第23話:ヘブンズワールド(1)
治安維持局、第十三日本支部にて、大量の報告書に囲まれながら、一人の男がウィンドウに向かい合っていた。
文字の入力もカーソルの移動も頭で念じるだけでいい。ヘブンズワールドの人間が使う、極限まで洗練されたパソコンだ。
彼は解決届けの確認や他支部との連絡、イベントの運営対応や人員配置に追われていた。
尖った鼻に狐のように細いつり目、左側に流した黒髪。彼は狐島。治安維持局第、十三日本支部の支部長だ。
高速で情報を処理していく狐島だったが、ウィンドウに映った一枚の解決届けを見て、目が止まる。
「……ん?この解決届け……何か、不自然ですね……」
解決届けに書かれた依頼者の名前は『黒羽 刃』担当者は、『鬼城』と『実兎』。
発生したワールドは『アンリミテッド・イグジスタンス』。不具合の内容はオフラインモードへの他プレイヤーの侵入。3日前に解決済みの案件だ。
事件経過2日後の事後確認で、不具合が完全に解決していると依頼者からの確認も既に取られている。
侵入していたプレイヤーの名前は『鈴木 太郎』。狐島はふとその名前に偽名臭さを感じた。生前の名前ならともかく、プレイヤーネームとしては普通すぎる、と言うかありきたり過ぎる。それに、チート等をしでかす様な人間は、凝った名前をつける事が多い。
そして、バグ修正の対応の欄には『別ワールドから繋がっていたゲートを削除。騒動中に死亡したNPCエネミーを復活』と記載されていたが、問題のゲートがどのワールドから繋がっていたかなどの詳細な情報は無かった。鬼城と実兎がその辺りを細かく書かないのはいつもの事ではあるが、内容の具体性がいつもと比べて少なく、文体が違うようにも思えた。
狐島にはそれがどうにも不自然で、解決届けの内容に何か作為的な意図があるように感じとれた。
この案件の問題は解決したのは間違いない上に、おかしいと思ったのは狐島の直感によるものだけで、確証はない。
実際、狐島が見るまでは誰も疑問視していなかった解決届けだった。
それに、なんと言っても既に解決した事柄に興味を向ける人間は少ない。
だが、気になった狐島は、侵入したとされるプレイヤーに向けて、解決届けに記載されている番号で通信を送ってみた。
だがそれは使用されていない番号だった。ここで狐島は、『鈴木 太郎』なる侵入者、いや、そんなプレイヤー自体が存在しない事に気付いた。
詳細を担当者に確認しようと、座っているデスクから首を伸ばし、鬼城と実兎の席に目を向けたが二人はそこに居なかった。
仕事で出掛けている訳でもない。シフトを確認すると二人は揃って有給をとっていた。さらに昨日は鬼城、一昨日は実兎が休暇をとっていた。
狐島は異常に勘が鋭い男だった。生前、殺人事件を起こす人間に感づいて後をつけ、現場を目撃する程に。(その時は運悪く罪を擦り付けられてしまったが)
その勘の鋭さから、あらゆる嘘も隠し事も通らない上に、バカが付くほど真面目な男なので、鬼城や実兎からは『クソ狐』と嫌われ……いや、恐れられていた。
その持ち前の勘の鋭さを生かして、生前は週刊紙の記者をしていた。政治家のスクープや事件の裏側を何度か暴き、報道の賞も幾つか貰っていた。
そんな狐島の直感が、鬼城と実兎の二人が、何らかの大きなバグを握りつぶしたと感じ取った。
狐島は席を立ち上がり、スーツの上から茶色いコートを羽織り、ハンチング帽を被る
「あれ、支部長、どこか出掛けるんですか?」
デスクで電話対応と不具合内容の整理していた部下が、狐島に声をかける。
「いえ、少し気になる事がありまして……確認を行いに。それに外の空気も吸いたい気分でしてね。私の外出中に、私宛の通信が入ったら、私にそのまま繋げて下さい。よろしくお願いしますね」
それだけ言って、狐島はゲートルームの扉を開けてワールドゲートに足をかける。
鬼城と実兎のやった事に関しての考えは、所詮は勘に過ぎない。解決届けのでっち上げも、適当にサボったのを誤魔化す為かもしれない。だから部下は連れて行かないと狐島は判断した。
だが反面、狐島の直感は二人が何かしでかしたのが間違いないとも告げていた。この勘は昔からよく当たる。それならば、直接自分で確かめるのが一番だ。
彼にとって『ヘブンズワールド』の治安を守るのが何より優先される事柄だ。妥協は許されない。不安要素も残しておけない。もし何らかのバグを隠しているのなら修正しなければならない。
狐島は、どこへ向かうべきかを少し思案して、事件のあったワールドへ最初にへ向かい、二人の行動を洗ってみようと考えた。
彼ら二人の行動を見ている者がいるはずだ。
狐島の直感では、運営後の対応で復活された『死亡したエネミー』とやらが事情を見ている様な気がした。
「ワールドゲート、オープン。行き先はプレイヤーネーム『黒羽 刃』のオフラインモード『アンリミテッド・イグジスタンス』」
その場から、狐島の体が一瞬で消失し、後には静寂だけが残された。
◆◆◆
鬼城、実兎、イミテの3人は、ワールド『キメラティック・サイバー・シティ』を訪れていた。
このワールドは、現実の世界から約1000年後の世界を想定されて作られたワールドだ。
街中を埋め尽くす空中映像の看板がいかにも未来らしいサイバー感を醸し出す。
空を車やドローンが飛びかい、ビルが宙に浮き、ワープ装置で遠くに移動ができる。NPCのアンドロイドやロボットが大量に存在し、自由自在に使役ができる。
また、この街は街自体が生きていた。街を管理するマザーAIが存在し、住人の様々な知識を取り込みながら、自己成長を続けており、ワールドが広がり続けるのだ。
そして、とにかく物が雑多に溢れているワールドで、容姿も統一されていないのでどんな姿でも警戒されない、隠れて生活するならもってこいのワールドだ。
遺伝子組み替えで融合進化した合成フルーツ市場の中を、鬼城が歩き、その後ろをてくてくとイミテがついていき、さらにその後ろに実兎がついて歩く。
イミテにとってはこの3日間は激動の3日間だった。
最初の日、実兎に連れられて最初に訪れたのはこの『キメラティック・サイバー・シティ』だった。
この街でみるものは何もかもが珍しく、元住んでいたワールドとは何もかもが違った。本でしか見たこと無いような、本当に1000年後の世界に思えた。
そして、イミテはこのワールドで暮らすように言われた。部屋も実兎が用意してくれた。空中に浮かぶ水色の大きなマンションの一室だった。
巨大なテレビや、ホログラムの執事、意識認識で考えるだけで部屋を自由自在に操作できる、至れり尽くせりの家だった。
空間拡張とかの機能で、マンションの一室のはずなのにドアを潜ると、一戸建ての一件家くらいの部屋数と敷地が入っていた。
今までは、誰も住んでないアパートを勝手に使っていたから、それと比べると凄い差だった。
そしてイミテは鬼城から一つの財布を渡された。なかにはイミテが見たこともないくらいお札が一杯入っており、使っても使っても無くならないという。
元の世界で、空腹なのにお金が無いからと何も食べていなかったイミテは凄く驚いた。
食事も食べたことの無いものから、馴染みあるものまで何もかも揃っていた。
鬼城は事ある事に『ここで手に入らねぇモノはねェ。なんでも好きなものを食え』と言っていた。
初めて食べたメロングレープパフェの味をイミテはきっと一生忘れる事は出来ないだろう。
2日目は、実兎に連れられて、イミテは色々なワールドに行くことができた。鬼城は仕事でこれないとの事だった。
海の中の街で、喋るイルカとふれ合った。水中の中で呼吸できるのがとっても不思議でならなかった。
シャボン玉が飛んでいる農家で、ぬいぐるみの動物達に餌をあげた。そこに生えたチョコレートで出来た木の枝はとても甘くて美味しかった。
宇宙船にのって、宇宙にも行った。地球が青くて丸くて、信じられないほど綺麗だった。
空を飛ぶ大きな鯨の背中にある街にも行った。その鯨は実兎が飼っている鯨だと言っていた。風がとても気持ちよかった。
街全体が巨大なレース場になっている世界にも行った。実兎にのせてもらった車は目を回すほど早かった。
そのどの世界の人達もとても楽しそうで、戦う必要なんて無いと言うことが分かった。
そして、この世界が『ゲームの世界』というのを、心から信じる事ができた。
最初は、自分の世界が全部ゲームだという事で足元が崩れる様な感覚があったが、こんな素晴らしい世界ならゲームでも良いと思えた。
3日目は、鬼城に連れられて、『キメラティック・サイバー・シティ』で服や家具を揃えた。
また、鬼城には実兎と他のワールドに出掛けたことをもの凄く叱られた。
鬼城が言うには、しばらくはこのワールドで大人しくしてければいけないとの事だった。
『しばらくっていつまで?』とイミテは聞いたが、鬼城は目をそらし、答えてくれなかった。
その代わり、イミテに対し鬼城はこの世界……『ヘブンズワールド』の事を事細かく教えてくれた。
ヘブンズワールドが死後の世界として作られた事。沢山のワールドが存在する事。NPCとプレイヤーの事。この世界のルール。鬼城と実兎の仕事の事。
そして最後にイミテがどういう存在かを、隠さずに全て教えた。
イミテは、自分が『バグ』から生まれた存在で、鬼城と実兎以外の人に知られたら、運営に消されるかもしれないと言う事を悟った。
じゃあ、自分は生まれてこない方が良かったのか、何で生まれて来てしまったのかと、口をついて出そうになったが、鬼城はそれを知りながら助けてくれた事を思い出し、思い止まった。
他に、鬼城はイミテの知能テストも行った。結果人間の10~12歳程度の知識と知能だと言うことが分かった。性別的な思考は男と女のどちらでもなかった。無性別の思考だ。
さらに、『偽の
体の一部を動物に変えたり、別の生き物になることも可能だった。大男になって鬼城と腕相撲をしたら、簡単に捻り倒せてしまった。
イミテが知らないものや仕組みが分からない複雑な物にはなれないが、大男程度になら膨らんだり、ゴムのように伸ばす事は可能だった。
だがまるで別人にはなれず、どんな生き物になっても赤青の髪の毛で、右目が黒く左目が銀色の目のままだった。
鬼城と一日過ごしているうちに、イミテは鬼城のタバコから漂うココアの香りが好きになった。
そして今日。今日は実兎と鬼城が一緒に揃い、『キメラティック・サイバー・シティ』の案内をしていた。
このワールドでなら、目立たない限り何をやっても良いとイミテは二人に言われた。
この街は異常に広く、データ上では全てのワールドの中で最も居住人数が多いワールドだった。地平線の彼方まで、サイバー感あふれる街が広がっていた。
そして、その分一番設備も充実しており、小さな公園から遊園地まであらゆる娯楽施設が揃っていた。
街を案内している間、鬼城は実兎が2日目にイミテをつれ回した事をネチネチと叱っていた。
イミテがそんな二人を見かねて口を出す。
「キジョー、ミトを怒らないで。ミトは私を楽しませようとしただけ」
「イミテ、いいか、よく聞け。実兎は考え足らずだからな。こいつの言う事をホイホイ信じるなよ。ロクな目に会わないぜ」
「先輩だって、頭に血が上ると何しでかすか分からないゴロツキじゃないッスか。何も起こらなかったから良いじゃないッスかー」
「お前な……」
しばらくして、街の案内もおおかたざっくりと終わり、生前の世界のゲームが遊べる端末や、漫画や動画が見れる端末、勉強道具も購入した。
しばらくはこのワールドに引きこもっていても、暇になる事はないだろう。
フルーツや食材を買って、アンドロイドの運転する空中タクシーに乗り込む。行き先は、イミテの部屋がある空中マンションだ。
「イミテちゃんは、この街気に入ってくれたッスか」
「うん。気に入った」
「アタシの事も好きになってくれたッスか?」
「うん。ミト、好き」
「でも、このチンピラには気を許しちゃダメッスよ。鬼城はアホ。分かったスか?」
「うん。チンピラは、アホ」
「オイ!ふざけた事教えんな!!」
そう雑談しているうちに空中マンションへと着いた。
鬼城がドアノブに手をかけた時、怪訝な顔をした。
「ん?……鍵がかかってねェぞ……?」
鬼城は不振がりながらもドアを開け中に入る、実兎とイミテも恐る恐るついていく。
リビングのドアを開けると、茶色いコートにハンチング帽の男が一人立っていた。
鬼城と実兎の顔から冷や汗が出る。
「遅かったですね。待ちくたびれましたよ。鬼城君、実兎君。……それにイミテ君、でしたね。事情を話してもらいますよ」
3人が固まっているのを他所に、狐島は静かに、そして有無を言わさぬ剣幕で部下に訪ねた。
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