せっかちな彼女の幸福な人生
不朽林檎
第1話
どうでもいいけど、抜き打ちテストは嫌いだ。あれは、歩いているところにいきなり足を引っ掛けるようなことだと思う。とてもとても悪趣味で、人を試しているみたいで。
だから彼女の奇妙な言葉を独り言だと判断して、僕は無視した。
「聞いてる?」
「もしかして僕に言ったの?」
「そうだよ、もう」
彼女は律儀に怒った顔を見せてから、もう一度、
「人生の価値って、どこにあるんだと思う?」
情緒不安定なのはいつものことだけど、それにしても唐突だ。暑さにやられたのではないかと疑ってしまう。
「…さあ、わかんないよ」
炎天下での作業でいつも以上にテンションの低い僕は、視線を足もとに落としながら、テキトーな返事をした。
もちろん、彼女は納得しない。
「えー、ちゃんと考えてる?」
「考えて解るものなの?」
「解るかもしれないじゃん」
まったく賛同できない。哲学の先生にでも訊いた方がいい。
「てか、どうして突然」
さも当然に僕が訊くと、彼女はトングの長いやつをカチカチいわせて得意げに「んふふっ」っと笑った。
「欲しいの。人生の価値」
「なにそれ」
「宿題みたいに決まってたらいいと思わない?これができたら死んでいいです、みたいな」
「もし達成したら、君は死ぬの?」
「んー、それはやってみなきゃ判んない。でも、そういうのがあったらさ、私も安心して死ねるかなって」
なんでもないことのように言いながら、彼女は捨てられたペットボトルをつまみ上げて、ゴミ袋に放り込んだ。
安心して死ねるなんて状態が、人間にあっていいものなのか。知らないけど、僕にはあんまり想像できないことだった。だから頷きもせずに、タバコの吸殻を拾い上げる。
僕が無視したと思ったのか、それとも最初から答なんて求めていなかったのか、彼女は雑草をかき分けて次の獲物を探している。
「あーあ、どっかに落ちてないかなあ。人生の価値」
「もし見つけたら、どこに届ければいいんだろうね」
「教会とかじゃない?そうだ、アマゾンで売ってないかな?」
「あったら教えてよ、高く転売できそうだから」
言いながら、自分で自分をバカだと思った。そろそろ日陰で休んだ方がいいかもしれない。
彼女に倣って草をかき分けると、緑色のオオカマキリと目があった。カマキリは不思議そうに僕を見上げて、首を傾げる。
「もしかしたら、さ」僕は柄にもなく、思いついたままに口を開いた。「それを考えるのが、人生の宿題なのかもしれないよ」
「どしたの、突然」
「どの口で言ってるの。だから、ほら、これができたら死んでもいいって、そういう何かを見つけるのが、そもそも宿題なのかもしれない」
ゴミだか人生の価値だか知らないけど、彼女は探す手を止めて、僕のほうを向いた。なんだか嬉しそうに笑っているけど、その意味は判らない。
「なぁるほどねぇ。こりゃ一本取られた」
「バカにしてる?」
「してないよ。や、凪くんって面白いこと言うよね。見かけによらず」
まったくもって一言余計だ。僕は無表情のまま、ゴミ拾いを再開する。
彼女はしばらく黙っていたが、不意に喋りだした。
「これは、棺桶リストを見直さなきゃだね」
「何か思いついたの?」
「や、これまで考えてたことに、私の宿題が隠されてるかもしれないじゃない」
「めずらしくまともなことを言うね。そろそろ休む?」
「そだね、そうしよう」
草陰に落ちていた空き缶を拾い上げて、ゴミ袋に入れる。それから僕は、彼女の顔を見た。彼女も額に汗を浮かべているけど、僕と違って活き活きと大きな瞳を輝かせている。
たぶん、僕とは違うものが映っているのだろう。
腕時計を確認する。
「あと三十分だっけ?」
「そだよ。終わったらジュースくれるみたい。楽しみだね」
「割に合わないと思うのは僕だけ?」
「たぶんね」
それまで微笑んでいた彼女だったが、わざわざ真顔に戻って頷いた。何か言い返してやろうかと思ったけれど、彼女は自分の意思によってここへ来たわけであって、だから割に合わないだなんて思わないのだろう。
やれやれ、言葉を飲み込んで歩き出した僕に、彼女が並んだ。
「ところで、凪くんはなんか面白いもん見つけた?」
「これと言って。タバコの吸殻が多いかな」
半分ほど満たされたゴミ袋をプラプラと揺すってみせる。
「おー、凪くんってつまんないくらい真面目だよねぇ」
「いちいち一言余計だね、君は」
「ねえ、この後どうしよっか?」
「家に帰ってシャワーを浴びて、快適な昼寝を楽しむよ」
「寝るのは夜でもできるじゃん!もっと時間を大事にしなよ」
「君と違って持ち合わせが多いからね。多少は無駄遣いしてもいいんだ」
「だったら私に分けてよ」
「やだよ、君は僕の一生分の時間でも満足しそうにないから」
なにが意外だったのか、彼女は目をぱちくりさせて僕を見上げた。それから、一瞬泣きそうに顔を歪めたかと思うと、また俯いて、次にこっちを見た時には笑っていた。
「分けてくれるんだ」
「話聞いてた?」
「えー、じゃあ満足だって言ったら?」
「考えてあげてもいいよ」
「ほんとに?」
「たぶんね」
「なんだよそれぇ」
気怠そうに不服そうに、僕に彼女は肩をぶつける。距離感が近いのは今に始まったことではないので特に気にしない。
どうでもいい会話をしているうちに、橋の下にたどり着いた。空気は相変わらず不快なままだけれども、
「やぁー、やっぱ涼しいな」
ゴミ袋を足もとに投げ置いて、彼女は伸びをした。僕も袋とトングもどきを置いて、比較的汚れてなさそうなコンクリートの上に腰を下ろす。
淀んだ緑色の水面をぼんやり眺めて、細長く息を吐いた。
ややあって、隣に彼女が腰掛ける。
「で、この後どうする?」
鮮やかな笑顔が、今日も逃してくれないであろうことを確信させる。
思わず目を逸らした。
「あー、えっと…」
露骨に二の足を踏む。これは本当に、自分でもよく解らないのだけれど。こういう時、なぜだか素直に頷くことができない。
「他の友達とは遊ばないの?」
彼女は三度、瞬きをしてから、かるく唇を尖らせて不満を表現した。そうして、僕の躊躇いにとどめを刺してくれる。
「今日は凪くんと遊びたいの。凪くんは、遊びたくないの?」
「や、別に」かぶりを振った。遊びたいわけじゃないけれど、拒否するほど嫌でもない。「そうじゃないけど」
「だったら是非もないね。いったん帰って、それから、ご飯いこ」
僕が答える前に、彼女は続ける。
「駅前に十二時集合ね」
「帰ってすぐじゃん」
「時は金なりって言うでしょ」
「だから、君は」
「はいはい、分かったらちゃんとオシャレしてくるんだよ?デートだからね」
脳味噌と顔面の筋肉が非常にスムーズかつシンプルにつながっているらしい彼女は、笑いながら言った。最初から逆らうつもりなんてなかったくせに、僕は観念した振りで項垂れる。
僕の様子を見て、彼女はいっそう楽しげに声を弾ませた。
「ラッキーだよね、凪くんは」
「どうして?」
「憧れの転校生が勝手に迫ってくるんだよ?男冥利に尽きるんじゃない?」
「君みたいなのが逆恨みで人を刺すんだろうね」
「ええ?なんで私が」
まったく理解できないと言わんばかりに顔を覗き込んでくる。なんだか腹立たしいので、「さあね」とはぐらかし、足もとに生えていた
ちょっとムッとしながらも、彼女は僕に構わず、ジャージのポケットに手を突っ込んで紙切れとボールペンを取り出した。そのまま、両膝を机代わりに紙切れに線を引く。いちいち覗き込まなくたって何をしているのか判る僕は、狗尾草を自分の顔の前で振ってみる。飛びつきたくはならなかった。
「これで満足?」
僕が訊くと、彼女は大きく頷いて、紙切れを丁寧に折り畳んだ。
「これ以上はいいや。私はもともと善い人間だから」
顎でペン先を引っ込めながら、意味不明なことを言う。僕が首を傾げると、彼女はカラカラ笑った。
「なあに、文句あんの?」
「や、そもそも文脈が解らない」
善人だから善行は控えめでいいというのは、よく解らない理屈だ。
彼女は人差し指を立てて、なぜだか得意げな顔を見せた。
「ほら、私は天国に行きたいからさ。善い人間にならなきゃと思ったけど、よく考えたら私はもともと善い人間だった」
なるほど、それがボランティアの意味か。彼女の成仏のため、僕は炎天下でゴミを拾っていたらしい。
「…あっそ」
「冷たいな!もっと笑ってよ」
もっとというか、一ミリだって笑ってないのだけれど。白けた顔のまま、ぶっきらぼうに応える。
「僕は天国に興味ないから」
「えー、やだよ、私が寂しいじゃん」
「君には友達がいっぱいいるでしょ。贅沢言ってると地獄に落ちるよ?」
「凪くんは地獄でもいいの?」
「解脱したいかな。二度と生まれ変わらないように」
「何だそりゃ」
半ば呆れたように言いながら、彼女は紙切れとペンをポケットに仕舞った。そこでようやく狗尾草に気づいたらしく、猫みたいにじゃれつく振り──というか、シャドーボクシングみたいなことをした。それっぽく振ってやると、上機嫌に顔をほころばせる。
弱っちぃアッパーを決めてから、彼女は意地悪な瞳を僕に向けた。
「でもま、凪くんはもっと善行を積まないとね」
「なんで?」
「私と違って善人じゃないから」
「逆恨みで刺すのは僕以外にしてね」
「だから何なのそれ?」
「思い込みが激しいってことだよ」
ほんの一瞬、怒ったような顔をして、それからまた、馬鹿みたいに笑う。相変わらず忙しい顔面だ。疲れたりしないのだろうか。僕は中学生の頃を思い出す。慣れない笑顔に、顔の筋肉を痛めそうになったことを。
どこからともなくアゲハ蝶が飛んできて、僕らの前をひらひらと舞った。ぼうっと眺めていると、何を思ってか僕の右手の指先にとまる。僕は蜜なんて出せないはずなんだけど、蝶はゆっくりと翅を上下させて、飛び立つ気配をみせない。
彼女は目をまん丸くした。
「…捕まえてみていい?」
「ダメだよ、翅が傷つくでしょ」
「えー、私も手に乗っけてみたい」
僕の忠告も聞かずに手を伸ばした彼女だったが、蝶は危険を敏感に察知して、素早く飛び立った。
「あ、待って」
「…どっちが悪人か、蝶には判ったみたいだね」
「なんだよぅ、絶対、凪くんより私の方が美味しいのに」
「バカなの?」
立てば芍薬なんとやらは、彼女には似合わない。外見というよりは、お淑やかさが間に合わない。
てっきり何か言い返してくると思っていたけど、彼女は全部忘れたみたいな様子で、遠くの青空を眺めた。この仕草も、彼女を観察しているとよく見かける。
「ほんとはね、こっちに引っ越してきたのって、私のワガママなんだよ」
「そんなことだろうと思ってたよ」
『思い立ったが吉日』の擬人化みたいな人が、何をいまさら──と思った僕の反応が不服だったのか、彼女の怒りは平手に変わって僕の背中を直撃した。理不尽だ。
「どうして判ったの?」
「君を観察してれば誰でも判るよ」
「えー、やだ、そんなに見つめられると照れちゃう」
「熱中症かな?病院行く?」
「どうせ来週行くからいいよ」
「そう。それで、ワガママがどうしたって?」
「あ、うん」彼女は再び、視線を前へ向けた。生温い風が吹く。「いやね、みんな善い人でよかったなぁって、思って」
首を縦に振るのも横に振るのも違う気がしたけど、否定する意味もないので首肯した。
「まあ、確かにウチのクラスは、割と善い人が多いかもしれない」
イジメとか、少なくとも僕は見聞きしないし、誰が誰を好きとか嫌いとか、陰ではあるんだろうけれど、意識しなければ耳に入ることもない。比較的仲の良いクラスだと思う。
彼女はこくんと頷く。
「だから、転校してよかったなぁって。凪くんにも出会えたしね」
「前の学校に、未練はないの?」
「あー、まあ、寂しいと言えば寂しいけど。しがらみはあっても未練はないかな」
平気で他人を引っ掻き回せる彼女には、しがらみなんて珍しいことでもないのかもしれない。しかし未練がないというのはなんとなく意外だった。普通は、もっと思い出に固執するものじゃないのか。
「それにしても、どうしてこんなタイミングで?」
彼女の行動は、僕の想像上の死にかけの女の子と、あまりにかけ離れている。少なくとも僕なら、人生最後の一年を使って見知らぬ土地に移ってやろうとは思わない。
彼女は遠くを見たままで、喜怒哀楽のどれとも判じかねる、とても複雑な表情を見せた。泣きながら笑っているみたいな、不安定な表情。
「秘密だよ。…ごめんやっぱ嘘。わかんない」
「わかんない?」
「そうだよ。私にも、よく分かんないんだ」
「本能みたいなもの?」
「そうなのかも」
聞きながら、飼い猫や飼い犬が死ぬ前に何処かへ消えてしまうという話を、僕は思い出していた。犬も猫も飼ったことがないから、あれが嘘なのか本当なのかは知らないし、本当だったとして、どうしてそんな行動に出るのか、ただの高校生である僕には解らない。でも彼女の行動が本能によるものだとしたら、それに似ているのかもしれないと思った。
「そういえば」僕が黙っていると、彼女は話題を転じた。「私、凪くんに誕生日教えたっけ?」
「や、知らない」
「そっか。えっとね、来週の火曜日なんだ」
いかにも聞いてほしそうに、彼女は僕の目を覗き込んだ。僕は五秒堪えてから、目を逸らす。むかし、人の目を見て話せと怒られたことがあるので。
「…ふぅん」
「ふーん、って、それだけ?」
「他に言うべきことが?」
「あるでしょ?」
「わかんないな」
とぼけていると、再び平手をくらった。今度はちょっと優しかったけど、顔は先刻より怒っているみたいだった。
「もう!そんなのじゃモテないよ?」
「僕が一度でもモテたいなんて言ったかい」
「言ってないけど!違う、そんなことはどうでもいいの」
「つまり」僕は両脚を放り出して、後ろに手をついた。「何か欲しいと」
「わかってるじゃん!」
「そんなこと言われても、たいしたものはあげられないよ」
「何でもいいんだよ何でも」
彼女はポケットに手を突っ込んで、例の紙切れを再度取り出し、僕に突きつけた。六つ、短くてシンプルな文が横書きに並べてあって、そのうち四つは線で消されていた。『天国へ行くために徳を積む』これも消してある。残っているのは、『凪くんと寿司を食べる』と『友達とプレゼント交換する』だった。
「…いつも思うんだけどさ、君のこれって、動機がまるで判らない」
「んなもん無いよ。したいこと書いてるだけだもん」
にべもない。彼女は脳と口の接続も良好なのだ。
「前から思ってたんだけど、棺桶リストって言うからには、もっとこう、大層な願いとかを書くべきなんじゃないの?」
彼女が持っている紙切れには、いつだって些細なことばかり書いてある。友達とご飯に行く、数学の小テストでわざと間違える、掃除をサボる、放課後にスイーツを食べる、などなど、正直バカなんじゃないかと思うような事柄まで、ぜんぶ、例外なく日常の範疇から外れていない。少なくとも僕が知る限りでは。
とてもとても、余命幾ばくもない人間の願いだとは思えなかった。
「んー、まあそうかもね」さもどうでもよさそうに、彼女は相槌を打った。ちょっとイラッとする。
「時間が勿体無いとか、思わないの?」
「思うよ、そりゃあ。いつだって勿体無い」
「だったら──」
「でもそれは、日曜日にゴロゴロしてて、夕方になって、それを後悔するのと大して変わらないよ」
「どういうこと?」
「そのときは、確かにゴロゴロしたかったんだよ。何をする気にもなれなかった。そうでしょ?だったら、後になってそれを疑うのは、なんか違うような気がするの」
その考え方は僕のと背中合わせなのに、どうしてだか、僕は苛立つばかりで口を噤んでしまう。とてもとても癪だ。
なんとか反論を捻り出そうとする僕を差し置いて、彼女は違うことを言い始めた。
「でもね、友達とプレゼント交換するってのは、ちょっと真面目だったりしてですね…」
めずらしく歯切れが悪い。心持ち顔が紅いようにも見えるけれど、それは暑さのせいかもしれない。
ちょっと上目遣いに僕を見る。
「私ね、一度もしたことないの」
「え?」
「あ、ちょっと驚いたでしょ?やったやった」
彼女の喜びは理解しかねるが、実際、僕は驚いていた。これほど快活な人間、友達だって少なくないはずなのに、そんな、いかにも友達っぽいことを一度も体験していないとは思わなかったのだ。
「凪くんは、したことある?」
「友達いないって言ってなかったっけ?」
「えー、嘘だと思ってた。ほんとに一人もいないの?」
「そんなしょうもない嘘つかないよ」
「そっか…じゃあ私が初めてだね」
それを言ったら、これから僕が行う『友達っぽいこと』のほとんどは例外なく彼女が初めてなんだけれど、言ったら調子に乗りそうなので言わなかった。というか、どうして変なところを強調するんだろう。やっぱり熱中症なのかもしれない。
「なんか緊張してきた!やさしくしてね」
「君は誕生日プレゼントを何だと思ってるの」
それにしても。
「これまでも、プレゼントは貰わなかったの?」
彼女は人差し指を顎にあてて、少し考える素振りを見せた。それから、ちょっと困ったように笑う。
「ないんだよ、これが。あ、もちろん、お父さんとお母さんは別ね。まあ、誕生日だから何か奢ってあげるとか、そういうのはあったけど。プレゼントっていうのは、友達から貰ったことないな」
そんなこともあるんだろうか。友達らしい友達の居たことが無いので判らない。親しすぎると、却ってそんなふうになるのかもしれない。
「ま、だから、誰かから思い出になるようなものをもらって、私も、思い出になるようなものをあげてみたいなって、思って」
「なるほど」
「それで、凪くんの誕生日はいつ?」
「十一月十一日」
「うへぇ、私生きてるかな」
ほとんど無意識に、僕は目を伏せた。
この様子では当面のあいだ死にそうにはないと、たぶん僕でなくとも思うはずだ。
けれども医者の話によれば、彼女は年を越すか越さないかというあたりで死んでしまうらしい。
「まあ、お医者さんの言うことがホントなら、ギリギリセーフだね。ポッキーの日だから、おまけにポッキーゲームも付けてあげよう」
「押し売りって日本語知ってる?」
「しょうがない、頑張って生きるかぁ。もー、凪くんはワガママなんだから」
「人の振り見て?」
「信念曲げず」
話を聞く気はないらしい。
どうやら昼食は寿司になりそうだなと思って、僕にしては珍しく、マグロの握りが食べたくなった。能動的に何かを食べたいと思うことは、あんまりない。
彼女のポケットで着信音が鳴った。
取り出したスマホをろくに見ないままで、彼女は耳に当てがう。
「もしもーし。あ、ミハル?今ね、凪くんとゴミ拾いしてんの。うん、そう。明日?ああ、言ってなかったっけ。え、場所わかんない?そっかそっか、じゃあ、ウチに来てくれればいいよ。うん、オッケー。また明日」
電話を切ると、彼女は立ち上がった。
「そろそろ戻ろっか。サボりすぎると神様に見放されちゃうかもだし」
「そういう下心が一番の罪だと思うんだけど」
「黙ってりゃバレないって」
口に出てるんですけど。
若干の呆れを見せながら、僕もふらふらと立ち上がって、狗尾草を川へ放った。ほとんど波紋も立てないままに、草は水面に浮かんで、ゆったりと滑るように動き始めた。我ながら何を思ってか、僕はその動きを目で追う。
「ほら早く」と彼女の声。今度こそは素直に従って、炎天下に身を晒した。
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