第7話 ストーキングDAY 後編

「避けたァァァッ!?」


 ユウにとっては想定外の展開。

 ひっくり返った声で喚きながら転び、空を飛ぶような感覚に苛まれた。

 事実、彼女は一瞬だけ宙に浮いた。


「あ」


 間の抜けた声しか出せない。

 ユウはすぐに理解できた。自分が崖から飛び降りたのだと――


「くッ!」


 刹那、瞳を閉じたユウが死を覚悟し生れ落ちてからの記憶を巡らせるより早く、エレナが右手を上げて腕輪型聖遺物の効力を発動させる。


 「うわぁぁぁぁぁぁぁッ」


 聖人少女が落ちるその先へ、鳴動する壁面から突如として巨大な手の形をした岩石の造形物が、大きな破裂音と同時に飛び出して伸びた。


「なんだこりゃ――あぐッ!」


 出現した手形の崖先に背中から落ちたユウが、痛みのあまりのけ反った。

 間一髪――エレナの対応が後少しでも遅かったら、ユウはそのまま谷底に落ちていき絶命するところだった。


「痛たた。あれ、えッ嘘、助かったの?」


 腰から背にかけて激しく痛むが、それは生きている証拠だった。

 ユウは目を白黒とさせて辺りを見渡し、再度驚き慄いた。


「あれッ! 崖が落ちた先にまたあったのか……あたしって運がいい」


 作られた岩肌とは気づかず呆然と呟きながら、痛みと生きている感動が入り混じった涙を流したユウ。体を少しづつ動かしながら、骨を折るまでの重傷でなかったと認識した彼女は、自身が落ちてきた方を見見上げた。


「そうだった、エレナはどこに――」


 一段目の崖先にはいないようだ。

 平静を取り戻したユウは思い返した。

 落ちる瞬間、瞳に映った愕きの表情。彼女はユウに不意打ちを仕掛けられたと感じたかもしれない。


(どうしよう。とにかく怒らせないように、上手く誤解を解かないとな)


 冷や汗をかく赤髪少女。

 そして痛みが引くまで待った後、岩肌を器用に登り切った。

 意を決して顔をあげる。その先には――


「運がいいとかじゃなくて、わたしが作った崖だからッ」


 腕を組んで立ち、墳怒の形相を浮かべた黒髪美女がいたのだ。


「ひえええぇ!? 聞こえてたのッ」


 不老の女傭兵の聞き耳の精度に驚きつつ敵意に満ちた視線に刺されて身をすくめるユウへ、怒るエレナが更に捲し立てる。


「あなた、昨日村にいた人間よね。こんな険しい崖で不意打ちとはいい度胸してるわ!」

「そのようなことはッ――って、聖遺物で作った!?」


 第一声の内容に今更反応した聖人少女。エレナに慄きながらも、驚嘆の声をあげる。

 自身が登ってきた崖下を確認し、強張っていた小さな顔が微かにほころんだ。


「手の形だ。慌ててたから落ちたところをよく見なかったけど……昨日使った大地を操る力であたしを助けてくれたんだねッ」


 感謝に満ちた表情を浮かべたユウだが――


「勘違いしないで」


 一蹴。


「あのまま落ちていくのを見ていてもよかったけど、昨日結果的に助けてやったあなたが、どんな理由があってここまでついてきて襲ってきたのか興味深いから、ぜひとも理由を教えてほしかっただけよ!」

「ひぃぃぃッ。やっぱり怒ってる!?」


 エレナの剣幕に圧倒され、叱られる子供の用に萎縮するユウだが、


「あなた達の言葉で、こういうのは恩を仇で返すというんでしょ! 本当に卑劣――」


 そこまで聞いた瞬間――弱気な姿勢から一転し、飛び上がって否定する。


「ち、違うよッ! 君がそこから飛び降りようとしてたから止めたんだ!」


 真剣な表情で嘘偽りのない言葉を伝える彼女へ、エレナは一瞬たじろいだものの、


「飛び降りるって、わたしが!?」


 想定外の答えを投げられて困惑の表情を浮かべる。

 ユウはわかってほしくて、更に必死の説明を続けた。


「そうだよ。つけてきたことについては謝るッ。けど崖についた時あなたは俯き下を向いていた。だからッ、命を絶とうとしてると思って、気がついたら駆け出して――」

「あなたは勘違いをしてるわ」

「――は!?」


 あっさりと否定されたユウは、頭の中が真っ白になった。

 半ば呆れ顔のエレナが、崖の向こう側の絶景を指差して続ける。


「わたしはただ、この世界の景色を見ていただけよ」

「世界の景色って……ならあたしは勝手に早とちりをして、勝手に死にそうになってまた結果的に助けられちゃったってこと!?」

「まぁ、そういうことになるわね」


 エレナの言葉を意味を遅れて理解したユウは、己の思い込みの激しさが生んだ勘違いに呆然とするしかない。

 無言のまま頷くエレナを見て、そのまま力なく膝を落とした。

 彼女は、エレナへ迷惑しか掛けていない現実を認めたくなくて頭を抱えたまま、「ごめんなさい、でも違うんです」と誰に言っているのかわからない謝罪の言葉を、うわ言のように呟き出したのだった。

 そんな赤髪少女のおかしな逃避行動に、不老の女傭兵の険しい顔つきが次第に緩み、


「くくく、ふふふ」


 やがて破顔に変わったのだった。


(――って、えぇ! エレナが、笑ってる!?」


 何事かと顔をあげたユウは、その自然体の笑顔を見て驚きを隠せない。

 村で漆黒の騎士達を倒した際に見せた冷酷な顔つきと、今しがたユウに激しい剣幕で怒鳴った様子からして負の感情しか持ち合わせていない人なのだと思っていたが、今の彼女は真逆だ。


(こんな顔が出来る人だったんだ)


 魅力的な微笑みを浮かべて、心から楽しそうに笑っている。


「あなた、結構面白いわね」


 腹部を押さえるまで笑い過ぎて涙目になっているエレナが、彼女なりの賞賛の言葉を伝えたものの、


「そんなに笑わなくたって。勘違いだったけど、あたしは真剣にあなたを助けようとしてたんだからッ」


 馬鹿にされてるように感じ、不満げに頬を膨らませた。

 可愛らしく怒る聖人少女をエレナが、


「わたしを助けようとしてくれたんでしょ、フフ。ねぇ――」


 やわらかにたしなめつつ、


「あなた、名前はなんというの」


 名を聞いた。

 二人の周りを一陣の風が舞い上がる。

 予想外の態度にまたも驚くユウだが一呼吸置おいた後、素直に名を教えた。


「あたしは、ユウ・アンセムだ」

「ユウ、ね。わたしのことは――説明するまでもないわね」


 ユウは静かに頷いた。


「あなたの話はどこまでが本当かわからないけど、小さい頃から色々と聞いてる」


 そう言われたエレナは自身の右腕を軽く上げると、腕輪型聖遺物を至近距離でユウへ見せる。


「目の前でこの力は見たでしょうしね。それでもつけてくるなんて、わたしが恐くないの?」


 不思議そうにユウを見据えるエレナ。

 率直な疑問。しかしユウは本当の意味で不老の女傭兵を恐れていなかった。


「今は怖くはない、かな。むしろあなたは、本当は優しい人なんじゃないかって思ってる」


 昨日今日とエレナとの出来事を思い返しながら、ユウが答えた。

 戦いを終えて炎に巻かれた村を無視することも出来たのに、彼女は雨を降らせて火を消した。

 そして崖から落ちたユウを全力で救ったのだ。


「このわたしが優しい、ですって」


 嘘偽りない言葉を受けて、エレナは紫水晶の瞳を大きく見開いた。

 雷に打たれたかのような衝撃が彼女の身体中を巡る。


「うん」


 ユウが首肯して笑顔を作った。

 面食らう不老の女傭兵は何故だかわからないが、色白の顔がばっと赤くなりしどろもどろになる。


「け、けどねぇ、昨日はともかくさっきは本当に助けたつもりはなかったの。救ってやった者に襲われたと思ってその理由を聞いてみたかった、それだけなのよっ」


 先程までの激昂に満ちた様相から一転し、羞恥心を隠せずばたばたする年頃の女性のようなエレナへ、ユウは実直な想いを更に伝える。


「それでも、だよ。あたしは本心で言ってるんだ」

「はぁ、これ以上言っても無駄ね。人間に優しいなんて言われたのは初めてよ」


 諦めの息を吐いたエレナが恥ずかしそうに俯きながら、もごもごと言った後半の言葉が聞こえず、ユウはきょとんとした顔になった。


「え、今なんて言ったの」


 聞き返すが、


「何でもないッ。というかあなた……限界っぽいけど、大丈夫?」


 またも一蹴され、今度は心配そうな顔をされる。

 その意味がわからず、疑問の声を出す。


「わたしがどうか――あぐッ」


 急な立ちくらみがユウを襲った。全身の力が抜けていくような感覚に苛まれる。


(あ、あれこんなところで疲れが)


 無理もなかった。昨日から現在に至るまで命を懸けた戦いや後味の悪すぎる別れにエレナ追跡と自身を精神的肉体的にも酷使する出来事が相次ぎ、ユウの生命動力が切れたのだ。

 聖人少女は突き抜けるような青空を見たのを最後にバランスを崩して倒れるが、


「やっぱり大丈夫じゃないわね、おやすみなさい」


 エレナの豊満な胸元が受け止めた。

 包み込むような柔らかく大きな膨らみに顔をうずめたユウは心から安堵した気持ちになり、そのまま意識をここではない彼方へ飛ばした。

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