第18話
全体が丸ごと焼けた、黒い建造物。
外と中の大部分に壮絶な焦げ跡が残っており、火災の凄まじさを物語っている。
斜面が急な丘の上に存在し、周囲は鋭く尖った瓦礫が無数に転がる危険地帯なので、好んで訪れようとする者など滅多にいないだろう。
ところが今、その建造物へ静かに近寄る男性がいた。
時雨だ。
「ここと、泰明が楓を拾った場所は数百メートルしか離れていない。どう考えても無関係とは思えん」
尖った瓦礫も、彼にとっては何の障害にもならない。
平然と歩き続け、建造物近辺まで到達するなり立ち止まった。
「しかもここの地下には……例の研究所があるしな」
時雨が真剣な表情で呟いた直後。
背後から、声が聞こえてきた。
「その研究所は灯真様とお前に潰されたがな」
「神威……!」
叫ぶと同時に時雨は素早く振り向いた。
それほど離れていない位置に、神威の姿が見える。
「数年ぶりの再会だな、時雨」
「ああ。お前達の実験を中止させるため、灯真様と共に地下研究所を襲撃して以来だ」
静かに会話を交わしつつも、鋭い目つきでお互いを睨む両者。
十数メートルの距離を保ったまま、双方共に動かず、一言も発さない。
どちらも構えてこそいないが、臨戦態勢に入っていることは明白だ。
彼らは過激と共存、両派閥のリーダー同士なのだから当然である。
「……」
「……」
異常なまでの緊張感が、その場の空気を支配していく。
やがて、先に口を開いたのは時雨だ。
「神威。お前に聞きたいことがあるんだが、答えてくれるか?」
「答えられる範囲でなら、な」
質問自体を拒むつもりはないらしい。
彼の言葉を聞くと、さっそく時雨は問いかけた。
「ならば教えてもらいたい……お前達過激派が誘拐していた少女達は……やはりあの時の……?」
「そうだ。灯真様とお前が地下研究所から逃がした奴らだよ」
どこか忌々しそうに、神威は言った。
「おかげで実験体全員の行方が分からなくなり、いちいち一人一人の所在確認をしながら誘拐していかねばならなくなったのだ。しかも襲撃された際の火災事故で世間の目を引いてしまったから、かなり慎重に動く必要があった」
「楓が記憶喪失なのも……あの事故が原因なのか」
「他に考えられん」
断言すると、神威は静かに続けた。
「そして誰が成功作なのか分からない以上、実験体四百人を片っ端から誘拐し、検査していくしかなかった。成功作の楓が見つかった今、もうそんなことをする必要はなくなったがな」
「……」
「後は楓を確保し、アジトのカプセルへ放り込んで一気に完全覚醒させることができれば計画の最終段階も成功。その後にようやく人間社会の支配に着手できる」
「そんなことは絶対にさせん!」
時雨は左右の拳を構え、叫んだ。
「必ず阻止してみせる。お前は、ここで倒す!」
「戦うつもりなら応じよう。私もお前を倒しておきたい。今お前がここにとどまっていると面倒なことになる」
神威も、時雨と同じ構えを取って言った。
「今日中に楓がここへ来るんだ。お前と、覚醒が始まった今の楓に共闘されたら、私と言えども危ないのでな」
「楓が来るだと……?」
「そうだ。もうすぐ必ず来る」
その表情は自信に満ち溢れている。
まったく疑いすらしていないようだ。
「一体何の根拠」
時雨が言いかけた瞬間。
神威は最後まで聞こうとせず地面を蹴り砕き、疾風よりも遥かに速く殴りかかってきた。
二メートル以上の筋肉隆々な巨体からは想像もできないほどの素早さだが、時雨の目は完全にその動きを捉えている。
顔面めがけて機械よりも正確に迫る拳を、彼は横へ軽く跳躍して空振りさせた。
凄絶な風切り音が響き渡り、凄まじい拳圧で土砂と無数の瓦礫が吹き飛び、周辺へ散らばっていく。
「話は終わりだ」
神威は拳を引き戻し、時雨の方へ顔を向けて言った。
「あまり時間がない……始めるぞ」
「ああ」
両者は会話を終えると、鋭い目つきで同時に構え直した。
※※※
同日の夕方。
町内にある図書館の片隅で、昌克が記事を確認していた。
隣には楓もいる。
(今日は学校が休みだから例の建造物について調べたいです、なんて急に楓ちゃんが言い出した時は少し驚いたよ)
しかし冷静に考えてみれば当然のこと。
楓も誘拐された少女達も、全員が焼けた黒い建造物の近くで拾われている。
何か関係があると思うのが普通だ。
むしろ、今まで調べようとしなかったことの方が不思議とさえ言える。
(例の建造物へ急激に関心を向け始めたのは……やはり岩場での戦いが原因か)
自分の正体が何なのか不安になった、というわけではないだろう。
それについて、楓は意外なほど無関心である。
彼女が知りたがっているのは、あの建造物が元々どういう施設だったのかということだ。
(もし研究所か何かの施設だったなら、過激派が使っていた可能性がある。何か手がかりが残されているかもしれない。過激派と関係なかったとしても、誰も好んで行きたがらないであろう急斜面の丘へ行けば、過激派も人目を気にせずに誘拐しようとしてくるはず。そこを返り討ちにして捕縛し、過激派アジトの位置を聞き出す、か)
楓の発案だ。
少しでも早く過激派との争いを終わらせるため、なるべく戦線へ出たいという彼女の決意が伝わってくる。
(身内の泰明があんなことになったら……できるだけ早く戦いを終わらせたいと思うのは当然だね)
昌克とて、気持ちは同じだ。
親友の泰明が重傷を負った光景を見て、何も感じないわけがない。
だからこうして楓に協力し、片っ端から数年前の記事を確認しているのだ。
(あんな高い位置にある建造物が燃えたんだから、大きく取り上げられているはず)
そう思いつつ、手と目を動かし続ける。
やがて彼は、ある記事を発見した。
(研究所で原因不明の火災……場所は……あの丘の上……!)
写真も載っている。
間違いなく例の建造物だ。
「楓ちゃん。ちょっとこれを見てくれ」
「はい」
楓は昌克の言葉に素早く反応し、返事と共に顔を向けてくる。
そして記事を目にするなり、真剣な表情で呟いた。
「あの建造物……やはり何かの研究所だったんですね」
「しかも所有者が不明だ。あれだけ大きな研究所の所有者が不明なんて、ちょっと変だよ」
おかしい点は、まだある。
火災が起きる前から研究所は廃墟だったと、記事に書かれているのだ。
「使われていなかったなら火が出たりするわけない。わざわざあんな高い丘の上まで行って火遊びするような物好きもいないだろう。だとしたら考えられることは一つ」
「本当の研究所は地下にあった……ということですか」
「多分ね。その地下研究所を過激派が使っていたかどうかまでは、分からないけど」
そう言ってから立ち上がると、昌克は記事を元の位置へ戻し、続けた。
「確かめに行くかい?」
「もちろんです」
即答だ。
「研究所が過激派と無関係だったとしても……行く意味はあります」
「そうだね。結構巨大で急斜面な丘だから、戦いになっても町の人間から目撃される可能性は低い。人目につかないし、過激派が楓ちゃんを誘拐するために襲う場所としては最適だ」
そこを返り討ちにし、捕縛して過激派アジトの位置を聞き出すという楓の案に、変更はないようだ。
彼女が静かに頷く姿を見ると、昌克は言った。
「今の楓ちゃんの強さなら心配ないとは思うけど、無茶だけはしないでくれよ」
「分かっています」
またも即答する楓。
しかし例の超高速再生のことを考えると、昌克は不安が拭えない。
(異常な再生速度を頼みに無茶な戦い方をする可能性も、ないわけじゃないからね)
楓なら大丈夫だろう、とは思う。
彼女は決して馬鹿ではない。
前触れもなく急に獲得した超高速再生が、何かの拍子で失われてしまう可能性も既に考えているはずだ。
それでも、早く戦いを終わらせたいという気持ちで焦り、無茶するかもしれない。
(傍について、目を離さないようにしないとな)
心の中で呟くと、昌克は楓と共に図書館を去り、丘へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます