がいってしまい、顔を赤くしておろおろと立ち尽くしてしまう。


「何じろじろ見てんの! さっきの話はもういいから縄をほどけって言ってるの。大事なところを潰されたくなかったら、さっさと行動に移しなさい!」


 思春期真っただ中のカリウスにエレナが怒鳴った。物騒な物言いである。


「は、はぃぃぃ」


 カリウスはすぐさまベッドに跳び、エレナを不自由にしている縄を必死に解こうとする。

 しかし一向に解けないので、自分の荷物入れからナイフを取ってきて縄を切るはめに。


「よしッ。これで大丈夫です」

「はーありがと。あぁん、朝からめっちゃ疲れたじゃない……」


 やっとのことで開放されたエレナは安堵し、大きく息を吐いてベッドに倒れ込む。朝から精神的な疲労に侵されたようである。

 カリウスの方も同じだ。理解不能な性癖を他人へ強要させる馬鹿者は彼が思うに、一人しかいない。隣のベットを見て、長嘆息を吐いた。


「ルイ、エレナさんを縛ったのはお前か。俺がやってくれって言ったのと全然違うじゃねぇか」


 カリウスは諦めの混じった声を投げかけながら、隣のベッドで行儀よく安眠するルイのおでこに軽くデコピンをした。

「あいたッ」という可愛い悲鳴もお構いなしに、彼女を覆った毛布を容赦なく剥ぎ取る。

 先程の騒がしいやりとりを近くで聞いていようが、ずっと目を覚まさなかったのだ。


「はにゃ……う~ん、おはようございますカリウス。どうしたんですかぁ?」


 下着姿のルイが、おでこを抑えながら欠伸を漏らした。

 朝からどうしたの? といった様子でカリウスを一瞥する。

 身体の発育は他の同年代女性と比べるといささか寂しい。一応は年頃女子の無防備な姿ではあったが、カリウスは彼女を妹のように思っているので、縛られたエレナを見た時のように色情めいた気持ちは沸いてこなかった。

 それよりも、今は呆れるしかない。


「どうしたんですか、じゃない! 俺はコクーンを応用させて軽く眠らせてくれって言ったんだ。何故に縄を……しかもどんな縛り方してんだよ。その変態癖はなんとかならねぇのか」

「えぇ――あ! す、すみません。昨日も疲れが沸いてきて、コクーンを使用する前に寝てしまったんです。それで朝方に起きて、今思えば寝ぼけていたんでしょう。縛りがいのあるいい身体をしたエレナさんが寝てて我慢できなくなって、やっちゃました。で、力尽きてまた眠りについたと」


 少しは恥ずかしいと思っているのか、身じろぎしながら丁寧に経緯を語るルイへ、


「冷静に説明すんな!」


 カリウスが地団駄を踏みながら喚いた。今にも床が抜けそうである。

 彼がルイに要求したのは、コクーンの回復睡眠術式を応用させてエレナに幾ばくの間、眠ってもらおうと考えたのだ。


「こんな変態が相手を意のままに眠らせるって、睡眠時間を自在に操作できる術式の応用までできちまったんだよな。ユウさんも故郷に帰ってきてからコクーンで色々試してもそこまでは出来なかったのによ。どんだけだよ」


 ルイのコクーンは以前ユウが使用していたのだが、一年後の「計画」に向けてルイへ継承という行為を行い、以降彼女のものとなった。

 継承とは聖遺物の使用権を自分以外の者に移す行為である。

 聖人となった者は不思議と最初から方法の知識を把握している。対象の首筋に触れて行うのだが、高度かつ繊細なイメージを要する技術。また、心から相手を信頼していないとできない行為である。

 彼女が自分よりもセンスがある者にコクーンを任せようと、ルイへ継承した結果――ドンピシャだった。自身とは比べものにならない程の天才的才能を発揮したのだ。


「これが本物ってやつですよ、カリウス。あと、私の趣味をとやかく言われる筋合いはありません。本能へ忠実に従っているのだと訂正して下さい」


 どこで覚えたのか、清楚な外見とは裏腹に相手を縛ることへ快楽を感じるという常軌を逸した性癖に目覚めてしまったのだ。

 カリウスはその経緯にも興味はなく、何一つ理解できなかった。


「はいはいはい! そこで止めて頂戴。頭が痛くなってきたじゃないのよ」


 若者らの間へ立ったエレナが手を叩いて会話を止めさせた。

 カリウスとルイは身体をびくつかせながら、形のよい唇を尖らせているエレナへ向き合った。

 明らかに機嫌が悪そうだ。ほぼ同時のタイミングで全身に冷や汗をかき始めた。

 エレナはそんな小心者二名に、


「ワケが分からなすぎて流されてたけど、あんた達に聞きたいことが山ほどあるの。まずユウは、あの子は無事? わたしがこうして傷も治って目覚めたということは、睡眠回復術式施行と解除に成功したということだけど、肝心のあの子がいないじゃない。それにあれから情勢はどうなった? ハルバーンに厚化粧の性悪女ミルンは? というか、あんた達は何者?」


 口を噛むことなく次から次へと質問の雨を浴びせた。

 重い沈黙。

 阿呆臭いやりとりから始まってしまったが相手はルアーズ大陸最強の聖人、不老のエレナ――空から降りてきた世界管理者試験参加者、光の勢力の一人だというのだ。

 その事実を再確認した二人は極限の緊張で顔を青くして、言葉を発せれないでいた。

 しかしこのままではらちが明かないと思ったか、カリウスが慌てふためきながらも重い空気を切り裂こうとする。


「も、勿論。一から全てを話しますとも、えぇそうさせて下さい」

「エレナさん。その、不躾な行為をしてしまい、大変申し訳ありません。何分、世間知らずなもので」


 ルイも遅れてぺこりと頭を下げた。

 本人にしてみれば、寝ぼけていたとはいえスキンシップの一貫である。

 エレナは幾分か気持ちが収まったのか「よし、話してみなさい」と言って、ベッドに座り足を組んだ。

 カリウスはルイと顔を見合わせて頷き合う。

 彼女を復活させるために歩んできたここまでの経緯を説明するのだと。

 自分達が何のために、旅をしてきたのかを。

 そして――


(俺を昔の知り合いと間違えたって……墓での一件もあったし、もしやどこかで会って――いやいやおかしいだろ。人違いだったって言ってたし相手はただの人間じゃねぇんだぞ。でも、この感情は)


 考えれば考える程、困惑に頭の中が染まるカリウス。

 エレナに芽生えた謎の感情や夢の出来事が初対面時の出来事と関係しているのかと考えるも、やはり心当たりはない。彼女の様子からしても初対面なのは明らかだし、相手は天上界から来た世界管理者候補生――いわば神々の卵と言っても過言ではない存在なのだ。

 しかし彼女に対しての記憶や経験にもない感情を、いきなり自分の中に植え付けられたのは紛れもない事実。自分とエレナとの間に何か大きな運命があるのではと、微かな予感を感じていた。

 カリウスは真剣な面持ちで、エレナの紫の双眸を見つめる。


「エレナさん。長くなりますが聞いて下さい。俺達はエレナさんの親友であったユウさんの――」

「あ、待ちなさい」


 遮られた。

 エレナは呆れた顔つきで若者らの恰好をチラチラと見る。


「言い忘れていたわ。あんた達まず、服を着てきなさい、服を。今から真剣に話そうって恰好じゃないでしょ」


 今更だった。

 カリウスは言葉の意味をすぐさま把握して股間を隠す。

 急いで部屋に向かったため、身に着けているのはパンツのみであったのだ。


「あっ、そうでした」と、なんら恥ずかしがりもせずに普段着へ着替え始めるルイを尻目に、カリウスは顔を朱色にして俯きながら部屋に戻った。

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